つれづれおもふ

思えば遠くに来たもんだ~ぼつぼつ語る日々の出来事

病気と闘う

2013年02月12日 | 

「助けてください」

という件名のついた姉からのメールが届いた。

 

仕事中だったので、終わって帰り際通りすがりのスーパーに車を入れて電話をした。

副作用がきつく出ていて、大変なようだ。

「行ったほうがいい?」

恐る恐る尋ねる。頭の中はぐるぐるだ。休めるのだろうか?休むとしたらどれくらいの期間?

仕事で失敗続きの私は、なんとか続けることで気持ちを維持している。

ここで離れたら戻れるのだろうか?などなどと思いはゴールを見つけることができず宙ぶらりん。

力のない声が帰ってきた。

「あんたんとこの子どもたちが、もうちょっとなんとかならないかと思って出したメールだから、

愚痴よ愚痴!」

 

むむむむむ、

うちの子どもたちが病人、老人関係なくマイペースで暮らしていることに気持ちのすれ違いが

起っているようだ。まあ、一人ならともかく三人だものなあ・・・・

困ったもんだ。何を言っても“反抗期”なんだろう。

もうひとつ感じているのは、育った環境の違いだ。

うちの旦那さんは一人っ子のB型。血液型で人を左右してはいけないが、

それを理由で納得しているものが多々ある。

彼の両親は共稼ぎというか、店屋を営んでいた。

父親は体が弱く、具合が悪くなると一人黙ってよくなるのを待ったらしい。

大黒柱の主人がそんな様子だったので、お義母さんは店のない朝に晩に

今で言うところのパートに出て遮二無二働いたらしい。

そんな家庭だ。旦那が病気になっても構われるということがなかったようだ。

五体満足な子どもの病気は、寝ていれば治るということだったようだ。

我が家といえば・・・・

父親はお役人、母親は専業主婦で、絵にかいたようなものだった。

とくに私が幼いころ小児ぜんそくを患ったせいもあり、病気に対する親の気配りは今考えると

至れり尽くせりだった。寝ていると、用はなくても小一時間に一度「どう?」と様子を窺いに来る。

それは母親ばかりではなく、父親もそうだった。それが当たり前に私たち姉妹は育ってしまった。

旦那と一緒になって、たまに私が熱を出しても彼は何をしてくれるわけではなかった。

これは驚いた。のどがかわいても、寝巻を着替えたくても手伝ってくれと頼むきっかけがない。

不思議で仕方がなかったが、今はこうだろうと思うことがある。

寝ていることを気にしないということが、終日家族総出で働かなければならない家では最大のものだろう。

そういう育った環境の違いがあると、私は旦那と一緒になったことで経験させてもらったが、

わが姉は違う。彼女が育ったものしかないと踏んでいるし、

理屈で理解を示してもあの年齢では自分にあてはめることはない。

そこが、今回のトラブルのもとだと感じている。

そういう暮らしの違いがあるんだと息子や娘に言っても、なかなかわからないだろう。

何しろ旦那だって、子どもたちがこういう向きのことをおこすようになって理解を示すようになったのだから。

子どもたちのおかげで彼は大人になっていく。

だが、東京の実家は姉の家だ。姉のルールが優先されるべきと私は思っている。

何とか子ども達に伝えなければならないが、東京はとおいなあ・・・・・・・。

自立するまでのあと数年の間に、そういうことがあるとなんとか理解させなければならない。

 

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そのあとで

2013年02月09日 | 日記

次女から電話があったその夜遅く、長男から電話があった。

こういうときはこういうもんだ。

来年度の奨学金申請のための書類のことだった。

この連休明けが締め切りだというので、大急ぎの話。だから夜をいとわず電話をしてきたようだ。

用件が終わって、ところでさあと話をAKBの峰岸みなみちゃんにふった。

AKBオタの長男が一押ししているのは、実は峰岸みなみちゃんだ。

卒論のために、昨年11月からみなみちゃんを封印して1月末の提出に向けて頑張っていた。

「卒論が終わったら~~ルンルン」のはずだったのが、この騒動。

一言言ってみたくて機会を待っていた。

「ねえ、みなみちゃん、もう私のことは忘れて学問に専念してくださいって、君に言ってくれたんじゃない?」

「わかってるよ!みんなメールくれたんだから・・・」

「辞めればいいのに、二十歳の女の子でしょう・・・あそこまでする意味って何?

