つれづれおもふ

思えば遠くに来たもんだ~ぼつぼつ語る日々の出来事

友人W

2014年02月09日 | 日記

メールが届いた。

Wは私とどっこいどっこいのアナログ人間。メールも時折どこかにすっ飛んでしまうようで、

今回も「これで何度目か、今度こそ届いて」とつけたしの文章があった。

内容は

「転んでひざのお皿を骨折しました。明日手術です」

なんとまあ、大雪で大変な状況になっている東京。さては雪に滑ったのかと思ったが、

確かなことはわからないが、雪が降る前にやったらしい。

そろそろ“転ぶ”ことが、自力での生活力を奪う大きな要因になる年になっている。

彼女の場合、長く実家で暮らしていたお母さんが昨年暮れにグループホームにうつり、

その手続きやら何やらで忙しい思いが続いていた。

そんな疲れが出たのだろう。大事にしてほしい。

あいにく東京に居ないので、手伝いに行けないのが心苦しい。

旦那に話たら「とりあえず滑り止めの靴ベルト送ったら?」と言われた。

雪で転んだわけではないが、念のため、あれば今後に役に立つかもしれない。

養生をしっかりして、長引かないようにしてほしい。

しかし、家の事や親の介護のことを思うと自分のことはついつい後回しにならざるを得ないよね。

わかるよ!それでも、何とか、がんば!!です。

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今日は

2014年02月09日 | 

2月9日 今日は亡くなった姉の誕生日です。

解約をしていなかったフェイスブックから先月、姉の誕生日を知らせるお知らせがお友達登録をしてくださっている方に流れた。

私はやっていないが旦那は登録していてぎょっとしたようだ。

何とかしなくちゃねと言っていたら、案の定叔父からやんわりと注意のメールが届いた。

姉は事務屋で、いろいろな暗証番号をひとまとめにしてPCの中に遺していてくれた。

だが体調が悪くなってから始めたフェイスブックについては、そのリストの中に入っていなかった。

同じような病気と戦っている従兄がフェイスブックをやっていて、

その様子が知りたくて始めたようで、自分から何か発信することはなかったらしいが、従兄の様子に慰められていたようだ。

暗証番号のリストを旦那に渡して、あれこれ試してもらい、何とかやめることはできたようなのだが、

ファイスブックというツールはそれでも終わることができないようになっているらしい。

いつかまた再開することがあるだろうということで、つながったままを解消することができないらしい。

なんか不思議なものだ。

やっぱり私はツイッターとフェイスブックはやらないでおこうと思った。

 旦那にも 

「あなたが死んだら、私は携帯もPCも全部やめるわ!

固定電話一つあればいいかなあ…あとがとても面倒じゃない!」

と宣言した。

スイッチをいれれば使えて、スイッチを切れば動かない。そんな単純な機械がやっぱりいいなあ。

 

イラストは“アップルパイン”さんからお借りしました。

 

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マツコ&有吉の怒り新党 で、

2014年02月08日 | 徒然に、

受験生の末っ子、彼のなかなかえらいところは、自分で時間を決めて机に向かい、テレビを見るところだ。

だから、これは観たいなとおもう番組を録画しておいて、テレビ鑑賞の時間にそれを観ている。

だから、リアルタイムで観る番組が減ったが、反対に今まで観たことがなかったものも

彼のおかげで楽しむようになった。

マツコと有吉のトーク番組「怒り新党」もその一つで、辛辣なそれでいてウイットの効いた二人の掛け合いが面白い。

二人の人気がわかるようになった。

昨日見せてもらった中に、「新・3大本当に泊れるかドキドキする宿」?だったかな・・・日本の中で三本の指に入るような

そんな旅館を紹介していた。

これは担当ディレクターが身を挺して取材に行くのだが、その何とも言えない黙々とした取り組みがいい味を出していて、

とても面白い。マツコが「行かない方がいいよ」「やめよ」などとコメントが出ちゃうような場所も多い。

毎回何かしら三つ紹介するのだが、このたびの一つ目が4時間歩いて行った電気の通っていない温泉旅館。

冬場は交通機関もなく、途中がけ崩れで道がないような場所を「ここでいいのかな?」と心細そうに歩いていく。

暗くなってきて、たどり着いた時には、一緒にホッとした。

二つ目が「行ってみたいね」と思ったこの岩手県野田村の苫屋旅館。

電話が通っていないから、予約は手紙でするのだそうだ。

日程と人数をはがきに書いて投函。返事が来るのを待つ。

いいじゃない?

