「助けてください」
という件名のついた姉からのメールが届いた。
仕事中だったので、終わって帰り際通りすがりのスーパーに車を入れて電話をした。
副作用がきつく出ていて、大変なようだ。
「行ったほうがいい?」
恐る恐る尋ねる。頭の中はぐるぐるだ。休めるのだろうか?休むとしたらどれくらいの期間?
仕事で失敗続きの私は、なんとか続けることで気持ちを維持している。
ここで離れたら戻れるのだろうか?などなどと思いはゴールを見つけることができず宙ぶらりん。
力のない声が帰ってきた。
「あんたんとこの子どもたちが、もうちょっとなんとかならないかと思って出したメールだから、
愚痴よ愚痴!」
むむむむむ、
うちの子どもたちが病人、老人関係なくマイペースで暮らしていることに気持ちのすれ違いが
起っているようだ。まあ、一人ならともかく三人だものなあ・・・・
困ったもんだ。何を言っても“反抗期”なんだろう。
もうひとつ感じているのは、育った環境の違いだ。
うちの旦那さんは一人っ子のB型。血液型で人を左右してはいけないが、
それを理由で納得しているものが多々ある。
彼の両親は共稼ぎというか、店屋を営んでいた。
父親は体が弱く、具合が悪くなると一人黙ってよくなるのを待ったらしい。
大黒柱の主人がそんな様子だったので、お義母さんは店のない朝に晩に
今で言うところのパートに出て遮二無二働いたらしい。
そんな家庭だ。旦那が病気になっても構われるということがなかったようだ。
五体満足な子どもの病気は、寝ていれば治るということだったようだ。
我が家といえば・・・・
父親はお役人、母親は専業主婦で、絵にかいたようなものだった。
とくに私が幼いころ小児ぜんそくを患ったせいもあり、病気に対する親の気配りは今考えると
至れり尽くせりだった。寝ていると、用はなくても小一時間に一度「どう?」と様子を窺いに来る。
それは母親ばかりではなく、父親もそうだった。それが当たり前に私たち姉妹は育ってしまった。
旦那と一緒になって、たまに私が熱を出しても彼は何をしてくれるわけではなかった。
これは驚いた。のどがかわいても、寝巻を着替えたくても手伝ってくれと頼むきっかけがない。
不思議で仕方がなかったが、今はこうだろうと思うことがある。
寝ていることを気にしないということが、終日家族総出で働かなければならない家では最大のものだろう。
そういう育った環境の違いがあると、私は旦那と一緒になったことで経験させてもらったが、
わが姉は違う。彼女が育ったものしかないと踏んでいるし、
理屈で理解を示してもあの年齢では自分にあてはめることはない。
そこが、今回のトラブルのもとだと感じている。
そういう暮らしの違いがあるんだと息子や娘に言っても、なかなかわからないだろう。
何しろ旦那だって、子どもたちがこういう向きのことをおこすようになって理解を示すようになったのだから。
子どもたちのおかげで彼は大人になっていく。
だが、東京の実家は姉の家だ。姉のルールが優先されるべきと私は思っている。
何とか子ども達に伝えなければならないが、東京はとおいなあ・・・・・・・。
自立するまでのあと数年の間に、そういうことがあるとなんとか理解させなければならない。