東京都新宿区にある稲荷鬼王神社。
稲荷神社は、承応二年(1653)将軍家綱の頃、当所の氏神として稲荷大明神を勧請されたもので、鬼王神社は、宝暦二年(1753)当所の百姓田中清右衛門が紀州熊野から鬼王権現を勧請し、天保二年(1831、稲荷神社に合祀されたといいます。
この鬼王権現は、湿疹・腫物などの病に霊験があり、当社に豆腐を奉納して、治るまで豆腐断ちをするといいます。鬼を春の神とみなし、春の節分には、「福は内、鬼は内」と唱えるとか。
神社の説明には、将門公について触れているところはありませんが、「鬼王」という名の由来は、将門の幼名「鬼王丸」から来ているといわれ、将門の霊を祀っているといわれています。
鳥居の左手に力士様と呼ばれる鬼の形をした石の水鉢があります。
もとは、文政の頃、加賀美某の邸内にあったもので、そこから毎晩夜中に井戸で水浴びをするような音がするので、加賀美某が、刀で切り付けたところ災難が頻繁に続いたといいます。そこで、天保四年、刀と共に鉢が当社に寄進されました。
鬼の肩に刀傷が残っているそうですが、はっきりとはわかりませんでした。
この鉢に水を注ぐと、熱病や子供の夜泣きに霊験があるそうです。
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稲荷神社は、承応二年(1653)将軍家綱の頃、当所の氏神として稲荷大明神を勧請されたもので、鬼王神社は、宝暦二年(1753)当所の百姓田中清右衛門が紀州熊野から鬼王権現を勧請し、天保二年(1831、稲荷神社に合祀されたといいます。
この鬼王権現は、湿疹・腫物などの病に霊験があり、当社に豆腐を奉納して、治るまで豆腐断ちをするといいます。鬼を春の神とみなし、春の節分には、「福は内、鬼は内」と唱えるとか。
神社の説明には、将門公について触れているところはありませんが、「鬼王」という名の由来は、将門の幼名「鬼王丸」から来ているといわれ、将門の霊を祀っているといわれています。
鳥居の左手に力士様と呼ばれる鬼の形をした石の水鉢があります。
もとは、文政の頃、加賀美某の邸内にあったもので、そこから毎晩夜中に井戸で水浴びをするような音がするので、加賀美某が、刀で切り付けたところ災難が頻繁に続いたといいます。そこで、天保四年、刀と共に鉢が当社に寄進されました。
鬼の肩に刀傷が残っているそうですが、はっきりとはわかりませんでした。
この鉢に水を注ぐと、熱病や子供の夜泣きに霊験があるそうです。
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