4人の子育てを通して感じることは“へたれないでくれれば、それでよし”ということ……。
どんなに親が心配の上に心配の衣を着せかけても、子どもの歩む人生は平たんではない。だからこそ、うまく行ったとき、成果が上がった時に“幸せ”をよりよく感じるのだろうと思うようになった。
昨日の夕方、夏期講習に行くことになった末っ子と塾の“学習相談会”なるものに出かけた。徒歩15分の場所、私は「歩き」だが、末っ子は面倒臭がって「自転車で行く」といった。場所の説明をして、私は先に家を出た。途中するするっと、追いぬかしていった末っ子がいた。声をかけたが、恥ずかしかったのか知らんぷりをして通り過ぎて行った。後姿を見ながら、大分、あの子が待つなあと思った。
ところが、約束の場所に末っ子の姿が無かった。一度経験すると親があっけにとれるほど物おじしない子どもなのだが、初めてのところに一人でなんとかという度胸はあまりない。当然だが、塾にも入っていなかった。間違いようのない場所で煙のように消えてしまった。
待てど暮らせど現れず、相談会は後日改めてということで家に戻った。初めは「どこに行ったの…あのばか!」「分からないなら分からないっていやあいいものを…」とかっか、かっかきていたのが、今度は別な心配が……「事故にでもあったのだろうか」「誰かに連れて行かれたのだろうか」……身長170センチ近くのたっぷり系、どちらかというとお茶目な顔立ちの中学生……それでも、親は目の中に入れても痛くないほど可愛いくてかわいくて仕方がない。「これで、帰ってこなかったらどうしよう……」「あいつ、道わかるのかなあ?」心配で心配でたまらなくなった。
ぶつぶついいながらいらついていたら、汗まみれになって情けなさそうな顔をした末っ子が帰って来た。看板を見落として、ずっと先まで行ってしまったようだ。おっちょこちょいな失敗よりも、無事に帰ってきてくれたことに本当にホッとした。情けない失敗は失敗だが、自分の力で戻ってきたことに大人になったなあと感じた。私はいい失敗ができたと感じていたが、本人はベッドにもぐりこんでしばらく返事ができなかった。風呂を沸かし無理やり入るように促した。
へたらなければ、それでいい。
私も心しよう。 末っ子は、しっかり育っている。 いつまでも可愛いかわいいと手を出し、口を出ししてはならない。