江戸の退屈御家人

世の中のいろいろ面白いことを野次馬根性で・・・・

伏見稲荷 に初詣

2022年01月03日 17時13分00秒 | Weblog
 1月3日 伏見稲荷大社に初詣しました。
伏見稲荷は全国の稲荷神社の総本山。
東京にも 西東京市の青梅街道沿いに 東伏見という伏見稲荷を招請した神社がある。その側に縄文時代の遺跡があるが 京都には縄文文化がほとんどないのに 神社文化なんかは 断然京の都が優先しているのだ。古くから五穀豊穣 商売繁盛の神様で人気を集めている。




神楽殿の舞台で巫女さんたちが 神楽を奉納していたが 写真は禁止。



言わずと知れた千本鳥居

千本鳥居でなくても 鳥居の形をしたもので奉納して商売繁盛その他を祈る習わしみたい。

おもかる石。ダジャレ的に楽しんでいる。

昔の時代に石の鳥居を奉納したものは神社の摂社みたいになっているが そこに現代の人が祈りの鳥居を形として奉納して祈っている。

 とにかく現世利益を望む人が多く おみくじや占いが1番人気があるみたい。

伏見稲荷の後に 伏見の街で鳥清と言う 造り酒屋の飲み屋があるのでそこに行こうとした。ご承知のように伏見は酒の街。
黄桜のショップはやっていたが 飲み屋はさすがに1月3日まではお休みと。残念。

近くには 歴史があった。少し先には 伏見奉行所跡がある。





平等院鳳凰堂に詣る

2022年01月02日 17時35分00秒 | Weblog
平等院鳳凰堂に詣った。






極楽浄土の感じがする。



帰りに 宇治茶の店が並んでいるので 抹茶をトライした。


近くの宇治橋に紫式部の像と宇治十帖の
説明があった。




順序は逆になるが
今朝は先ず 洛北の岩倉実相院を訪ねた。ここは床みどり・床もみじで有名なお寺。しかし今は冬で残念ながら見えない。


庭園はきれいだ。

庭園の向こうに比叡山の頂上が見える。
近くに岩倉具視の隠棲宅があった。


この後 京都の南 宇治まで行きました。





継体天皇の 今城塚古墳を見る

2022年01月01日 18時23分00秒 | Weblog
 今日1月1日 大阪府高槻市にある 今城塚古墳を見てきました。
 第26代継体天皇の陵墓とみなされているが 宮内庁は約1.5キロ西にある太田藍野陵を継体天皇陵と見做して、ここ今城塚古墳を天皇陵としていない。それは江戸時代 本居宣長が太田藍野陵を継体天皇陵としたこと それに戦国時代に戦場基地に使われ荒れていた それが理由のようだ。大正時代にいくつかの学者が文献調査の結果 この今城塚古墳を継体天皇陵墓として以来、これが通説となっているらしい。
 宮内庁が陵墓としない以上 ここは大阪府と高槻市の所轄になり その結果 天皇陵としては学術調査が可能となった古墳なのである。
 平野部分に盛り土し二重の環濠をひいた350メーター程度の前方後円墳である。高槻市の所管で古墳公園にしてあるもので
古墳に登り様子がよくわかるようになっている。



古墳時代も後期の 大王権力の安定して祭祀が重視され 家形埴輪や武人埴輪が特徴的に見える古墳である。





継体天皇の系統が欽明天皇や推古天皇や聖徳太子と続く。継体天皇がその前の天皇たちとどういう風な関係になるかがいつも議論になるところであり興味関心は尽きない。宮内庁が想定している太田藍野陵墓が年代からして継体天皇のおじさん位だとすると 歴史の認識が変わる可能性がある。古代史のロマンである。

 こうして正月早々古代史の探検をやれたのはありがたい。
 高槻まで来たから足を伸ばして大阪でうまいものを食べようと行きました。しかし大阪でも1月1日はやはり休んでいました。食べるところを探して歩いているうちにJR地下鉄の北新地駅に出ました。これに乗って次の大阪天満宮駅で降りました。ここは大阪の天神さんであり、ここで初詣をすることになりました。北野天満宮は行ってないのに。





天神橋商店街の中で 大阪では珍しい洋食ランチを食べました。
 その後JR東西線で この線はJR学研都市線につながり奈良県の木津まで続いていた。ここは例の青春18切符の出番である。木津で乗り換え みやこLINEで京都まで。
 準備不足のせいで この途中に 宇治の平等院 と 伏見稲荷 という絶好の初詣スポットを見過ごしてしまった。
 京都に着くと 仕方ないから八坂神社に初詣に行きました。






おけらの火はもう終わってしまっていた。

10年以上前には 12月3 1日に 知恩院の除夜の鐘撞きを見て その足で円山公園を横切り八坂神社に入り オクラの火をもらってぐるぐる回しながらホテルに帰った覚えがある。
このとき
 煩悩を 撞きて 八坂のオケラかな

の句を句会に出したが、 往時茫々。