HAKATA PARIS NEWYORK

いまのファッションを斬りまくる辛口コラム

製造卸の福音となるか。

2016-06-22 07:27:18 | Weblog
 先週の金曜日、読売新聞のネット版が「アパレル業界の不合理な商慣習、改善を」との見出しで、経済産業省の「業界救済策」?について報道した。

 「衣料品の国内市場が縮小する中で過剰な供給と安売りが続き、産業が衰退する懸念がある」ため、「アパレル業界に見られる不合理な商慣習を批判し、経営の改善を促す」もので、6月17日には報告書で課題を示し、(業界に)対処するよう注文をつけるという。

 6月も後半に入り、夏のバーゲン開始を見計らったようなタイミングだ。セールの後ろ倒しも定着したのか、意味をなさないのか、今年は話題にも上がらない。ただ、実店舗にWEBサイトが加わる商品の供給過剰で、安売り(低価格)は常態化している。それが更なるコスト削減の圧力を生み、アパレルの設備投資や人材育成への投資を停滞させ、商品の陳腐化による客離れを引き起こしているのは、紛れもない事実だ。
 
 単純に日本の市場規模を考えても、オーバーストア、在庫過多は否めない。そこでは経済原理が働くから、価格は下がっていく。加えて海外生産や流通の効率化、情報整備などのイノベーションが進み、中間コストは削減されて値ごろな商品が次々と生まれている。消費者とってそこそこお洒落な商品が低価格で出回れば、飛びつくのはいうまでもない。そこまでは良かったのである。

 ところが、ビジネスの宿命として、収益があがるモデルには皆が「右へ倣え」する。結果、競合が増えて競争が激化。川下の小売りが利益確保に走るあまりに、その分のしわ寄せはアパレルの原価圧縮、さらに製造業者の工賃値下げを強いていったのだ。

 とどのつまり、こうした不毛なビジネス競争を変えていかなければ、産地もメーカーも小売りも消耗していくばかりである。ただ、霞ヶ関という中央省庁の「声明」に対し、業界からは「ここまで衰退すれば、カンフル剤にもならない」「百貨店は委託販売の是正が求められると潰れるところも出てくるのでは」と、冷めた意見も聞かれる。

 でも、医学界ですら、カンフル剤の効果を求める対症療法では、根本治療にはなりえないのは承知の上だ。また病気の症状は自分を守るために体自身が発しているもの。人の体は一部の治療して済むものではなく、食生活、生活習慣、環境、 メンタルヘルスまでの総合ケアがあって健康を維持できるのである。

 ファッション業界も然り。「産地や職人を救う」「百貨店の委託販売を無くす」「コスト管理を明確にする」などの断片的なものではなく、業界構造を俯瞰で見て、川下から川上までのすべての段階にある問題点に切り込み、どこから手を付けていくか。こうしたことは我々のような利害が関係してミクロでしか考えられない人間より、業界をマクロで捉える能力をもつ東大出の官僚さんの方が適任かもしれないと、筆者は思う。

 ただ、経済産業省が公権力の行使として、ファッション産業に携わる企業、団体に対し、委託販売や消化仕入れ、発注商品の買い取り拒否などの商慣習について是正するには、「法令」に基づかなければならない。つまり、それらを現実のものとするには、法に明らかに抵触していることが条件で、グレーゾーンなら新たな法整備や法改正、それを補う省令が必要になる。

 衰退の歯止めが待ったなしという点では、法律や省令に基づかない行政指導という手段もあるが、これとてどこまで実効性があるか懐疑的だ。ここからは少し専門的な話になる。筆者が大学時代に学んだ行政法、行政手続きの解釈、フローとして、どのケースが何に該当するのかを考えてみたい。

