日々史跡めぐり

日本のあちこちの史跡、神社仏閣を巡っています

修学院離宮(4) 中離宮の楽只軒

2020-01-29 | 建築物

楽只軒は、後水尾上皇の第8皇女・光子(てるこ)内親王のために1668年(寛文8年)造営された朱宮(あけのみや)御所の一部です。



瓦葺、杮庇の建物。

手前が「一の間」とその奥が二の間



一の間は6畳で、狩野探信の「吉野山桜図」が描かれています。

二の間は8畳で、「竜田川紅葉図」が描かれています。

「楽只軒」の額は後水尾院の筆によるものです。



上離宮に向かって、再び田園風景を眺めながら歩いて行きます。

 

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2 コメント

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四方さんへ (しずか)
2020-01-30 08:41:13
紫衣事件、春日局の無位無官の身での拝謁強行→幕府への不満が爆発→わずか7歳の興子内親王 (明正天皇) に突如譲位。その後4代にわたって院政を執り、学問・詩歌を好み、修学院離宮を造営。

そのお気持ちがわかるような気がします。
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後水尾天皇の第8皇女 (tsuguo shikata )
2020-01-30 06:47:10
後水尾天皇の中宮:徳川和子(東福門院)(1607-1678)の越し入れには幕府のごり押しで宮廷とおおもめした!第二皇女:興子内親王(明正天皇)(1623-1696)第三皇女~第八皇女光子と皇女ばかり出生。第二皇女を上記のように時期女帝とごり押しした。
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