これも図書館で出会った本。
たまたま偶然なんだろうが、同じ時に借りた「三面記事小説」とその成り立ちは同じだと感じた。
「三面記事小説」が新聞に載った事件を発想のもとにしているのに対して、
この本は、作家が旅の途中で見聞きしたものから閃いたことを紙ナプキンに書きとめるという手法で、生み出されたものだ。
長いものでも50頁ほどの短編集。
短編というのはとてもおしゃれな作りになるものだなあと、この二作を続けて読んで感じた。
それに、作家という作り手の才能を垣間見たような気がする。
性懲りもなく繰り返す同僚の不始末の後始末をする 「事情聴取」 と
血反吐を吐くまで部下を追いつめる上司との争いを描いた 「トルネード」 が好きだが、他にも印象に残る話が多い。
「氷雨のフリーウエイ」で、あこがれの作家に会いに行こうとしている女性にこう語らせている。
――
「彼の小説の魅力は、じつは男性の登場人物たちだけじゃなくて、女性なんです。
いえ、女性じゃないわ。ちがう、そう、女性の扱い方、と言うべきかしら」 (中略)
彼が女性をよく理解しているとか、女性がよく描けている というのとはちがうんです。つまり、どんな平凡そうな女性の脇役にも、彼が注ぐ視線は暖かいのね。男性向きと言われているエンターテインメント小説には多いんだけど、生活に疲れた平凡な主婦とか、倦怠期を迎えた中年の女性たち対して、どうしても侮蔑や嘲笑が出るでしょう。少なくともあの手の小説の大半に、わたしはそれを感じるんです。でも彼の作品にはそれがないわ。どんなにつましく平凡そうに生きている女性にも、彼の注ぐ視線は温かい。(後略)
これは作家として、佐々木譲が心していることなんだろうと思った。
私もこの年齢になって、私のような世代の、ぱっとしない女性の描き方にひどいなあと感じるモノがあるようになりました。
それは、ほとんどが書き手が無意識に持っている品性のようなもので、どう注意しようとあふれてしまうものなのだろう。
やっぱり読んでいてそう感じると、次にその作家のものを手に取ることはない。 おばちゃんだってプライドもあるし、傷つくんです。
それと、道警シリーズでは登場人物たちを自由自在に、北海道中を飛びまわらせている佐々木譲。
そちらではご当地作品として、何がどう出てこようと、あまり気にならなかったのだが、
――
(前略)親が許してくれるのは、北大か教育大だけ。地元の国立大学以外は駄目だって、頑固なんだから。(後略)
は、あまりに生々しくて引っかかってしまった。(これは今の私だからだろう・・・)
北海道を舞台にといえども、もう少し想像の翼を広げられるとよかったなあ。
でも、どれも面白く読み切った。