日々史跡めぐり

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元和キリシタン殉教の地

2014-12-19 | 石碑
日本の大殉教と呼ばれるものは三つであり、1622年9月10日の長崎の殉教、1623年12月4日の江戸の殉教、そして京都の大殉教。

江戸幕府のキリシタン弾圧は、慶長17(1612)年に始まり、二回目の弾圧は,元和年間(1615~23)に始まり,元和5(1619)年、伏見城に上洛していた徳川秀忠は、伏見でキリシタン投獄者がいることを知ると、老若男女の区別なく、全ての信者を火あぶりで処刑するように命じたといいます。小川牢屋敷に投獄されていた信者たちは、52人が大八車に積み込まれ、見せしめのため、六条から七条まで引き回された後、27本の十字架に縛られました。夕暮れになると、六条河原で、十字架を囲む薪の輪に火が付けられ、悲惨な最期を遂げました。



その中で、最も人々の涙を誘ったのは、橋本太兵衛の妻テクラと子供たちで、3人の子供と一緒に縛られたテクラは、泣き叫ぶ子供たちを励ましながら、最後まで抱き締めていたといいます。

中山正美作「都の大殉教」より テクラ橋本(バチカン美術館蔵)

川端通りの正面橋のふもとに「元和キリシタン殉教の地」という石碑が建っています。





鞍馬石に「元和キリシタン殉教の地」と刻まれています。



1994年8月、平安遷都1200年の記念事業として、この碑が建てられました。

人は人に対してどうしてここまで残酷になれるのでしょう?

このような悲惨な出来事が過去にあったということを、後世まで語り継いでいかなければなりませんね。

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2 コメント

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日本のキリシタン三大殉教地! (willy_tsuguo_shikata)
2014-12-20 06:16:43
日本のキリシタン三大殉教地!
>川端通りの正面橋のふもとに「元和キリシタン殉教の地」という石碑が建っています。
これは知らなかったし、見たことがありません。
よく細かく京都を見て歩いておららるのには感嘆しています。
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四方さんへ (しずか)
2014-12-20 15:46:25
四方さん、コメントありがとうございます。

ここは予め調べて行きました。

京都のキリシタン関連の地も気になるところです。
返信する

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