借金でもあるの? あの坊主頭は誰に対してやったの?

あんたがたみたいなファンに対してじゃないよね!なんか、腑に落ちないのよね」

と、意地悪く突っ込んでみた。

アイドルを追っかけるなんて、熱病みたいなもので、熱が冷めればなんだったんだろうというようなもんだ。

みんなそれはわかっているから、息子も「まあ、そーなんだけれどね」

といいながら「実はこういうことだったらしい」ということを話してくれた。

息子が教えてくれたことの流れは、そうであればみなみちゃんのあの行動にもしっくりと来るものがある。

しかし、そこには、息子のようなファンの暖かい心はない。

昔、歌手や役者といった興行者は、卑しまれたものだ。歌舞伎の語源「傾く」も傾いた身なりや視点をいい、

よい意味ばかりではない。それを長い長い年月を重ねて、先達たちが苦労して高めてきた。

トップアイドルの地位をほしいままにしているAKBでさえ、やっぱりこんなものなのかという感じがした。

そこに感じるのは、大津の中学校や、大阪の高校で起ったこと、女子柔道で起ったことと、

共通のにおいを感じてしまう。日本人てこれくらいのもなんだなあと、悲しくなる。

息子いわく、研究生で頑張るみなみちゃんを応援するのに連日研究生公演が超満員だそうだ。

彼もあわてて飛んでいったらしい。

卒論がうまく進まないとき、終わったら握手会でみなみちゃんに「やっと終わったよ」

と話すのを楽しみに、それを励みに落ち込みそうになる自分を鼓舞していたようだ。

そういうえば大学受験でひりひりした時間を過ごしていた昨年の次女が、

気持ちを持て余したときに頼ったのが嵐の相葉君だった。アイドルってありがたいものだと、そう思ったっけ。

震災でどうしようもない日々を過ごしている人たちが、心の慰めにしている芸能人は多いと思う。

みなみちゃんはそういう素晴らしい仕事をしている、そういう才能を持っていると、

もっともっと自信を持ってほしい。

他の誰にもできない、変わりのない仕事なんだから、そう彼女に伝えてよと息子に言うと、

「そういうの伝えたくて、でも、口下手でさあ、目の前に彼女がいるとうまく言葉が出てこないんだ。

今度、みなみちゃんのお母さんがやってるカフェに行って、お母さんに話してくるね」 と返ってきた。

わが息子、彼女もできずに、みなみちゃんのおっかけをいつまでやるのか情けない気分もするが、

振り返ったらこれはこれで面白いかもしれない。

 

 

 

 

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青い鳥

2013年02月08日 | 映画

次女がいつもの通り電話をしてきた。

彼女は映画製作サークルという、実に大学生らしいサークルに入り青春を楽しんでいる。

先輩方に誘われて、あれやこれや映画を観ているらしい。映画館に出かけることもあれば、

みんなでお金を出し合ってDVDをレンタルしてきて学校の機材を使い

上映会のようなこともしばしばのようだ。

その彼女が

「お母さん、阿部寛のね“青い鳥”観たの!よかったよ。なんか効果音とかBGMとか、

あんまり使ってなくてところどころにちょこっとね。すごいよ!」

とすすめてくれた。

内容はトンと知らず、買い物ついでに寄ったツタヤの棚に見つけて、

とんとん拍子に“青い鳥”を観た。

奇遇だ・・・・大津のいじめのことでブログをアップしたばかりで、この映画につながった。

その奇縁に少し震えがきた。

 

原作は重松清。

いじめによる自殺未遂があった中学校が舞台となっている。

被害者は転校し、コンビニを営んでいた両親も店を閉めてしまった。

学校は当該クラスの生徒に事情聴取を行い反省文を書かせ、

平穏な学校を取り戻そうと生徒指導に苦心している。

担任が心労から体調を崩し、休職。 そこに代理として、阿部寛演じる吃音のある臨時教員が赴任してくる。

「僕はどもる。話すことが得意ではないが、本気で話す。

本気で話すことは、本気で耳を傾けなければならない。

君たちはそれができていないから、僕がここにきた」

その村内先生がまずやったことは、物置にしまわれたいじめの被害者野口君の机を教室に戻すことだった。

そして、野口君の席に向かって毎日声をかけた。

事件を忘れようとしていた生徒、保護者、学校は動揺を見せ始める。

そして耐えきれなくなり騒ぎを起こし出した生徒たちに、村内先生は本気でこたえる。

「野口君はここにいたかった。

野口君は決して忘れない。それなのに君たちが忘れて、1からやり直すという。

それは、卑怯だろう」

 

