つれづれおもふ

思えば遠くに来たもんだ~ぼつぼつ語る日々の出来事

ひまわり畑

2017年08月19日 | ラブラブ
幌加内から妹背牛に向かう途中、北竜町に寄りました。



北竜町は、ひまわり畑で有名です。

幌加内に向かう道すがら、車窓の風景がとても華やかになりました。





道端だけでなく遠くに真っ黄色の畑が見えました。



私はせっかくだから寄りたいと思っていましたが、旦那が一言「帰りに寄れるから!」

うちの旦那さん、こういうものに興味がありません。
ドライブも風景を楽しむというより、
地図を楽しむというか、歴史を楽しむといいますか、ちょっと私と違います。
それはそれで自分だったら知り得ないことも多いので面白いことがあるので構わないのですが、
何しろ私の興味は無視します。
若いころは仕方ないなあと考えていましたが、
長い長い付き合いで、それは無いだろうと思うこともしばしばあり、ここ何年かからは言うようになりました。

見に行きたい。
聴きに行きたい。
行って見たい。

ブツブツいいながらも、付き合うようになり、
進歩が見られるようになりましたが、

私が最終的に旦那に求めるのは、
これはお前が好きだから一緒に行ってみようと言いなさいと思っています。

この度のひまわり畑、黙っていれば幌加内から北竜町に寄らず、
妹背牛に真っ直ぐ南下したと思います。
道がありましたから…
私は絶対旦那はそうしたいといい出すと思っていましたから、
行きがけに通りすがりの車窓を何枚も写メしました。
案の定言い出したので、
「やっぱりね!写真いっぱい撮ったから大丈夫!」と返事しました。
しまった!と言う表情の旦那は意地になったのか、「ソフトクリーム食べに行こう」と北竜町にむかったのです。







ニュージーランドに行くと、丘いっぱいに群れる黒い顔の羊が何かの拍子にいっせいにこちらに顔を向けることがあって、すごい迫力だそうです。
それと似たものををひまわり畑に見せてもらいました。

レンタサイクルまで用意された会場内を奥まで行きたいと思いましたが、
さすがに旦那の顔には面倒臭いとありありと表示され、入り口付近に作られていた“世界のひまわり”を見て回ることにしました。

ひまわりて、沢山種類があるんですね!









これは、ゴッホのひまわり



こちらはマティスのひまわり



楽しく見て回りました。
8月の初めにお祭りがあるようで、きっとそのころはこの丘一面が黄色くなるのでしょう。
ゆめのような光景です。

この見事なひまわり畑は、ヨーロッパを見習い30年かけて地元の農家さんが作ったそうです。
初めにやりだした人もすごいけれど、その長い時間にも敬服しました。

ここからペペルにむかったのですが、
なんだかんだと痴話喧嘩しながら楽しい1日を過ごしました。

札幌に着いたのは夜8時、もう夕飯も面倒になり近所のラーメン屋さんがまだ暖簾を出していたので、飛び込みました。

次は、いつかな?楽しみにしています。

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横道世之介

2017年08月19日 | 映画

初めは東京の友人のライン情報だった

「横道世之介  面白いよ」

そういう映画があることすら、私の意識の中にはなかったが、

横道世之介 という、韻を踏んだ奇妙な名前が記憶に残った

この頃、本を読むなら、図書館本か古本屋で手に入れたものなのだが、

いつもの通り古本屋の棚をなめるように観て回っていて、

横道世之介 というタイトルが目に留まった

あ?原作本があるんだ…470ページと、結構持ち重りのする文庫本をかごに入れた

この本がたいそうよかった…

これが山手線新大久保駅で起こった人身事故を題材にしているとは思いもよらず、

それがわかる頁に来た時に思わず手が止まった

びっくりしてしまったのだ

それくらい主人公たる横道世之介は、何処にでもいそうな大学生活をのんきに謳歌している若者だったから、

読み終わったときに、あの亡くなられた日本人の方はどういう人だったのかと知りたくなった

ネットであれこれ検索したら、残されたお母様が、

美談と騒ぐ周囲にそっとしておいてほしいと言い続けられ、孤独死されていることを知った

そうとわかったら、この本の最後の頁が重くなった

いつもの読書メーターの感想には、「ねぎらい」という言葉を選んだが、

それでは言葉が違うような気分を抱いている

そんなもやもやを抱えながら、蔦屋に行ってDVD を借りてきた

高良健吾が世之介を演じていた

お日様のサンバの衣装で踊る高良健吾の姿を観たときに、ああ、この映画かとやっと思いついた

頑張ってこの話を映像化したなと感じた

もう少し、もう少しあればこの本の読後に感じるこのもやもやが映像で形にしてもらえたのではないかと

おもった

でも、確かにいい映画だと感じた

 

この物語は、40歳の時に人助けで亡くなった報道カメラマンの、

大学時代ほんの1年間を切り取ったものだ

出てくる若者たちが、大望を持っているわけでもなく、

大学生になったという時間を過ごしていく

学生たちが友人になっていくのも大した理由はない

たまたま隣に座っていた ちょっと勘違いして声をかけた

断り切れなくて入ったサークル

そんな目の前の出来事に向き合って過ごしているだけなのだ

 

時折、差し込まれる大人になってからの彼らにも、

世之介はさして重要な友人として存在し続けてはいない

だが、ふと思い出し笑える大学時代の友人

誰にでも思い返したときにふっと幸せだったなあと浮かぶ友人

そんな若者として現れる

 

世之介の事故はラジオニュースとして読み手に伝えられる

登場人物が、その事件に明らかな反応をしめすのは大分におしまいのほうになってから

しかも事故から時間が経ってからのことだ

それくらい、現在の彼らには遠い時間となった大学生活…

 

 

この本、世之介の母から元恋人への手紙で終わる

きれいな終わり方だと思ったが、

息子にこんな形で先に逝かれたら、母親として私はこんな風にできるだろうかと思った

実際は違っていたようだ

違っていたからこそ作家から、この親子への気持ちとしてこのきれいな手紙が送られたように感じた

ねぎらい とも違う

感謝 とも違う

何か… 

 

はっきりとはわからないが、それがこの本や映画をいいなあと思えるもののように感じている

機会があれば、皆さん、ぜひまず本を読んでみてください

 

 

 

 

 

 

 

 

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