江戸の退屈御家人

世の中のいろいろ面白いことを野次馬根性で・・・・

池上曽根遺跡を見る

2021年03月16日 22時05分00秒 | Weblog
 16日は青春18切符の出番である。
朝1番にJRで三宮から垂水まで行き ここから 五色塚古墳を見る。これは昭和40年代に再建された古墳で その持ち主や豪族の名前も一切わかっていない。兵庫県で1番大きい古墳であるが 淡路島との根っこの瀬戸内海沿岸の位置に作られたもので 今は古墳公園とされている。葺石で覆われた姿がきれいである






 次に大阪まで行ってここから泉大津市の 池上曽根遺跡を訪問する。
 ここは古代史の関係の書物に何度も出てくる有名な遺跡であり 紀元前50年ほどの時点で最大の規模となったと思われている。だからぜもみたかったのだが。吉野ヶ里の環濠集落や山内丸山遺跡に比べればちょっと物足りない。





ただ近くにあった弥生文化情報館はいろんな情報を比較的客観的に表現しているようで 古代史研究家の多くが確信犯的に信じる弥生時代の世界のイメージを 相対化しているのが好ましい。

 次に 古市古墳群を見るために古市まで行きました。ここで応神天皇陵とその遥拝殿と言われる誉田八幡宮を訪れました。



誉田八幡宮は非常にきれいな立派な神社である。ここでもだんじり祭りがあるようだ。




これは 百舌鳥古墳群の最大の 仁徳天皇陵に次ぐ古市古墳群での最大の古墳である。仁徳天皇陵に比べれば整備が劣っているというか あんまり整備されていないせいか。見るのは大変だが何とか1周をした。

 次に ヤマトタケルの墳墓と言われる白鳥陵を見学しました。






 河内平野には縄文時代中後期から古墳時代にかけてさまざまの遺跡がある。ただこれが ヤマト朝廷 に近づく勢力であるかどうかは 大変と思う

 私の意見は 各時代の 数百年を通じて いろんな豪族の勢力が 平穏に並行存在しており決して 現在我々がイメージする統一国家的なものとはだいぶ違うのではないかと考えるようになった。

 河内平野であちこちにいろんな村落があり それぞれが独立して生活しており 当然各村落ブロック間の連絡はあり そして婚姻関係もあったであろう。そこには大きな争いもなく円満に共存していたのではない思う。
  そしてそれが村落国家を連合して統合するような形でヤマト国会 王権が生まれたと思う。

 倭国の内乱や神武東征など どう関係付けるか 理解するかいろいろ楽しい課題がある。