長男が薦めてくれた本をきっかけに、これまで見過ごしてきた「考えるということ」について、いろんな問いかけがなされてきたことを少しだけ知ったような気がします。
「それは、いったいどういうことなのか?それは、なぜそうなのか?」といった、名だたる哲学者達の問いかけが、思いもよらぬ巡り合わせを介して誰かの人生であったり社会や文化を含んだ世界へ影響を及ぼしていく物語を木田元は綴ろうとしたのかもしれません。
ところで、近代化以降「世界」という言葉は、地球を国境で区切り、各国の立ち位置であったり対立や協調などをイメージされがちで、そういった世界にとって「人間というもの」は不安定な存在なのかもしれません。
「現象学」とは、人間にとって「世界というもの」の意味を考えることであり、その世界が意味をもって成立するためには言語の働きが大切ということを示唆しているような気がします。
「つまりは『世界を見ることを学びなおすこと』にほかならないのである」(134頁)
初稿 2022/05/28
写真「ヘクテルとアンドロマケ」 ジョルジオ・デ・キリコ, 1994.
撮影 2016/05/22(大阪・御堂筋彫刻ストリート)
発行 岩波新書(青版)763, 初刷 1970/09/21.
「それは、いったいどういうことなのか?それは、なぜそうなのか?」といった、名だたる哲学者達の問いかけが、思いもよらぬ巡り合わせを介して誰かの人生であったり社会や文化を含んだ世界へ影響を及ぼしていく物語を木田元は綴ろうとしたのかもしれません。
ところで、近代化以降「世界」という言葉は、地球を国境で区切り、各国の立ち位置であったり対立や協調などをイメージされがちで、そういった世界にとって「人間というもの」は不安定な存在なのかもしれません。
「現象学」とは、人間にとって「世界というもの」の意味を考えることであり、その世界が意味をもって成立するためには言語の働きが大切ということを示唆しているような気がします。
「つまりは『世界を見ることを学びなおすこと』にほかならないのである」(134頁)
初稿 2022/05/28
写真「ヘクテルとアンドロマケ」 ジョルジオ・デ・キリコ, 1994.
撮影 2016/05/22(大阪・御堂筋彫刻ストリート)
発行 岩波新書(青版)763, 初刷 1970/09/21.