 現状、ファッション業界が取引上で関係する行政法規は、独占禁止法の「私的独占」や「不当な取引制限」「不公正な取引方法」の「禁止」である。また「不当表示防止法」だろうか。私的独占とはまさにマーケットを独占的に支配して他を排除する行為だ。不当廉売はその代表的なものではないか。商品を著しく安く販売することを指すが、これだけデフレが浸透すると、どこからが不当廉売に当たるのかの判断は難しい。

 例えば、大阪のバッタ屋のように元値がわかるブランドをタグを切り取ったとは言え、90%オフと認識できるような価格で売れば「廉売」には当てはまるだろう。だが、価格設定は小売りが自由に決められるわけで、私的独占として違法となるのは同じエリア内でかたやプロパーで販売している店舗の営業の継続を困難させるような場合だ。つまり、地域に溶け込んでいるバッタ屋なら、「不当」には当たらないのである。

 バッタ屋はどこからか商品を仕入れているわけで、間に卸業者が介在する場合もある。倒産したメーカーや問屋が在庫処分に窮している時、バッタ屋や卸業者が買値を叩いて安くさせる場合があるかもしれない。この場合もバッタ屋や卸業者が優越的地位(在庫処分の事業者より強い立場)にないと法規制には抵触しない。売る方と買う方がフィフティフィフティ、ウインウインの関係なら何ら問題はないのだ。第一、大阪のオバちゃんは「安く買えるから、ええやないか」と、公正な取引なんて眼中にないはずである。

 不公正な取引は低価格業態に限ってではなく、プロパー販売の現場でも行われているかもしれない。これが百貨店のケースだ。百貨店のことに詳しい知人の話によるとバブル崩壊以降、売上げダウンに直面した百貨店は、減少分を荒利益をかさ上げして埋めようと、取引先の百貨店系アパレルに歩率の積み上げを要求した。そこでは歩率が1994年から2002年まで8%程度も高騰したそうだ。こうしたケースが不公正な取引(公正な取引とは価格、品質による競争を意味するから、それを阻害する行為はグレーゾーン)とは言えないまでも、今回の是正の対象にはなるかもしれない。

 現に百貨店系アパレルはそのコストを吸収するため、この間には原価率を平均で33%から25%まで低下させたと言われている。当然、アパレルは自社の利益を確保しなければやっていけないので、下請けには素資材のコストダウン、工賃値下げの圧力がかかったわけだ。百貨店が自店の利益を確保するために、その影響が下請けにまで波及したのだから、お役所が法律に基づく是正や行政指導に動くのは当然と言えば当然と言える。

 アウトレット場合はどうだろうか。施設数が増えたことで、売れ残り在庫や廃番商品、B級品が確保できずに「アウトレット専用品」が堂々と売られている。だが、POPなどでその旨を告知していれば、レアなブランドのオフプライスと誤認させるような「不当表示」には当たらない。

 でも、問題はそこではない。リテイルアウトレットを展開するような大手セレクトショップがアウトレット専用品の販売で粗利益を確保するがために、アパレルや商社に商品の卸値を下げさせるケースだ。それが縫製工場にまで遡って値下げ圧力となっているのなら問題だろう。アパレル、産地、工場に負担を強いているのなら百貨店のケースと同じく、是正しなければならない。経済産業省にとっては、これらが法改正や省令、行政指導で取り組むべき要諦と言えそうだ。

 一方、メーカーが展開するファクトリーアウトレットについても、そのメーカーのブランドを売っているFC店やセレクトショップ(仕入れ専門店)、いわゆるプロパー業態の営業の継続を困難にさせるようでは問題だ。

 アウトレットとは安売りが目的ではなく、在庫品をいかに消化して現金化、いわゆるキャッシュフローを進めるかのものだ。だから、アパレルメーカーがファクトリーアウトレットをプロパー店と近接させれば、直営店はもとより、仕入れて販売する小売店といった正価販売に影響が出ないとも限らない。そこで、欧米では50マイルや70マイル規制(80km〜100km圏)を設けてきて、両業態を近接させず競争を防止する施策を打ってきた。今でも最大50kmは距離を置くのが成立のカギと言われる。

