Liner Notes

観たこと、聴いたこと、読んだことを忘れないように印象に残った光景を栞として綴ってみました

§75「ノルウェーの森」 村上春樹, 1987.

2017-10-14 | Book Reviews
 まだまだ勉強中ですが、ユングの分析心理学とフロイトの精神分析学において、心理的プロセスは《無意識》における法則が支配するという心的決定論に立脚しているそうです。

 ユングは、言葉にできない在ってはならぬイメージを「影」と呼び、フロイトは死への渇望と性的衝動を「エス(ES)」と呼び、それぞれが無意識の構造の捉え方に特徴があるそうです。

 その観点に立てば、初期四部部作(§71~74)は、ユングの分析心理学の立場で《認知》《認識》《意識》《自我》を捉えようとしていたのかもしれません。

 一方で、「ノルウェーの森」は、お互いの《意識》が幼なじみの絆から結ばれえぬ恋愛へと遷移する心理的プロセスを通じて、お互いの《無意識》に潜む性的衝動と死への渇望が卓越する心理的構造を描くことで、フロイトの精神分析学の観点から《自我》を扱おうとしたような気がします。

初稿 2017/10/14
校正 2020/11/02
写真 影在る処 光在り
撮影 2012/11/22(東京・新宿御苑)

§74「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」 村上春樹, 1985.

2017-10-01 | Book Reviews
 《認知》《認識》《意識》をテーマとして扱った初期三部作の延長線上に位置付けられ、ユング心理学におけるフレームワークを用いながら、《自我》の形成過程を描こうとした実験的作品のような気がします。

 知覚によって認知した事象の特徴や意味を認識し、因果性に基づき論理的に解釈することが《意識》なのかもしれません。それが、「ハードボイルド・ワンダーランド」が示唆する世界観。

 一方で、言葉に出来ないコンプレックスや想像も及ばない在ってはならぬイメージが夢の如く離散的に想起させるのが《無意識》なのかもしれません。それが「世界の終わり」が示唆する世界観。

 ひょっとして、壁に囲まれた街はユング心理学における箱庭療法の暗喩。私と僕という一人称で綴る《意識》と《無意識》の二つの世界観が何らかの因果性と時間的連続性をもって認識し、自らの在るべき姿を《意識》したときにこそ、《自我》が芽生え、自らのなかで何かが終わり、何かが始まることを示唆しているような気がします。

初稿 2017/10/01
校正 2020/11/03
写真 旧大谷仏教会館の外壁の一部, 1933.
撮影 2014/02/11(大阪・御堂筋)