小樽商大の例の事件で、意識不明の1年生が亡くなってしまった。
無念で無念でやるせない。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120525/crm12052507310003-n1.htm
小樽商大の例の事件で、意識不明の1年生が亡くなってしまった。
無念で無念でやるせない。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120525/crm12052507310003-n1.htm
真夜中にメール受信を知らせる着信音が鳴ったのが、数日前。
熟睡していたが珍しく目が覚め、誰からじゃ!といい加減不機嫌にあけたら、
「明日、モーニングコール5時に頼む」
と言う長男からのものだった。気がつかなかったらどうするつもりだった?
どれだけ親を信用しているのかとあきれたが、その手放しの信頼もある意味嬉しかった。
今週から付属の中学校へ教育実習に通いだしている。
経験値がそうさせているのだろうが、昨年の小学校の時と緊張の度合いが違う。
また、理科だけで3クラス3学年に20名近くが世話になるようで、
「一人で授業させてもらえるだけで幸運なんだ」と言う状況のようだ。
小学校に出かけた時も思ったが、そういうもんなんだと驚きもする。
いろんな実習の実態があって先生になって行くのですね。
息子の通う大学は、実習を担当教官が参観に回ることが義務付けられているようだから、
北海道でやりたいなんて言ったら、ひと悶着なんだろう。
でも、不思議だ…同じ国立の教員養成の大学である北海道教育大学は、当然のように市立小学校・中学校に学生を割り振ってくる。
立派な付属を持ちながら…それぞれのやり方なんだなあと思う。
教員になる道はこのやり方しかないというのも、画一的な教師を作り出しているようで違和感がある。
いろいろな経験や、たくさんの育て方の中で、多彩な子どもを受け入れるポケットをたくさん持った人材が育てられるべきだと思うから、
これでいいのかもなあと考えている。
今朝も息子はコール2回で返事をした。
よし!頑張れ!!
これも図書館で出会った本。
たまたま偶然なんだろうが、同じ時に借りた「三面記事小説」とその成り立ちは同じだと感じた。
「三面記事小説」が新聞に載った事件を発想のもとにしているのに対して、
この本は、作家が旅の途中で見聞きしたものから閃いたことを紙ナプキンに書きとめるという手法で、生み出されたものだ。
長いものでも50頁ほどの短編集。
短編というのはとてもおしゃれな作りになるものだなあと、この二作を続けて読んで感じた。
それに、作家という作り手の才能を垣間見たような気がする。
性懲りもなく繰り返す同僚の不始末の後始末をする 「事情聴取」 と
血反吐を吐くまで部下を追いつめる上司との争いを描いた 「トルネード」 が好きだが、他にも印象に残る話が多い。
「氷雨のフリーウエイ」で、あこがれの作家に会いに行こうとしている女性にこう語らせている。
――
「彼の小説の魅力は、じつは男性の登場人物たちだけじゃなくて、女性なんです。
いえ、女性じゃないわ。ちがう、そう、女性の扱い方、と言うべきかしら」 (中略)
彼が女性をよく理解しているとか、女性がよく描けている というのとはちがうんです。つまり、どんな平凡そうな女性の脇役にも、彼が注ぐ視線は暖かいのね。男性向きと言われているエンターテインメント小説には多いんだけど、生活に疲れた平凡な主婦とか、倦怠期を迎えた中年の女性たち対して、どうしても侮蔑や嘲笑が出るでしょう。少なくともあの手の小説の大半に、わたしはそれを感じるんです。でも彼の作品にはそれがないわ。どんなにつましく平凡そうに生きている女性にも、彼の注ぐ視線は温かい。(後略)
これは作家として、佐々木譲が心していることなんだろうと思った。
私もこの年齢になって、私のような世代の、ぱっとしない女性の描き方にひどいなあと感じるモノがあるようになりました。
それは、ほとんどが書き手が無意識に持っている品性のようなもので、どう注意しようとあふれてしまうものなのだろう。
やっぱり読んでいてそう感じると、次にその作家のものを手に取ることはない。 おばちゃんだってプライドもあるし、傷つくんです。
それと、道警シリーズでは登場人物たちを自由自在に、北海道中を飛びまわらせている佐々木譲。
そちらではご当地作品として、何がどう出てこようと、あまり気にならなかったのだが、
――
(前略)親が許してくれるのは、北大か教育大だけ。地元の国立大学以外は駄目だって、頑固なんだから。(後略)
は、あまりに生々しくて引っかかってしまった。(これは今の私だからだろう・・・)
北海道を舞台にといえども、もう少し想像の翼を広げられるとよかったなあ。
でも、どれも面白く読み切った。
知人のブログにとりあげられた本を探しに、図書館に出かけた。
アマゾンで探したら、あることはあるのだが中古で1円の価格。 ちょっと躊躇してしまった。
一応旦那に「なんか注文するときに一緒に頼んでほしい本があるの」と話はしたが、
1円て、どう考えればいいのだろう?
図書館で借りることが出来ればと考えて久しぶりに出かけたのだが、
規模が小さいそこには当然だがお目当ての本はなく、予約して帰ろうかどうしようかと書架を歩き回っていて、
目についたのがこの本だった。
面白かった。
実際に起こり新聞の三面に小さくとりあげられた事件を発想のもとに、どの話も書かれている。
登場人物の心の揺れが、ごく普通に誰でもが経験している揺れで、その振れが戻らなくなり事件に及んで行っている様子が描かれている。
当然実際の事件を取材していると思うのですが、 真相はここだったのかと錯覚してしまう危うさを感じるほど、
読んでいて物語にのめりこんでしまった。
どの話も面白かったが「赤い筆箱」に出て来た姉と妹の状況に、そうだよそうだよと頷いてしまった。
うちも小さい頃は、 姉が「赤色」 私が「青色」だった。
姉が髪を長くのばしていたので、私はのばしてはいけなくていつもおかっぱ頭だった。
おそろいの洋服を買う時も、よりかわいいのが姉のもの、少しボーイッシュなのが私のものだった。
あのころ、姉娘と、妹娘は、そうやって区別して育てるのが 当たり前だったんだなあ~と思いだした。
姉は妹を可愛がるもので、妹は姉を慕うものというのもあったかもしれない・・・。
今とは隔世の感がある。そんな記憶をよみがえらせてくれた。
金冠日食――北海道では部分日食。
それでも、なんかすごくうきうきした! いいことが起こるような気がした!!
次は2030年とか…ああ、私は80。
どんな 私 をやっているのだろう? その時、今日のこのうきうきを思いだせるといいなあ・・・。