狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

思い出の歌(五) 「島のブルースから池袋の夜」

2006-07-04 07:45:45 | 音楽

“人生とは旅であり、旅とは人生である” 2006.07.03
 
中田英寿の衝撃的引退宣言を告げるHPの書き出しである。
 
凡人が書くとクサイ文も実績のある人が書けばかくもカッコよく人の心に訴えるものなのか。
 
ファンは、ブラジル戦に敗れた後ただ一人ピッチの芝生に仰向けになってジット空を仰いでいた中田の姿とダブらせてこのカッコいい文を読んだのだろう。
 
月日は百代の過客にして、行き交う年も又旅人なり」
 
筆者は何故か松尾芭蕉を中田に重ねて読んだ。
 
中田ショックから体勢を立て直して、小さな我が「思いでの歌の旅」に踏み出そう。
 
                    ◇

 青春歌謡で吉田正に遅れを取った渡久地政信はかつて住んだ事のある奄美大島の民謡を取り入れた「島のブルース」で三沢あけみを昭和38年に歌手デビューさせる。

三沢は当初女優をめざしており昭和34年に東映入りし、テレビ時代劇「笛吹童子」に出演していた。

その後「酒は手酌でほろ酔いで」(作詞:吉岡治 作曲:渡久地政信)、「わかれ酒 」(作詞:吉川静夫 作曲:渡久地政信 )と酒場路線を狙ったが、結局ヒットは「島のブルース」一曲で終わった。

◆島のブルース(昭和38年)

作詞: 吉川静夫  作曲: 渡久地政信  唄: 三沢あけみ


★三沢あけみ(1945- )
長野の伊那出身。中学在籍中の昭和34年に東映入りし、テレビ時代劇「笛吹童子」に出演する。38年に歌手デビューし、「島のブルース」がヒット。45年に結婚し、ステージから遠ざかるが、54年に離婚、カムバックを果たす。その後もテレビ出演などを続けている。
(「誰か昭和を想わざる」より引用)


青江三奈と言うとデビュー曲の衝撃的なうめき声とハスキーな声の印象が強く「恍惚のブルース」が一番のヒット曲だと思っていた。

だが調べてみると青江三奈の曲の売上ベスト1と2は実は渡久地政信の作曲だった。

①池袋の夜 吉川静夫 渡久地政信 150万枚 1969年 日本レコード大賞歌唱賞

②長崎ブルース 吉川静夫 渡久地政信 120万枚 1968年
  
③伊勢佐木町ブルース 川内康範 鈴木庸一 100万枚 1968年 日本レコード大賞歌唱賞

恍惚のブルース 川内康範 浜口庫之助 80万枚 1966年 デビュー曲
 
④国際線待合室 千坊さかえ 花礼二 80万枚 1969年 同名映画の主題歌

他にも渡久地は次のような曲を青江三奈のために作っている。
夜の瀬戸内 」吉川静夫 渡久地政信 - 1970年 映画「女の警察 乱れ蝶」主題歌
長崎未練」 吉川静夫 渡久地政信 - 1971年  
日本列島・みなと町」 吉川静夫 渡久地政信 - 1972年  

こうして見るとデビュー曲の「恍惚のブルース」こそ浜口庫之助に譲ったものの青江三奈の曲に一番多く関わったのは渡久地なのだが何故かその印象は薄い。

青江三奈は2000年(平成12年)7月2日、すい臓がんのため54歳で他界する。

渡久地の印象が薄いのは青江三奈の死後テレビを賑わした「国際線待合室」の作曲者・花礼二との事実婚のテレビ報道やデビュー曲「恍惚のブルース」のイメージが強すぎたせいだろう。


◆池袋の夜  昭和44年

作詞 吉川静夫・作曲 渡久地政信  唄 青江三奈

  ★青江三奈(1945-2000)
東京の江東出身。高校卒業と同時に横浜や銀座でクラブ歌手となる。川内康範の小説「恍惚」のヒロインから芸名を貰い、昭和41年に「恍惚のブルース」でデビュー。同曲は80万枚のヒットとなり、赤い髪にドレス姿、独特のハスキーボイスと色気に満ちた溜息などで人気を博した。43年には「伊勢佐木町ブルース」が大ヒット。同じ頃にデビューした森進一と並んで、それまで歌謡曲では悪声とされていたハスキーボイスのイメージを一変させた。同年には「長崎ブルース」、44年には「池袋の夜」「国際線待合室」がヒット。青江が先鞭を付けたハスキーボイス路線は八代亜紀が踏襲し、八代の登場と前後して爆発的なヒット曲は出なくなる。酒豪としても知られたが健康マニアとしても有名で「青江薬局」などと揶揄された。「国際線待合室」を作曲した花礼二との同棲生活を続けたが、生涯独身を貫いた。平成11年2月に膵炎の手術を行い、6月に再入院、12年7/2午後11時40分、膵臓ガンで死去。本名は井原静子。死の直前に花と入籍していた事が後に判明し、遺族も巻き込んでの騒動となった。平成13年には「伊勢佐木町ブルース」の歌碑が建立された。
(「誰か昭和を想わざる」より引用)

 

沖縄出身の芸能人の先駆者として渡久地政信を取り上げてみたが思ったより広範囲に活躍している事実に驚いた。

現在沖縄出身のミュージシャンと言えば、オレンジレンジ、安室奈美恵、夏川リミ等沢山いるが沖縄出身で最初に全国区になった音楽家と言えば渡久地政信の功績を忘れてはいけない。

戦後僅か6年で爆発的ヒットとなった「上海帰りのリル」を作曲した時が35歳。

遅咲きの作曲家としての出発だった。

それから最後の大ヒット曲「池袋の夜」までの約20年間。

常に日本歌謡曲界の重鎮であり続け、現在の沖縄音楽ブームの先がけとなった。


★渡久地政信
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

渡久地政信(とくち まさのぶ、1916年(大正5年)10月26日 - 1998年(平成10年)9月13日)は、昭和・平成期の作曲家。

沖縄・恩納村に生まれ、少年期を奄美大島で過ごす。日本大学芸術科卒業後、1943年(昭和18年)、日本ビクターレコードより貴島正一の名で歌手デビューしたが、断念し1951年(昭和26年)よりキングレコード専属の作曲家に転身(後に古巣のビクターに移籍)。以後、『上海帰りのリル』、『お富さん』、『島のブルース』など数多くのヒット曲を手掛ける。中山晋平メロディーが日本民謡、古賀政男メロディーが朝鮮民謡、服部良一メロディーがジャズを基調としているのに対し、渡久地メロディーは生まれ育った沖縄・奄美民謡をベースにしているといわれる。

1998年9月13日、肺炎のため死去。享年81

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主な作品
津村謙
上海帰りのリル(1951年)
春日八郎
お富さん(1954年)
大津美子
東京アンナ(1955年)
三浦洸一
踊子(1957年)
フランク永井
俺は淋しいんだ(1958年)
夜霧に消えたチャコ(1959年)
松島アキラ
湖愁(1961年)
三沢あけみ
島のブルース(1963年)
青江三奈
長崎ブルース(1968年)
池袋の夜(1969年)
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カテゴリ: 日本の作曲家 | 1916年生 | 1998年没

(完) 

 

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