 米国ならマンハッタンからバスで1時間以上の郊外、イタリアならミラノから遠く離れたアルプス山中というような場所にアウトレットは存在する。でも、国土が狭い日本だと東京からアウトレットを遠ざけても、今度は静岡や長野にあるプロパー業態がじわりと影響を受けてしまう。カニバリゼーションにならないとも限らないわけだ。

 そもそも、なぜ日本でアウトレットモール、そしてショッピングセンターが増えていったのか。それは円高是正=外圧による内需拡大、国内市場の開放がある。また規制緩和に端を発した定期借家契約導入で出店の初期投資が下落したこと。さらに大規模小売店改正に伴い郊外店が開発ラッシュとなったことだ。

 アウトレットに限って言えば、「独占禁止法の運用強化」がある。これによりメーカーは小売店に小売価格の統制ができなくなった(販売価格は小売りが自由に決めて良い)。 独禁法ガイドラインは、メーカーの価格規制のすべてを禁じており、小売店の不当返品も禁止している。だから、在庫が思うようにはけずダブつけば、メーカーも小売りもそれを消化せざるをえなくなるのだ。

 デベロッパーも器を作れば、テナントを埋めなければならない。アパレルメーカーにはとっては出店依頼を受けても、都市部のプロパー店と競合できないことから、低価格、低付加価値の業態の開発、出店に行きつく。専用品を販売するアウトレットもその一つだ。それでも、器が増えると当然業者間の競争に陥るわけで、結果的に自ら収益構造を狂わせしまったのではないかということである。

 またアパレル商社が輸入し、大手セレクトショップが販売したパンツが「ルーマニア製」だったにも関わらず、「イタリア製」と表示したことが「原産国の不当表示」に当たるとして、商社1社並びにセレクトショップ5社に公正取引委員会から「排除命令」が出された。公正取引委員会は日本繊維輸入組合に対しても、傘下組合員が同様な行為を行わないように「表示の適性化」について要望を出したことは記憶に新しい。

 しかし、その後もセレクトショップの1社は「ウール製」のマウラーを「カシミア」と偽って販売している。この手の「虚偽」「偽装」が続いているわけで、行政庁の命令や指導程度で本当に効果があるのかと疑いたくなる。もしかしたら、売場ではスタッフが「この商品はバイヤーがロンドンで作られたものを買い付けてきました」と言いながら、本当は商社丸投げのアジア生産だったりするのかもしれない。

 あくまで行政法の範疇だから、強行法規のような処罰とまではいかない。しかし、価格競争が激化しているからこそ、「自店の商品をいかにも価値があるように見せかける」わけだ。そこでは安売りだけでなく、不正行為が堂々と行われていたということになる。お役所の実態調査だけでは限界があるし、内部告発をしやすい環境づくりも不可欠と思う。やはりきちんと強行法規を法制化するなり、現行の刑事罰を適用するなどの対応に踏み出さないと、事業者には堪えないのかもしれない。

 しかしながら、法整備に踏み出せば、規制緩和や族議員と衝突することになる。「価格を下げて販売する」ことが常態化した一つの要因は、大店法の改正という規制緩和によって低価格業態の出店が容易になり、オーバストアで競争が激化したことがある。つまり、それを是正するには、アウトレットモールやショッピングセンターといった大型店の出店を抑えることも必要になってくる。

 となると、デベロッパーや建設会社を票田とする建設族の国会議員さんが黙っていないだろう。「規制緩和というアベノミクスに逆行する行為だ」「何のための大店法改正だったのか」と、経済産業省を吊るし上げるかもしれない。御殿場、鳥栖などプレミアアウトレットを運営する三菱地所・サイモン(旧チェルシー)には、米国資本が入っているので、「市場開放に逆行する」と再び外圧がかかることも予測される。
 
