Liner Notes

観たこと、聴いたこと、読んだことを忘れないように印象に残った光景を栞として綴ってみました

§47「歳月」(江藤新平) 司馬遼太郎, 1969.

2016-02-26 | Book Reviews
 「男子はすべからく巌頭に悍馬を立てるべし」

 屹立した岩の上にて気性の荒い馬に跨がったその一瞬に自らを賭けよ。

 江藤新平が時代の寵児として登場するのは、佐賀藩主・鍋島閑叟への死を賭けた嘆願書から。脱藩までしたその嘆願は、京の長州藩邸に構える桂小五郎にその志を説き、京に潜伏し政情を見極めればこそ、佐賀の工業力を以てしていまこそが起つべき時。

 京における藩外交の全権に抜擢され、薩長に続く雄藩として認められる契機は、戊辰戦争の最高司令官として大村益次郎を擁立し、彼の比類なき合理的な戦略観と佐賀藩が持つアームストロング砲による戦術的優位性の結実によって混迷した幕末を終焉させました。

 一方で、フランスを範とした司法制度の確立に向けて原典を翻訳・解釈させる専門家集団を組織化し短期間で法治国家の礎を築くだけでなく、民を護るべく官の癒着を徹底的なまで弾劾する姿勢はまさに近代国家の幕開けをもたらしました。

 幕末の志士とは一線を画し、群れることなく自らの志と持てる力を研ぎ澄まし貫いた彼にとっては、日本の将来を見通すことはできても、他ならぬ自らを見透すことはできなかったのかもしれません。

 「歳月人を待たず」とは、時は留まることを知らず、時を逃すことなく勉学に励み、時に及びてはまさにその役割を果たすべし。とはいえ、自らが果たすべき役割と時代が求める役割とは必ずしも一致するとは限らないような気がします。

初稿 2015/11/28
校正 2020/12/19

§46「花神」(大村益次郎) 司馬遼太郎, 1976.

2016-02-26 | Book Reviews
 「成せば成る。成さねば成らぬ何事も成せぬと言うは成さざればなり」

 緒方洪庵の適塾の流れを汲む大村益次郎が、鳴滝塾を開いたシーボルトの娘であるイネと出逢い、吉田松陰の松下村塾の流れを汲む桂小五郎が、彼を引き立てるところが何の因果も無いように見えて、それぞれの存在がシンクロして星座の如く時代を変革していく姿の描写は見事。

 幕末期の階級社会の閉塞感と外圧からの危機感とが狂気とも言うべき集団的無意識としての巨大なエネルギーを生成し、攘夷から開国へと大きな転換をもたらしたのかもしれません。

 その大きな転換を果たすうえで大きな役割を担ったのが大村益次郎。彼の志は革新的な技術と普遍的な戦略観が世を変革するということ。

 大村益次郎と名乗る前、頭尾と足を甲羅に隠す亀にあやかり「蔵六」と名乗り、蘭学や医学、兵学を究めた彼が、戊辰戦争の最高指揮官として挑み、近代兵制を確立したことをまさに、枯れ木に花を咲かせたことの暗喩として小説名に「花神」と名付けたことには興味深いものがあります。ちなみに、「花神」とは花咲か爺さんのことだそうです。

初稿 2016/02/26
校正 2020/12/20
写真 御所に咲く桜花の襖絵
撮影 2014/11/02(京都・上京)

§45「竜馬がゆく」(桂小五郎) 司馬遼太郎, 1962.

2016-02-25 | Book Reviews
 長州・萩城下の藩医の息子、上級武士の養子となるも、神道無念流の免許皆伝を持ち、幕末三大道場として知られる練兵館の塾頭を務めた桂小五郎。

 松下村塾門下の頭目として、吉田松陰の思想を受け継ぎつつも、時局や情勢に鋭敏に反応した思考や信念、憂いや畏れを人一倍もつ人だったかもしれません。

 いわゆる、七卿落ちと称される八月十八日政変以降、禁門の変を経て、苦渋を嘗め、身を潜めざるを得なかった彼を命懸けで匿ったのは幾松という女性。彼女の支え無くしては、維新三傑のひとりとしての木戸孝允は存在しなかったかもしれません。

 一方で、彼が直面した困難な状態や重要な局面に出逢ったときの彼の精神状態に引きよらせられるが如く出会い導いた大村益次郎や江藤新平らが、悉く維新における歴史的役割を担い、維新十傑のひとりとして数えられることは、いわば必然的に特定の位置関係を持つ星達が、偶然にも星座として名付けられた途端もたらさられる意味やイメージを想起させるが如く、因果性とは独立しているものの、彼らや彼女の精神内部の事象等が互いに時を同じくして何らかの相関性を持っているような気がしてなりません。

初稿 2016/02/25
校正 2020/12/21
写真 桂小五郎・幾松寓居跡
撮影 2015/10/11(京都・高瀬川)


§44「竜馬がゆく」(坂本龍馬) 司馬遼太郎, 1962.

2016-02-19 | Book Reviews
 「世の中の人は何とも云はばいへ、我が成すことは我のみぞ知る」

 多角的な視野と先を見透す視点、俊敏な判断力と機動的な行動力。読後の感想は、長州藩・高杉晋作や長岡藩・河井継之助と類似した印象ですが、ひょっとしたら、彼らと違うのは帰属意識なのかもしれません。

 武士が武士たらしめる価値観は、ひとえに藩主への忠義にほかならず、藩の自主独立の為には武威をもって戦うことも辞さず、藩が存亡の窮地に追い込まれれば、彼らは藩主の海外逃亡まで画策するほど。

 彼らの初期条件は上級武士の生まれであるがゆえに、彼らの境界条件は藩主への忠義に殉ずることにほかならず、彼らが導いた解は藩の存亡をかけて振り上げた拳を振り降ろすのみ。

 そういった因果性に支配された幕末史のなかで、龍馬の初期条件は同じ武士でありながら、主君から虐げられた長宗我部恩顧の武士であること。龍馬の境界条件は殉ずるべき忠義を誓う主君が不在であるがゆえに龍馬が導いた解は、旧態依然の土佐藩という帰属意識を離れ、自由と向き合い平等な社会を築く為に、自らが成すべきことを果たすのみ。

 だからこそ、土佐藩を脱藩した龍馬が、北辰一刀流免許皆伝の腕前でありながらも、その白刃で誰ひとり殺めることなく、薩長同盟や船中八策による大政奉還を成し得たのかもしれません。

初稿 2016/02/19
校正 2020/12/22
写真 太平洋の遥か彼方を見つめる龍馬像, 1928.
撮影 2011/05/07(高知・桂浜)