日々史跡めぐり

日本のあちこちの史跡、神社仏閣を巡っています

将門塚

2013-09-13 | 平将門
さあ、ついにこの場所にやって来ました。

平将門の首塚「将門塚」です。



場所は大手町のパルビルと三井物産ビルの間に挟まれた緑に囲まれた一画にあります。
ここに来るにはかなりの勇気が要りました。
なぜかと言うと、ここは、いろいろな伝説が残されており、水や花をお供えせずにお参りしたり、塚の写真を撮ると、事故に遭うとかカメラが壊れるとか・・・

とりあえず、お供えする水は持って、塚へお参りすることにしました。



しかし、ここに着いたとたん、雨が風が一層強くなり、ただでさえ、怖いとされている場所なので、訪れたことを後悔させられるような雰囲気になってきました。





それでも何とか撮影を続け・・・



首塚の境内には、多数の蛙の置物が奉納されています。



将門の首が京から飛んで「帰った」ことから、必ず帰る=カエルにひっかけているそうです。

将門塚がある場所は、江戸時代、譜代の重臣・酒井雅楽頭の上屋敷でした。



真正面からのアングルは避け、斜めから撮影

供養碑の後ろにあるのが、もともと将門の墓といわれる石灯籠




将門は、伯父の平国香を殺し、下総・常陸で反乱をおこし、関東を制覇。新王と称したが、940年2月14日、平貞盛、藤原秀郷に討たれた。

東京都千代田区大手町にある将門塚の歴史

この地はかつて武蔵国豊嶋郡芝崎村であった。住民は長らく将門の怨霊に苦しめられてきたという。諸国を遊行回国中であった遊行二祖他阿真教が徳治2年(1307年)、将門に「蓮阿弥陀仏」の法名を贈って首塚の上に自らが揮毫した板碑を建立し、かたわらの天台宗寺院日輪寺を時宗(じしゅう)芝崎道場に改宗したという。日輪寺は、将門の「体」が訛って「神田」になったという神田明神の別当として将門信仰を伝えてきた。その後江戸時代になって日輪寺は浅草に移転させられるが、今なお神田明神とともに首塚を護持している。時宗(じしゅう)における怨霊済度の好例である。

首塚そのものは関東大震災によって倒壊し、周辺跡地に大蔵省が建てられることとなり、石室など首塚の大規模な発掘調査が行われた。その後大蔵省が建てられるが、工事関係者や大蔵省職員の相次ぐ不審死が起こり、将門の祟りが大蔵省内で噂されることとなる。大蔵省内の動揺を抑えるため昭和2年に将門鎮魂碑が建立され、神田明神の宮司が祭主となって盛大な将門鎮魂祭が執り行われる。この将門鎮魂碑には日輪寺にある他阿真教上人の直筆の石版から「南無阿弥陀仏」が拓本された。

この地は、東京駅に近く皇居の間近に位置するため、周辺にはオフィスビルが林立しているが、この一角だけはそれほど広い敷地ではないにもかかわらず鬱蒼とした木が茂り、現在でも、一種異様な雰囲気を醸し出している。敷地内には、蛙(ガマガエル)の置物が数多く石碑の周囲に置かれている(後述)。そして、線香の匂いが絶えることがなく物静かで、そこに表通りの車の音がする場所である。

数十年にわたり地元のボランティア団体が浄財を元に周辺の清掃・整備を行っているが、その資金の預金先として、隣接する三菱東京UFJ銀行に「平将門」名義で口座が開かれていた。

祟り伝説

築土神社や神田明神同様に、古くから江戸の地における霊地として、尊崇と畏怖とが入り混じった崇敬を受け続けてきた。この地に対して不敬な行為に及べば祟りがあるという伝承が出来たのも頷けるものがある。そのことを最も象徴的に表すのが、第二次世界大戦後に、GHQが周辺の区画整理にとって障害となるこの地を造成しようとしたとき、不審な事故が相次いだため、結局、造成計画を取り止めたという事件である。

結果、首塚は戦後も残ることとなり、今日まで、そのひと気のない様に反し、毎日、香華の絶えない程の崇敬ぶりを示している。近隣の企業が参加した「史蹟将門塚保存会」が設立され、聖域として守られている。その一方、一部のオカルトファンに心霊スポットとみられる風潮もある。

隣接するビルは塚を見下ろすことのないよう窓は設けていないとか、それらのビルでは塚に対して管理職などが尻を向けないように特殊な机の配置を行っているといったことが話題に上ることがあるが、これらは都市伝説の類である。(Wikipediaより)