担任教諭が復帰するため、最後の授業となった村内先生が生徒達に作文を書かせる。

事件を収束させるために学校から書かされた以前の「反省文」を、

書き直したいと感じているものだけ書くようにと言う。

また書かせるのかと腹を立てる生徒もいる中で、一人、もう一人と書き直すために作文用紙を取りに出てくる。

本郷奏多演じる園部君も、親にも話せなかった苦しみを綴る為に作文用紙に向かう。

「反省文」として書き始めた彼は消しゴムを取り出し、題名を消していく。

「反省文」ではなく「野口へ」と書き換えられた彼の作文は、

野口君へ伝えたい今の気持ちが書き込まれていく。

やってはいけないことをしてしまった子どもたちに、それをどう伝えるか・・・・

村内先生が言う、本気で話して、本気で聞く

そうやっている中で、伝わることもある・・・というのが教育かもしれない。

学校から離れる村内先生は、バスの中で静かに石川啄木の詩集を広げる。

多くの言葉や形はいらないのだろう。

これは、現実ではない。 でも、こうやって救われる子どももいるかもしれない。

いろいろな可能性が、被害者にも加害者にも開かれているといいと願っている。

 

この映画を導いてくれた次女に感謝!

 

 

 

 

 

 

 

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私ならどうする?

2013年02月07日 | 世の中で起こったこと

昨夜、旦那がいきなり大津のいじめ事件のことを話し出した。

「教育委員会や市はいじめを認めて、和解の方向に進んでるだろう?

だけど加害者の親が、あれは遊びだったと言い続けているらしいよ」

旦那は続けて

「俺なら、どうしただろうなあ・・・」 と言った。

わが子が、いじめの被害者になるのも、加害者になるのも、

それは本当に悲しい出来事で、それにきっとたまたまそういう流れが始まって

そこに誰も何も止める何もなくて、悲劇は結果に向かって進んでしまうのだろう。

親ならばきっと、わが子を守ってやりたい。 この後の人生を笑って過ごせるようにしてやりたいと、

必死になるだろうことも容易に想像できる。

 

でも、・・・

蜂を食べさせようとしたり、ガムテープで縛ったり、成績表を破いたり、・・・

百歩譲って、それを遊びだったといってもいいが、やられている相手は遊びだと思っていなかった。

そこが問題なのではないだろうか。

お互いがこうやって遊んで楽しいという共感が遊びと言えるので、相手は思っていなかっただろう。

いや二百歩譲って、それぞれが遊んでいるんだと思っていたとしても、

周りから見れば、それは違うと感じることがあったのだろう。

そこが重要なことなのではないか。

みんなで暮らしていくうえで意識の違いがあった。

子育てをしているものとして、それはもう取り返しのつかない「結果」でしかない。

さて、ここからが親の正念場、どうするべきなのか。

個々の出来事で親のとるべきありようは違って来るのは当然、

子どもの言い分を代弁していやるべき時もあるだろう。

だが、今回のこの場合はそうではないだろう。

私だったら、子どもと並んで謝り続けるしか術を見つけることができないだろう。

裁判という理論の積み重ねの場で、万が一「遊びだった」という論法が成り立ったとして、

その後、歩く道はどうなんだろう。 この子どもは救われることはない・・・だろう。

引き合いに出すのは不謹慎かもしれないが、ふと、東野圭吾の「麒麟の翼」を思い出した。

子どもと向き合うことができなかった父親が、最後に懸命に子どもと向き合った。

そうありたいと願うばかりだ。

世の中にはやっていいことと悪いことがある。

それを感覚的に覚えるのが、15歳くらいまでの子どもの頃だろう。

大津のこの親はわが子を守ろうとするばかりで、そういうことがあるということを教えることができなかった。

それがこの事件の本当の原因だろう。

 

