岡崎の大林寺は、明応2年(1493)、松平光重が天盈良倪(てんえいりょうげい)を開山として明大寺に創建、当初は光林寺と称していました。
享禄3年(1530)、徳川家康の祖父・松平清康の命で現在地の岡崎城の北に位置する魚町に移転されました。
天文4年(1535)12月、清康は尾張の守山城で変死し、遺骸は随念寺で荼毘にふされました。清康の夫人・春姫(西郷信貞の娘)は尼となり、天文17年(1548)2月、大林寺にて死去。
天文18年(1549)、清康の子で、家康の父・松平広忠も若くして亡くなります。
松平氏は織田氏・今川氏への影響を恐れ、ひそかに遺骸を大林寺に移し、能見村に葬り、清康、広忠、春姫の霊廟が本寺に置かれることとなりました。
境内の一角に「松平廟」があり、松平清康、広忠、清康夫人・春姫の墓が並んでいます。
それらの真ん中にぽつんとある獅子の頭の形をしている石は、「獅子頭」と呼ばれています。
この石は、幼い頃に人質に出され、父を失い、不遇の幼少期を送った8才の竹千代(後の家康)が、立派な武将に成長したら、岡崎城に戻った時に父の墓を建てる」と決意し、家来に命じて岡崎城から運ばせたものだそうです。
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