 そもそも大型店の出店を規制する「大規模小売店法」が制定されたのは、中小零細の個人商店や商店街を守るためだ。1960年代、米国では郊外で次々と大型店が開発され始めた。日本でもダイエーが安売りのスーパーを出店した。これらが日本に上陸したり、多店舗化したりするのを予測した当時の通産(通商産業省、今の経済産業省)官僚は、個人商店や駅前の商店街はひとたまりもないと、思ったはずである。そして、自民党の「商工族」に働きかけて、大規模小売店法を成立させ、規制を強化したのである。

 つまり、法律とは何か、規制とはどうして生まれるか、である。それはその時々の「弱者」を保護するためだ。独占禁止法は弱い立場の小売業者、競争力に乏しい問屋、メーカーを保護し、大規模小売店法は個人商店や商店街を守ったのだ。でも、そうした事業構図は時代とともに変わっていく。一方で、日本は米国のようにメーカーと小売りというシンプルな流通構造にはなってない。地方ごとに産地があり、産地卸があり、仲買人がいて、小売りがいるという具合に複雑だ。また、商品を購入しても、すべて現金払いというわけではなく、掛け売りというシステムも存在した。

 そうした中で百貨店が商品を買い取らず委託で販売する「商慣習」も醸成されたいったのである。良く言えばそうした不文律の中で、メーカーも問屋も小売りも儲かる共存共栄が育まれていったのだ。

 景気が良い時代には、アパレルメーカーが卸先の商店主や百貨店関係者を海外旅行に招待したり、ゴルフ接待でもてなしていた。それだけ経費をかけても有り余る収益が上がったからだ。受ける側もそれが規制による保護であることを忘れ、自店の力だと錯覚していた。駅前商店街や百貨店はじっとしていてもお客さんが買い物に来てくれ、自ら商売に注力しなくてもフランチャイズや歩率家賃でも、十分に食べていけたのである。

 しかし、時代が移れば、環境も変化する。グローバル化で競争が国境を超えて進み、大型店や新業態、画期的な流通システムが登場すれば、お客の購買意識や消費行動に現れる。そうして中小零細の商店や商店街はジリ貧になり、百貨店は低迷するようになって行った。言ってみれば、商業という川下の低迷、不振が川中のアパレル、川上の産地、工場にまで波及し、日本のファッション産業全体が空洞化し、構造不況に陥ったとも言えるのだ。

 こうした業界の光と陰を見れば、必ずしも自由競争が良いとは思えない。また海外旅行にもゴルフにも全く縁のなかった製造業者や匠の技を持つ職人さんといった弱者が疲弊していくのを見過ごしていいとも思わない。ただ、現行の法規制ではとても効力を発揮できないのは確かだ。かといって、あまりおカネにならない業界を考えれば、商工族の国会議員さんが立法に一生懸命になることもないだろう。第一、今の自民党や民進党を見渡した時、霞ヶ関の官僚を超えるようなファッション産業の政策通は見当たらない。

 ともあれ、現行の法律では最小限の規制しかできないから、業界が疲弊している状況では、新たな規制を設けなければならないのである。そこで経済産業省も重い腰を上げ、ようやく省令という法規範、法規命令、行政指導に取り組もうということなのだろう。

 お役所仕事、省益優先、族議員の台頭、省令の乱発など、とかく官僚主義に対する批判は少なくない。だが、誰か、どこかが手を付けなければ、業界がますます衰退していくのは間違いない。「業界内部から変革していく」。言うは易しであるが、固定観念や利害をもつ人間たちが蠢く中で、簡単にできることではない。

 まずは行政庁が声を上げるというのは=構造改革に乗り出すということで順当ではないだろうか。経済産業省はファッションという繊維産業を所管することに代わりがないし、ここが現状の問題点を冷静に分析し、改善の方向に変えていくと表明したのだ。筆者は業界が健全な方向に向かい、製造卸への福音になればと、好意的に受け止めたい。

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