どんなにハチャメチャな生き方でも仕方がない。でも、命を貶めるようなことだけは、

どんな大義名分があろうとやってはいけないことだ。

とりあえず旦那とは、そこらへんの共通の思いを確認した。

何かあったらわが子の起こしたことだもの、いつでもどこでも二人並んで謝りにすっ飛んで行く。

そういう覚悟だけはつけるようにしている。

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1月の本

2013年02月01日 | 本・・・

2013年1月の読書メーター
読んだ本の数:17冊
読んだページ数:5610ページ
ナイス数:8ナイス

スローライフなおじさんの台所―ひとりを快適に生きるスローライフなおじさんの台所―ひとりを快適に生きる感想
日頃こそっこそっと主婦が胸に思うことを代弁してくれて、そーなのよ!と笑えてきた。「家事も仕事の一部である」や「掃除をしない自分を哲学することから、掃除の第一歩は始まる」は、まあいいかあと手抜きになりがちな自分の状況に喝を入れられたように感じた。掃除、洗濯、料理の中で、料理に関する内容が多かったのが印象に残った。
読了日:1月31日 著者:音羽 健
GIANT KILLING(26) (モーニング KC)GIANT KILLING(26) (モーニング KC)
読了日:1月30日 著者:ツジトモ
台所のおと台所のおと感想
きれいな文章に居心地の良さを感じた。この本のたたずまいがいい。反射神経や要領の良さが求められる今の時代、こういうありようもよしとする気分があればなあと思う。
読了日:1月30日 著者:幸田 文
いっぺんさんいっぺんさん感想
グリム童話や日本の民話に通じるものを感じた。ノスタルジックホラーの名手と作家略歴に書いてあって、なあるほどと思った。
読了日:1月28日 著者:朱川 湊人
しっぽちゃんしっぽちゃん
読了日:1月24日 著者:群 ようこ
夜明けの街で夜明けの街で
読了日:1月22日 著者:東野 圭吾
ハロウィンに消えた (角川文庫)ハロウィンに消えた (角川文庫)
読了日:1月21日 著者:佐々木 譲
ビジネスマンの父より息子への30通の手紙    新潮文庫ビジネスマンの父より息子への30通の手紙 新潮文庫
読了日:1月20日 著者:G.キングスレイ ウォード,G.Kingsley Ward
ガールイエスタデイ―わたしはこんな少女だったガールイエスタデイ―わたしはこんな少女だった感想
桐島洋子さんの高校生時代の日記。いやあ、凄い!!文章の鮮やかさもだが、その当時の筆者の自由奔放な生き方に驚いた。先へ先へと追いやられるかのような、今の子ども達のありように、こんなのびのびとした生き方もありなんだよと言ってくれている。しかし、高校生が書いたとは思えないほど、その物語に引き込まれた。
読了日:1月18日 著者:桐島 洋子
幻夜 (集英社文庫 (ひ15-7))幻夜 (集英社文庫 (ひ15-7))
読了日:1月14日 著者:東野 圭吾
相棒相棒
読了日:1月13日 著者:五十嵐 貴久
珈琲屋の人々 (双葉文庫)珈琲屋の人々 (双葉文庫)感想
短編の連作。初めのいくつかは女性の描き方にあまり好きでないものを感じ、最後まで読み切ることができるか不安を抱いた。「修羅場を乗り越えた男が静かにたたずんでいる様」に、敬愛の念を抱く男性がいるんだなと感じたら、物語を楽しみながらページをめくることができた。
読了日:1月10日 著者:池永 陽
麒麟の翼 (特別書き下ろし)麒麟の翼 (特別書き下ろし)
読了日:1月9日 著者:東野 圭吾
64(ロクヨン)64(ロクヨン)
読了日:1月8日 著者:横山 秀夫
与作―いつもそばにいるからね与作―いつもそばにいるからね
読了日:1月6日 著者:笠原 靖
人質人質
読了日:1月6日 著者:佐々木 譲
ロック母ロック母感想
なかなか“とがった”作品ばかりだった。題名通り“ロック”している!! 私は「父のボール」が好き。どんなに嫌った父親でも、その時には涙がふきでる。そんな複雑な心にうずうずしてしまった。このころから比べると、この作家はずいぶん丸くなったんだなあと感じた。
読了日:1月4日 著者:角田 光代

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