この将門塚にまつわる噂は、単なる噂話かと思ってたのですが、PCに写真を取り込んだ後、SDカードとバッテリーが壊れ、デジカメの調子までおかしくなりました。

これはまさか・・・

後日談

結局、この日以来、カメラは不調のまま。撮影した画像が認識できない状態になってしまうので、新しくデジカメを購入することになりました。

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稲荷鬼王神社

2013-09-10 | 平将門
東京都新宿区にある稲荷鬼王神社。



稲荷神社は、承応二年(1653)将軍家綱の頃、当所の氏神として稲荷大明神を勧請されたもので、鬼王神社は、宝暦二年(1753)当所の百姓田中清右衛門が紀州熊野から鬼王権現を勧請し、天保二年(1831、稲荷神社に合祀されたといいます。



この鬼王権現は、湿疹・腫物などの病に霊験があり、当社に豆腐を奉納して、治るまで豆腐断ちをするといいます。鬼を春の神とみなし、春の節分には、「福は内、鬼は内」と唱えるとか。
神社の説明には、将門公について触れているところはありませんが、「鬼王」という名の由来は、将門の幼名「鬼王丸」から来ているといわれ、将門の霊を祀っているといわれています。



鳥居の左手に力士様と呼ばれる鬼の形をした石の水鉢があります。



もとは、文政の頃、加賀美某の邸内にあったもので、そこから毎晩夜中に井戸で水浴びをするような音がするので、加賀美某が、刀で切り付けたところ災難が頻繁に続いたといいます。そこで、天保四年、刀と共に鉢が当社に寄進されました。
鬼の肩に刀傷が残っているそうですが、はっきりとはわかりませんでした。
この鉢に水を注ぐと、熱病や子供の夜泣きに霊験があるそうです。



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神田明神 その弐

2013-09-08 | 平将門
今日は、神田明神の境内を紹介します。


だいこく様尊像



石造では日本一の大きさを誇るそうです。


えびす様尊像



波間より、いるかや亀など海の仲間たちに

守られていらっしゃるお姿をしています。



鉄製天水桶



御社殿前にある天水桶は弘化4年(1847)に

「摂州灘大石」と「筋違外」の酒屋中によって

奉献されたものです。


銭形平次碑



まだまだ見所の多い神田明神です。

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神田明神 その壱

2013-09-06 | 平将門
御茶ノ水駅から湯島聖堂の方向に向かい、湯島坂を進むと、神田明神(神田神社)の大鳥居が見えてきます。



大鳥居をくぐるとすぐに随神門があります。



神田神社の創建は、730年(天平2年)とされ、大国主命を祭神とし、創建当時は現・大手町にありました。その後、天慶の乱に敗れた平将門の首が神社近くに葬られると、鎮魂のために将門の霊を祀るようになりました。



1603年には、江戸城の拡張に伴い、駿河台へ1616年には江戸城の鬼門にあたる現在地へ移転。
2代将軍・徳川秀忠の命で社殿が築かれ、江戸の総鎮守となりました。



以後、幕府はもちろん江戸庶民に至るまで多くの人々の崇敬を受けました。





しかし、明治維新後、将門を逆賊とする政府によって祭神から外され、1874年に大洗磯前神社の少彦名命の分霊が祀られました。

将門が本殿に戻るのは、関東大震災で被災した社殿が復興する1934年のことで、三の宮として正式に
祀られるようになるのは1984年になってからのことでした。


将門公が祭神として祀られている三の宮



以下、神田明神で頂いてきた小冊子より抜粋

歌舞伎の世界でも将門公は活躍しました。
二月に当社にご参拝された十二代・市川団十郎丈のご先祖・市川団十郎(五代)は、歌舞伎十八番の演目「鎌髭」で将門公を演じ、その後も中村歌右衛門(四代)や松本幸四郎(五代)、市川左団次(初代)が将門公を演じ人気となり、浮世絵にも多く描かれました。現代も加藤剛(NHK大河ドラマ「風と雲と虹と」)や堤真一(演劇「幻に心もそぞろ狂おしのわれら将門」)、最近では滝沢秀明(演劇「滝沢歌舞伎」)といった一流の俳優によって将門公が演じられ続けています。
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素盞雄神社(南千住)

2013-09-04 | 神社
東京の荒川区を歩いた時の記録です。

素盞雄神社(すさのおじんじゃ)は、東京都荒川区南千住にある神社で、地元では天王様と呼ばれています。



ご祭神は、素盞雄大神(すさのおおおかみ)と飛鳥大神(あすかおおかみ)





素盞雄大神と飛鳥大神が、境内に光を放ち降臨した小塚の中の奇岩を瑞光石(ずいこうせき)と言います。



松尾芭蕉が1689年3月27日に「奥の細道」へ旅立った際、千住で別れを惜しんだことを記念して建てられた旅立ちの記念碑があります。









現在の千住大橋

千住大橋は、1594年に伊奈忠次によって架けられた隅田川最古の橋です。



隅田川



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