家の中の気温と湿度を一定化するためには、換気量を極力抑える必要がありました。
家の中での暖かさを極めるには、断熱材を厚くすると同時に隙間をなくす、いわゆる気密性能を向上させる事が必須でした。
もともと家を開放する文化が根付いてきた日本家屋においては、私自身も気密性を持たすことに大きな抵抗感がありました。
いろいろな家づくりを行う中でしだいに気密性能と暖かさは比例する事が解ってきます。
どんなに断熱材を入れても隙間があれば暖気と冷気は直ぐに入れ替わってしまいます。
今度は確実な気密層を構築すると家屋内の空気は汚れるため換気扇を用いる事になります。
しかし当時は第三種換気扇(写真)しか入手できませんでしたが、これでは窓を開けなければ室内が負圧状態となり、換気扇が空回り状態となります。
驚いたのは、換気扇をいくら稼働させてもガスレンジが消えそうになる事象です。
窓を開ければ一気にガスレンジの炎は蘇ります。負圧で酸欠状態となっているのです。
致し方なく家中の機材の殆どを電化製品にしたのが昭和60年でした。
電力会社に頼まれた訳でもなく、共同開発を行なった訳でもありません。
また当時は、今のように優れた電化機器の存在していない時でもありました。
燃焼機器を使用できない状況下では、電化住宅でしか成立しなかったのです。
しかし石油を燃やして発電し、送電する贅沢な電気エネルギーで暖房や給湯を行うなどとはもっての外だと大バッシングを受けるに至ります。
グラスウールから樹脂スプレー発泡断熱材への大改革を断行したのも日本で初めてでした。
ともあれ改革は、既得権益をことごとく侵すことになります。
何の改革も、そのハードルを越えなければ何も変わらないと云う事なのでしょう。
私達の住宅改革は、これからも次々と既得権益を打ち破って行きそうです。

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