千本通から下立売通を東へ少し行くと、銭湯の向かい側に平安宮内裏内郭回廊跡の石碑があります。
平安宮 内裏内郭回廊跡
桓武天皇延暦13年(794)に遷都された平安京の中心をなす宮殿の一画は現在の千本丸太町一帯の地に置かれていた。
そのうち天皇の住居であった内裏は、大極殿のあった千本丸太町東北方のこの地域に東西57丈(約173m)、南北72丈(約218m)の広さで造られていた。
この内裏は厳重な築地回廊で囲まれていた。
その遺跡の一部は昭和38年の下水道工事で知られ、昭和44年、48年の発掘調査でさらに明らかとなった。
その結果、ここには内裏内郭の築地回廊の西南部が埋れており、その基壇西縁の凝灰岩(ぎょうかいがん)羽目石、束石(つかいし)、覆石が遺存し、約30mの長さにわたって南北方向に延びていることが確かめられた。この回廊の幅は約35尺(10.5m)である。
平城宮、長岡宮の内裏築地回廊と同規模である。
この回廊跡は、現在知られている、内裏の確実な遺跡としては唯一のものであり、朝堂院、豊楽院(ほうらくいん)における遺跡の一部と共に、平安京研究上重要な基準となるものである。
昭和49年4月
平安博物館 発掘調査(案内板)
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平安宮 内裏内郭回廊跡
桓武天皇延暦13年(794)に遷都された平安京の中心をなす宮殿の一画は現在の千本丸太町一帯の地に置かれていた。
そのうち天皇の住居であった内裏は、大極殿のあった千本丸太町東北方のこの地域に東西57丈(約173m)、南北72丈(約218m)の広さで造られていた。
この内裏は厳重な築地回廊で囲まれていた。
その遺跡の一部は昭和38年の下水道工事で知られ、昭和44年、48年の発掘調査でさらに明らかとなった。
その結果、ここには内裏内郭の築地回廊の西南部が埋れており、その基壇西縁の凝灰岩(ぎょうかいがん)羽目石、束石(つかいし)、覆石が遺存し、約30mの長さにわたって南北方向に延びていることが確かめられた。この回廊の幅は約35尺(10.5m)である。
平城宮、長岡宮の内裏築地回廊と同規模である。
この回廊跡は、現在知られている、内裏の確実な遺跡としては唯一のものであり、朝堂院、豊楽院(ほうらくいん)における遺跡の一部と共に、平安京研究上重要な基準となるものである。
昭和49年4月
平安博物館 発掘調査(案内板)
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なかなかの碑があるのですね!感心しました。
いつも読んでくださってありがとうございます。