つれづれおもふ

思えば遠くに来たもんだ~ぼつぼつ語る日々の出来事

困ってる・・・ガールズトークから

2012年05月17日 | 日記

以前“親は哀し”で登場したMが落ち込んでいるから 「ランチでもしない?」 と連絡が来た。

「行く!行く!私も愚痴りたあい!」 だが、急な話しだったので場所が決まらず 「面倒だわね、うちに来たら?」

で、我が家でのびのびガールズトークとなった。

第1子の年齢が同じというだけのこの仲間たち。年齢も経歴も、学歴も職歴も、すべてがまちまち。

平成元年に子育てを開始したーーそれだけの理由でここまで続いているのだが、

縁なんてそんなものだろう。 

そして、ころころとあんなにみんなで遊んでいた子どもたちの今も、みいんなまちまちになっている。

 

この仲間たちは、大きなことも望まず、身の丈で、一生懸命生活し、まじめに子育てをしている仲間達だ。

どこにでもいる親と同様に、どの親も必死に子どもと向き合っている。 

懸命な親たちだと思う。

それでも、子育ての苦労はつきない。


Mの息子のその後が、芳しくない。

「もうそれはね、家を出して、嫌でも自立させるしかないね」

「奨学金はもう親が返すと腹くくって、追い出しなさい」

「どっか農家とか、酪農とか、漁師とか、そういうところに頼みこんで使ってもらうとか・・・」

すっかりと二ートを決め込んだような状況のMの息子に、手厳しい言葉が続いた。 


話を聞きながら、私は昨日読み返したばかりの“下流志向”に登場した“労働から逃走する若者たち”がよぎった。

まるでそうじゃないか!

 Mの息子はコミュニケーションがへたくそだ。会話が成り立たない。

コミュニケーションが成り立たない理由には、器質的な問題のほかに、 積極的に関係を拒否し話さないと考えられるものがあるようだ。

しゃべることによって関係が改善されると思われないから、自分の意思で話さないというのだ。

私、自分の体験からぎくっとした。

以前、状況をあまり話さない長女に言われたことがある。

「私のこと信じてないから、言っても信じないでしょう。信じてもらえないのに、話す言葉がない」

「なんにも話さないのに、貴女のことをわかれないでしょう」と娘を追いつめた返事だった。

 

鶏が先か、卵が先かという話だが、この経験があったから“下流志向”に書かれた、

「しゃべることによって関係が改善されないと考えるから、コミュニケーションをとらない」という理論に納得した。

Mの息子も同じようだ。話さないから親は気をもみ、いろいろ気をまわし、あれやこれや言い・・・ますます、子どもが動かなくなっているようだ。

こんなことを続けている息子を離したら、何かしら負債を背負うのは目に見えているが、彼の人生は今だけではない。

この先10年、20年、その先を考えるのなら、ここで背負う負債ぐらいでは済まない事態になることも容易に想像がつく。

だから、仲間たちは口々に家を出すことを薦めた。

そう簡単に決められることでないと分かっていても、それしかないだろうと思う。 

 

一人がポツンと言った。

「男女平等というけれど、これが女の子だったら、ちょっとちがうよね」

本当にそうだ。 本当に申し訳ないけれど、男の子はきつい人生を望まれる。

こういうことを思うと、声高に男女平等など言っていいのかと考える。

男女平等ではなく、個々個人が男女ということで区別や差別されてはいけないということなんだろうけれど・・・。

 

私の愚痴も彼女たちはたっぷりと聞いてくれた。

連日こういう機会があってよかった。いや、彼女たちは、いつもそうだ。

何か匂いを嗅ぎつけるように「お茶会しよう」と声があがる。

「ほっとけない」という「おせっかい」が、二ートを減らす方法という“下流志向”

それは生きて行く上で、二ートだけではなく人間が必要としているものだと感じている。

 

ああ、Mの息子も、外に出て、人と話をして、自分はひとりではないと確信してくれるといい。

 

 

 

 

 

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下流志向 まなばない子どもたち 働かない若者たち・・・内田 樹

2012年05月17日 | 本・・・

リードオルガンさんのブログに、この本の一節が取り上げられていた。

あれ、私読んだよなあと思ったが、どうにも内容が浮かんでこない。
他のことで、本棚を整理していたらたまたまめぐり合った。これも、本の出会いなんだろう。
引っかかっていたので、再び手に取り頁をめくった。

 ああ、ああ、ああ、ああ、ああ・・・・・・

そうだ、そうなんだという理論が展開されている。 そうだったよなあ・・・そして次に、この本を読んだ時のことを思い出した。
二三、私の抱えていた状況とは相いれない部分もあるが、個々の部分がすべてに同等などあり得ない。
それを思えば、この本の内容に同調できる。

本の最後の方にこういう発言があります。

均質性さえ維持していれば、どんな社会であっても構わないというのが日本人の「本音」なんだから。

均質性・・・それで幸せなら、それでもいい。だが、型にはまらず、型からはみ出ることもできず辛い思いをしているたくさんの子どもたちがいる。
若い世代が、明るく笑って過ごせるのなら、均質性だろうがなんだろうがそれでもいい。でも、違うじゃないか!

経済的な発展が導き出した、今の日本の社会。自分たちでこうしたから、自分たちでどうにかしなくちゃいけない。
どうか子どもたちよ、あきらめずに目指してほしい。そういう希望をわすれないでほしい。

文庫本のあとがきに

この本の緊急性が失われる日が来ることを待ち望んでいます。 私自身がこの本を手に取って「ずいぶん力んで書いていたな」と苦笑する日が来ることを切望しています。そして、そういう日が来るまでは、できればこの本の批評性が失われないことを願っています。

とあります。そういう日が早く来ることを望みます。 

 

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