三つ目は、なんとも、建物が半壊しているような温泉旅館だったが、これはこれで味わいがあった。  

 

だが、いまどき電話を通していないという苫屋旅館の信念に行ってみたいと思った。

 

今は何か楽しむのでも「マニュアル」のようなものが必要になっていて、

人より先んじて楽しまなければいけないような、そんなせわしない空気があるように思う。

だけど私はそれほど器用ではなく、また俊敏性もなく、乗るに乗れないている。

仕方がないことだとは思うが、それでも楽しそうな様子を見るとうらやましくて、

妬ましくって、という感じが湧くときもある。

楽しめるような、楽しめていないような、そんな踏ん切りの悪さがあって、嫌んなっちゃう。

要は己の軸がゆらゆら揺れているのでしょう。 それが、

自分より若い世代で、頑として自分の考え方で立っていると感じる人をこの頃見かけるようになった。

とても素敵だと思う。

環境や機会に恵まれたのだろうと思うが、そういう環境や機会を引き寄せる力があったのだろう。

きっとどの人も真面目に生きてきていて、魅力のある人だろうと想像している。

 

なんでもいいや、この宿、一度泊まってみたい。

 

 

 

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雪まつりは、寒い

2014年02月07日 | 日記



日本全国のテレビニュースで取り上げらているだろう「札幌雪まつり」
地元の人間はあまり行かない。
何しろ寒い。廊下のような大通公園を雪像を見ながら、とにかく一方通行であるくだけだから、

一度みれば毎年行く事はまずないだろう。

子どもたちが面倒くさがるようになって我が家もテレビで眺めるだけになっていたのだが、この所少々変わってきた。

旦那に「いつ行く?」と誘われるようになった。

お互い、いつまでこうやって雪まつりを楽しめるのかな?という想いが、足を向けさせるようだ。







今日は晴れ間もあったが、時に吹雪いたり、とにかく寒かった!

平日の午前中、零下の中、それほど人も多くなかったので、ついつい





美味かったあ。

まだ、牡蠣も蟹も雲丹もラーメン、ステーキ、なんでもあったが、寒くて寒くて、

それどころでなく、大急ぎで暖を取りに建物の中に向かった。

熱燗やホットワインもあったけど、まさかねえと手が出なかった。

若い頃なら、平気の平左だったな…きっと‼
ま、そんなもんだ。



 

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永遠のゼロ を観てきた

2014年02月04日 | 映画

今日の札幌は大雪

もう、“ぬかるむ”ほどの雪 雪 雪

こういう時はひきこもるのが一番だけれど、気分が少し落ち込み気味だったので、

思い切って外に出た。出たが、雪だから、映画館に逃げ込んだ。

何にしようかなと迷って、V6の岡田君が好きだったから、“永遠の〇”を選んだ。

百田尚樹さんの物の考え方は、このたびの都知事選を見ていてもちょっと眉をしかめてしまうが、

この原作は、彼がテレビによく出るようになる前に読んでいた。

面白かった。

岡田君、本当にいい男になったよね…それに、役者としても一回り大きくなったような感じがする。

だから“いい役”がいろいろ回ってきているんだろうなあ・・・?

戦争賛美になってしまうところを、岡田君が抑えに抑えた演技で微妙な線に落ち着かせている。

現代の場面に出てきた名優たちの語りも見ものだった。それと対等の位置にいるから、岡田君この役大変だったと思う。

三浦春馬君は、ちょっと残念だったかな・・・ま、彼の実力はこんなところなんだろう。

あの役は結構大事なものだ。どういう風に演じるかで、この映画の未来への姿勢が示されるはずだった。

監督さんは、それを導き出せなかったのかなあ?

反対に言うと、はっきりとさせないための三浦春馬君だったのかなあと、勘繰ってしまう。

4回も司法試験に失敗している説得力もなかったなあ。

私のまわりにもこういう人がいるが、当然だが、この試練は結構なもんで人格が育てられる。

春馬君のそれは、単に受験に失敗している高校生のもののようだった。

まあ、それはまず物語に影響はされないが、何より惜しいなあと思ったのは、

祖父の事が大分わかってきた時期に、友人たちの合コンに誘われる場面がある。

ここは大事な場面だった。が、三浦君、ちょっと演じ切れていない。

とてももったいないし、残念だ。

あそこは、現代の若者気質が提示される象徴的なシーンになるはずだったのになあ。

 

私の亡くなった父も学徒出陣だった。

古いアルバムに白い軍服にサーベルを下げ、実にかっこいい父の写真が残っている。

海軍に入隊、戦闘機乗りになった。

そう、ゼロ戦、特攻隊だ。幸いなことに資材不足でゼロ戦が無く、待っている間に終戦を迎えたそうだ。

だが、特攻隊に付き添う役目は何度かしたようだ。

映画に出てきたような護衛ではなく、戦火を報告する役目があったそうだ。単座ではなく複座、はるかかなたで特攻隊についていくそうだ。

パイロットは操縦専門、後ろの席から下の様子をしっかり観察するのだそうだ。

そして基地に戻ってから報告するという仕事だったようだ。

父が言っていた。

「船にたどり着くのも大変なら、どんなに肝が据わっている人でもなかなか空母にまっすぐつっこむことなんかできやしない。

最後の最後にくいとどうしても機首を上げてしまう。そうすると空母の腹にぶつかる事が出来なくなってな」

と、淡々と言っていた。

 

ああ、二度と、若い命をこんなことに使ってはいけない。

世代を超えて人気のこの映画が、積極的平和主義への道しるべにならないように、

切に、切に祈っている。

 

 

 

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