つれづれおもふ

思えば遠くに来たもんだ~ぼつぼつ語る日々の出来事

これは愚痴です

2014年01月20日 | 徒然に、

まあ、いわゆるどの家庭にもありがちな世代間での意識の違い。

そのために、私は継母がとにかく嫌いだし、苦手だ。

立場の違いからもあり、受け入れることができないでいる。

昨年十一月、我慢の糸をつなぐこともせず、私は電話口で彼女をののしり倒した。

以来、おそらく縁が切れた。

 

そのいきさつを叔父に連絡した。

「あなたの父親のメンツを保つためもあるから、俺はあっちにつくよ」と言われた。

その折、仏壇に祭ってある位牌の事も話題に出した。

実家の仏壇には祖父母が一緒に入ったものが一本、父一人のもの、母一人のもの、と三つの位牌が並んでいる。

並んでいるのを眺めながら、なぜ、実の両親を一つの位牌に入れられないのか、

心に染みが湧いてきていた。

叔父は 「じいさんばあさんの物を寺に戻せばいい話」 といった。

昨年三月継母が実家から引っ越すときに、私はそれは聞いておかなければと電話で尋ねた。

「うちの墓にはいるのはどうするのか?」

彼女の返事は自分の実家のほうに入るからいいというものだった。

そういって出て行った人に、遠慮しなければならないものなのか?

「出て行った」というと彼女は心外なんだろうから言い直すと「追い出した人」に…か。

じわじわと心の染みは広がって、ますます継母への憎しみが大きくなっていくのを感じている。

 

私の母親が亡くなった時の事情は、ちょっと普通ではない。

今ならよく聞く話だが、当時は大変なことだった。

それだけ隠されていたんだと思う。

大人になって振り返ると、どうにもならなかったんだろうなあという背景が理解できるが、

多感な年ごろだった私と姉はそういう事情から遠ざけられた。

母が亡くなったことをなかったことのようにされた…結果としてだが、そう感じてしまった。

母が死んで44年になる。そんなひねくれた受け止め方はいけないとはわかっていても、

どうしようもない。

ああ、こういう思いに姉はがんじがらめにされて身動きできなくなっていったんだと思う。

私一人さっさとこの家を逃げ出した付けを、今払っているように感じている。

 

もう少したって、手続きが終わり、いろいろなことが落ち着いたら、

手続きも気持ちも整理がついたら、

その自分の思いを叔父に話そうと思う。

位牌なんてどうでもいいことだが、自分の中に広がっていくこの嫌な染みがこれ以上広がったら、

今度は旦那や子どもたちに辛い思いをさせてしまう。

 

次の世代がすっきりと受け取れるように・・・

私の父は立派な人だったと思うが、このことに関してはまずかったと思う。

それは父親の父、祖父も同じで、言ってみたら父は祖父に対して今の私と同じようなことをしている。

私は立派な行いは何一つできていないが、この点に関しては父も祖父も越えて見せようと考えている。

何かを飲み込むのではなく、心穏やかな人生を送ることができますように・・・。

 

 

コメント (2)
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