Liner Notes

観たこと、聴いたこと、読んだことを忘れないように印象に残った光景を栞として綴ってみました

α48G「リサ」 朝倉響子, ---?.

2023-11-18 | Exhibition Reviews
 写真を観ることを通して"そこになにかが在る"ということは言葉によって意味づけられた出来事や物事が事実として存在しているような気がします。

 とはいえ、眼前に在る半身像のような作品は、それ以上もそれ以下でもない在りのままの姿という出来事や物事に過ぎないのかもしれませんが、撮ろうとする写真の意図や構図を通してなんらかの物語を存在させることができるような気もします。

 絡めた長い指を解いて肩の力を抜いたその姿は、"〈あなた〉は誰なの"と興味や関心を覗かせているような気がする一方で、結った髪を解いたその姿からは、そんな"〈わたし〉が〈あなた〉を知りたい"と思っているような気もします。

 ひょっとしたら、この作品もまた、「あなたが〈あなた〉であるとは、どういうことなのか」と〈わたし〉に問いかけているのかもしれません。※

初稿 2023/11/18
写真 「リサ」朝倉響子, --?.
撮影 2023/02/18(東京・文京シビックセンター)
注釈 ※)
α46G「ローリー」 朝倉響子, ---?.
α47G「フラワー」 朝倉響子, ---?.

α47G「フラワー」 朝倉響子, ---?.

2023-11-11 | Exhibition Reviews
 "そこになにかが在る"ということは、〈わたし〉が"そこになにかを存在させている"のかもしれません。

 その"なにか"とは、動物や品物といった名前があれば誰もが容易に分かりますが、物事や出来事といったものは解釈が分かれるように思います。

 肩肘を張ってはいるものの、絡めた長い指を顎に添えたその姿は、"〈わたし〉は〈あなた〉とは違うはずよ"と苛立ちを覗かせているような気がする一方で、目深に被った帽子を脱いだ姿からは、そんな〈わたし〉を〈あなた〉に知ってほしいと思っているような気もします。

 ひょっとしたら、この作品もまた、「あなたが〈あなた〉であるとは、どういうことなのか」と〈わたし〉に問いかけているのかもしれません。※

初稿 2023/11/11
写真「フラワー」 朝倉響子, ---?.
撮影 2023/01/25(東京・グランドヒル市ヶ谷)
注釈 ※)α46G「ローリー」 朝倉響子, ---?.

α46G「ローリー」 朝倉響子, ---?.

2023-10-28 | Exhibition Reviews
 朝倉響子の作品には全身を現したもの以外にも、身体の一部を現したものもあります。

 全身を現したものは、それ自体が実在するかのような印象を受けますが、身体の一部を現したものは実在しているというよりは、それを観る〈わたし〉がそこになにかを存在させているような気がします。

 長い指を絡めて肩肘を張るその姿は、"〈わたし〉は〈あなた〉とは違うのよ"と自信を覗かせているような気がする一方で、目深に被った帽子からは、そんな〈わたし〉を〈あなた〉から隠そうとしているような気もします。

 ひょっとしたら、「あなたが〈あなた〉であるとは、どういうことなのか」と〈わたし〉に問いかけているのかもしれません。

初稿 2023/10/28
写真 「ローリー」朝倉響子, --?.
撮影 2023/02/18(東京・文京シビックセンター)

α45F「翔」朝倉響子, 1981.

2023-10-08 | Exhibition Reviews
 新緑のはじけるようなみずみずしさのなかに、真夏の太陽に照らされて躍動する生命力に気づく「夏」という世界※1

 一方で、まだ見ぬ"あした"に陽の光を浴びながら顔を向けて、ありのままの姿で立ちあがり、耳を澄ませることで〈わたし〉が夜明けを告げる「晨(あした)」という世界※2

 とある駅のフォームへ続く階段のそばにたたずむ両腕を広げた女性像の名は「翔」。その読み方は"かける"、その意味は"翼を広げて大空をかけめぐる"ということだそうです。

 「夏」から「晨(あした)」、そして「翔(かける)」へと続く世界は、〈わたし〉が宇宙や自然に潜む目には見えぬ大いなる力の存在に気づきつつも、自らの無限の可能性にもまた気づくような物語なのかもしれません。

初稿 2023/10/08
写真 「翔」朝倉響子, 1981.
撮影 2023/04/23(千葉・佐倉)
注釈
※1)α41F「夏」朝倉響子, 1984.
※2)α42F「晨」朝倉響子, 1974.
  α43F「晨」朝倉響子, 1982.
  α44F「晨」朝倉響子, 1966.

α44F「晨」朝倉響子, 1966.

2023-09-29 | Exhibition Reviews
 朝倉響子の作品には、漢字一文字の同じ名でありながらも、違うデザインのものが幾つかあります。「晨」は少なくとも三つあり、読み方は"あした"、意味は"夜明けを告げる"ということだそうです。

 "夜明け"は自然が創りだす世界ですが、"夜明けを告げる"のは、必ずしも陽の光が有ろうと無かろうとも、"あした"に向かって膨大な言葉のなかから無限の意味を選ぶ〈わたし〉が創りだす世界もあると思います。

 ところで、無限の意味を持つ膨大な言葉のなかからある視点で選んで記された書物はそれを記した〈あなた〉という存在そのものに収束するのかもしれず、その書物を読むことによって、その言葉が〈わたし〉を語っているような気がします。

 とある図書館の書棚の傍らで立ちあがって耳を澄ます少女の像の瞳には、ひょっとしたら、〈わたし〉という存在を照らす夜明けの光が映しだされているのかもしれません。

「人間が日頃使っている言葉が、私たちの人生をつくっているの。それをしっかりと理解することがまず大事なことなの。言葉はあらゆるものを導くわ」※

初稿 2023/09/29
写真 「晨」朝倉響子, 1966.
撮影 2023/04/23(東京・都立図書館)
出典 ※)「賢者の書」喜多川泰, 2009.(p.168)