*らいてうの有名な言葉「元始、女性は太陽であった」
*私が一番好きだったらいてうの若い頃の写真。
長野・上田から向かった先は「平塚らいてうの家」。
平塚らいてうは、思想家、評論家で日本の女性解放運動を
始めた人で、のちには平和運動にも関わっていきます。
彼女が出した雑誌「青鞜」はあまりにも有名です。
5年前に建てられたという記念館を訪れました。
入り口のガラス戸は青鞜の表紙を飾った長沼千恵子の絵が描かれていました。
高村光太郎の智恵子抄に出てくる千恵子はこの長沼千恵子です。
学生の頃から、高村光太郎が好きだったのでそのつながりで
平塚らいてうも私にはとても親しみのある人でした。
地元の9人の女性建築家たちが設計、建てられたこの家は
地元産の木をふんだんに使ったとても居心地のよい家でした。
*ホールの広い空間にはステンドグラスがはめ込まれていました。
*この文机はらいてうが最後まで
愛用していたものだそうです。
とても活動的で恐そうな女性をイメージしていましたが
実際のらいてうさんは声が小さく、おとなしい人だったらしい。
本名:平塚 明 で「らいてう」とは高山の鳥、雷鳥のこと。
いつも人から離れて一人でいたというらいてうは
自分をこの雷鳥と重なり合わせていたようです。
雷鳥である自身が高く飛んで太陽の周りをぐるぐると回りながら
飛翔している姿をイメージしていたと云います。
自分がどのようにありたいかをイメージすることは
大事なことだなと感じました。
らいてうさんの人生に触れることが出来、
とても有意義な時間を過ごすことが出来ました。
平塚らいてふの会の方々、本当にどうもありがとうございました。