Liner Notes

観たこと、聴いたこと、読んだことを忘れないように印象に残った光景を栞として綴ってみました

§38「罪と罰」 フョードル・ドストエフスキー, 1866.

2015-06-28 | Book Reviews
 42歳にして初めて、ドストエフスキーの作品を読んでみました。うまく表現しにくいのですが、サルトルの「嘔吐」(§35)の延長線のような印象。

 相手を、侮ったり、見くびった時、もはや、必然的に支配しようとしてしまうのかもしれません。
・・・・
 「あることの実行は時として、手慣れたもので巧妙過ぎるものだが、その行為を支配するものは様々な病的な印象に左右される」
・・・・(文中より抜粋)
 ラスコーリニコフが降り下ろした斧は、本来ならば、薪を割る為の「物」であったはず。当然ながら、斧を降り下ろせば、結果として薪は割れるもの。

 ある目的をもって存在する「物」は必然性。結果には必ず原因が存在するというのが因果性。つまり、必然的な存在として認知したとき、支配することによってもたらされる因果性について、果たして許されるのかということを問うている気がします。

 罪とは自らが認知することに他ならず、罰とは自らが求めるべきものなのかもしれません。ラスコーリニコフが認知した罪と求めた罰。そして、彼を支えようとするソーニャ。罪を認知し、罰をあがない始めた時から、ひとは生まれ変わり始めることも示唆しているのかもしれません。

初稿 2015/06/16
校正 2020/12/30
写真「イヴ」 オーギュスト・ロダン, 1992.
撮影 2015/03/21(大阪・御堂筋彫刻ストリート)