高校時代に現代文の授業で読んでみたものの、全く歯が立たず、考えるヒントにすら当時は辿り着けませんでした。
長男が薦めてくれた池田晶子の本をきっかけに約三十年振りに読んでみると、目に見えることを当たり前のように思い込んで、あたかも分かったつもりになっていないだろうかという、考えるヒントを与えてくれたような気がします。
「言葉の力によって抑制しようと努めたのは、外から目に飛び込んでくる、あの誰でも知っている現実感に他ならない」(35頁)
一方、誰かからどう思われているのかとか、とにかくなんとか結果を出して評価されたいとか、誰しも思うかもしれません。
「能率的に考えることが、合理的に考えることだと思い違いをしているように思われるからだ。当人は考えているつもりだが、実は考える手間を省いている」(56頁)
ひょっとして、そんな思い込みに頼って生きる方が楽なことが多いかもしれませんが、自分が誰であろうとも生きるとは、そんな思い込みから自由になれる言葉の力が必要なような気がします。
初稿 2022/04/23
写真「考える人」オーギュスト・ロダン, 1926.
撮影 2018/11/03(東京・国立西洋美術館)
長男が薦めてくれた池田晶子の本をきっかけに約三十年振りに読んでみると、目に見えることを当たり前のように思い込んで、あたかも分かったつもりになっていないだろうかという、考えるヒントを与えてくれたような気がします。
「言葉の力によって抑制しようと努めたのは、外から目に飛び込んでくる、あの誰でも知っている現実感に他ならない」(35頁)
一方、誰かからどう思われているのかとか、とにかくなんとか結果を出して評価されたいとか、誰しも思うかもしれません。
「能率的に考えることが、合理的に考えることだと思い違いをしているように思われるからだ。当人は考えているつもりだが、実は考える手間を省いている」(56頁)
ひょっとして、そんな思い込みに頼って生きる方が楽なことが多いかもしれませんが、自分が誰であろうとも生きるとは、そんな思い込みから自由になれる言葉の力が必要なような気がします。
初稿 2022/04/23
写真「考える人」オーギュスト・ロダン, 1926.
撮影 2018/11/03(東京・国立西洋美術館)