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『「あさま山荘」事件』-佐々 淳行-

2014-03-18 22:34:47 | 映画DVD&本

『連合赤軍「あさま山荘」事件』
今から41年前の昭和47年(1972年)に起きた事件。


原作者の佐々淳行(さっさあつゆき)は、信長に仕えた戦国武将佐々成政(さっさなりまさ)の子孫で、東大卒業後警視庁に入り、警備畑をずっと歩んできた人。

倉本 聰の「みんな子供だった」という番組にゲスト出演した佐々淳行氏が「あさま山荘」事件を指揮して解決した事などを知り、三島由紀夫の事などとも結びつき、とても興味を持った。


ワタシの学生時代の後半は、大学が全学連のスト決行とか、団交など大学がとても荒れていた。
ワタシのクラスでもストに参加する同級生がいて、学校側に抗議するとか何とかで、とても常識的な簡単な事を難しい言葉に置き換えて騒ぎ立て、授業にならなかった。
学校帰りに、学生の紛争で電車が止まり、催涙ガスに泣かされながら都電を歩いた事も。
そして、クラスが分裂して卒業後もかなりの年数クラス会など開くこともなく、問題の学年と言われている。

このころ、中革派とか赤軍派・京浜共闘・・・・ら過激派が銃と爆弾をもって革命解放がなされると変な主張をして、ハイジャックや小包爆弾・クリスマスツリー爆弾と、今考えるとものすごい事件が頻発していた。そして犠牲者も多く、まさに警察戦国時代だったのだ!

夫は、成田闘争の警備に何度も出動している、、、、そう、元警察官で16・7年勤務の後、希望退職し・・・・・・なんですけど^^;
よくぼやいているのが『休みもなく安月給で働かされた・・・』^^;

佐々淳行氏も書いているのが、あさま山荘事件の時、9日間軽井沢の極寒に耐えて警備したが、支給された特別手当は新聞記者の十分の一だったとの事!
山荘から狙い撃ちされる恐怖の中、職務を遂行し殉職した警察官や一生治らない失明、四肢の切断など、平和な時代にほんとに筆舌に尽くしがたい彼らの実情はなんとも言えない!!!

↓あとがきから抜粋
「あさま山荘事件の犯人像を見たとき、私は戦後の日本があまりに平和で、豊かで、自由であることから、文明病としての奇形児が生まれたのだなと思った。自ら自由を捨ててセクトに隷属し、リーダーに絶対服従する道を選び、平和に飽きて戦争ごっこを始め、豊かさを恥としてパンの耳をかじり、風呂にも入らぬ山岳アジトでの籠城に生き甲斐を見出し、そして人間性を喪失して信じられないほど残虐な『総括』という名の集団リンチ殺人事件で同志14名を殺して山中に埋めるという凶悪犯罪を犯した。」


TVで佐々さんが言っていたことは
「今の日本は軍隊を作るとすると非常に弱い軍だから、逃げるには情報を上手く早く・・・」
「豊かさこそが若者の敵」

なんだか不安!!><;
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