つれづれおもふ

思えば遠くに来たもんだ~ぼつぼつ語る日々の出来事

それは…

2019年09月25日 | 子育て

次女の夢は映画を作ること

遠回りしたが、映画製作のワークショップに通って技術を学び、

ほんのちょっぴりその世界に引っかかっている

そのワークショップも最終段階になり、

グループに分かれそれぞれに5分程度の映画を作っている

うまくいかないことばかりで、泣いて訴えることもある

昨日は夕飯のあとにぼちぼちと話だした

 

話を聞いていて、思わず、

「それって学校であったら“いじめ”て言われることだよ?」

ワークショップだから若い人ばかりではない

それぞれに仕事をして生活をしている

映画やエンターテイメントとは関係ないところにいる人もいるし、

似たようなところで働いているが、ランクアップしたくて来ている人もいる

要は一筋縄ではいかない“やつ”ばかりのようだ

この映画製作、はじめに全員が脚本を書いて提出する

その中から2本選ばれて、

全員がどちらかに振り分けられて協力して作っていくものだという

何としてでも選ばれたいと娘頑張って頑張って書いて、

2本のうちに選ばれた  だから立場は“監督”

初めはよかったようだ、だんだんと様子がおかしくなっていって、

撮影が終わったら、

ほかのスタッフは予定を合わせるということをしてくれなくなった

すべてが“監督”に集中するようになり、

事務的な連絡に対しても誰も返事をしなくなったという

例えば音響係りの予定を聞いて役者さんを集めても、

肝心の音響さんがいざその時になると「その日は都合が悪い」と言い出すらしい

学校に機材を借りに行くのも誰も一緒に行くと言ってくれないので、

自分の知人を頼んで運んでもらったりしているようだ

私の時代にぴったりの言葉がある「しかとされている」のだ!

ふうん、どうするの?

娘は

「いいんだ、私がしっかりしていればいいことだし」

「いつか賞を取ってこっそり腹の中で見返してやるんだ」

という

我が子ばかりが正しいのではないと思うが、

与えられている役割を放棄できる無責任さ加減には、開いた口がふさがらない

しかも結構な年齢の方もいる…???

平気なんだ??と何度も娘に聞いた

自分がそういうことやって嫌にならないんだ?

不思議でしようがない…仕事ってそんなものだろうか???

私なら自分に与えられた仕事であれば

どんなに嫌な奴でも、そいつに無責任と思われることだけは避けたいと感じる

違うんだろうなあ???

 

しかし、話を聞きながら、思わず娘に長男のことを愚痴った

おんなじことをあなたの兄がやっているよ!

どうしてなんだろうねえ???

あら、で、気が付いた…私も長男にしかとされているんだ!

あらそう、そうかあ、しかとされているんだ!!あはは、笑えるね!

そう思うと、相手にしないのが一番なんだと確信を持てた

 

娘は続けていった、10代の人がそういうことやるんならいいんだけれど、

同年代だったり、うんと年上の人たちでしょう???

もう手が無いよね…

その通りだ、好き嫌いで済むのならそれでいいが、

それで済まないことが人生まだまだ続く、

そうやって逃げた記憶は決して人生を楽にはしてくれない

 

今年のわが子たちは苦難なんだなあ、

なんとか乗り越えてほしいと心から願っている

 

娘は

「私は大丈夫、もうこれで付き合うことはないとわかっているし、

世の中には逃げ出すこともできずに、会社でいじめられても

頑張っている人がいる、それに比べたら全然楽勝!」

 

幸いにしばらくこの娘のそばにいる…話だけはいくらでも聞いてやることができる

 

 

 

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もう一つの用事は、

2019年09月25日 | 日記
叔母の墓参り

長く病んだ末亡くなった叔母だが、最期まではっきりしていたようだ

一人暮らしが長くとてもしっかり暮らしていたが、悪くなってからは、東京に住む従姉妹が付き添っていた
家族だけで見送りたいからと連絡があったので、
手を合わせただけで済ませていた
酒田に行くんだからと住所を送ってもらった


レンタカーのナビに入れて屋根が見える場所まではきたのだが、入口がわからない
ぐるぐる回って振り出しに戻ったら、あったんだな…りっぱなお寺が、


酒田の叔母は、若い頃とても怖い叔母さんだった
訛りも強く、聞き取りにくいのもあって子どもの頃は恐ろしかった

母が早く亡くなってからかな?
叔母たちがよく気にかけてくれて、 折に触れて様子を確かめてくれた、、、父が再婚するまでは、

姉は病気がそれほど見通しが悪くない頃には、退院できたらおばちゃんのところに行って住む と言っていた


手を合わせて、思った
一緒にいるかな?




トントン拍子に予定していた事が終わり、
後は東京に帰るだけ、それまでの時間酒田を楽しむことにした

まずは腹ごしらえ、





観光案内のチラシにあった地図を頼りにたどり着いたのは、趣のあるお蕎麦やさん

「おくりびと」の出演者やスタッフが足繁く通ってくれたとある、店内に置かれたカードを読みながらややしばらく待った

隣のテーブルから楽しげな地元の女性な会話が聞こえてきて、それが叔母の語り口と同じで聴き惚れた



きちんと仕事がされた蕎麦だった
美味しかった


本間様には及びもつかぬが、せめてなりたやお殿様

と謳われた本間家の、本間美術館に行った





別邸はすごかった

大正天皇の別荘として作られたが、大正天皇は上がられたことがなく、昭和天皇が皇太子時代に泊まられたそうだ

勢が尽くされた木造建築は、趣きがあり、
謁見の間からは鳥海山を借景とした美しい庭が一望にできた

即身仏は全国に16体あるそうだが、
山形県には8体あり、その内の2体が酒田の海向寺にある

旦那が観たいというので、ドキドキしながらついていった!



飾り気も何にもないお寺だが、
この入り口の向かい側に、



「おくりびと」のロケ地があった


即身仏、は、ありがたすぎて、ただ、ただ手を合わせ、子どもらの安堵をお願いした



海向寺は日和山の隣に建っていたので



酒田港を一望に観ることができた
この辺りは松尾芭蕉が歩いた土地で、詠まれた詩がいくつもあるし、逸話も多い



そして、これは私のリクエスト
「おしん」のロケに使われた





未だ現役で使われている米倉
素晴らしい風景だった




うちの旦那は小心者で、

6時の特急を取った上で、
4時にレンタカーを返す段取りで、
しかもその上3時にはもう時間がないとレンタカーを返しに行き、

荷物を持って酒田駅で、あなたはいつもこう!
と妻の罵倒を浴びることになった


レンタカーをナビを使いながら移動したのだが、
それはなれない道だからうまく行くはずがないのが、いちいち文句を言う
駐車場の案内の位置が悪いや、
入り口が見つけにくいや、
一日中それに付き合っていた私も我慢の尾が切れたのです

それで?3時間どうしたいの?

成田離婚てよくわかる!
もうどうでもよくなったんです!
そこは30年一緒にいただけのことはある、
旦那いそいそと動き出し、ロッカーに荷物を預け、歩いていける酒田市美術館の場所を確認した

しかし、案の定旦那は内容はさして興味がない
あれなら車返す前に寄ってきても良かった

と、これは旦那には言ってない

行きは飛行機で1時間足らず
帰りは新潟から新幹線に乗り継いで、
東京の家についたのが12時前
流石にヘトヘトでしたわ!

最後に、本間美術館で見た北村西望の可愛らしい彫像を、





寒風吹く山形のほっぺの真っ赤な女の子、
良い良い可愛い








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