狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

京都の送り火騒動

2011-08-09 08:19:34 | 県知事選

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 甲子園では第一試合に糸満高校が登場する。

先ほど試合開始し後攻の糸満、一回は四番の犠牲フライで一点失った所。

相手のピッチャーは剛球投手。 打てるかどうか・・・。

【追記】香川英明に1-4で惜敗、いや完敗でした。 相手が一枚上手でした。

           *

 

沖縄のさらに南の海に浮かぶ石垣島で中学校の教科書採択をめぐり「市民」と名乗る一握りの活動家が騒動を引き起こしているが、まだその決着はついていない。。

一方、日本の伝統文化の中心地ともいえる京都市では、やはり一握りの「市民」が伝統行事である「五山送り火」で騒動を引き起こし、結局はごり押しを成功させた。

東日本大震災:岩手・高田松原の松、迎え火に 京都で送り火拒否、地元でまきに
 津波で流失した岩手県陸前高田市の高田松原の松を京都の「五山送り火」(16日)のまきにする計画が放射能汚染を懸念する声を受けて中止された問題で、震災遺族らのメッセージが書かれたまきが8日夜、同市を訪れている「大文字保存会」(京都市)の松原公太郎理事長や現地の人の手で精霊の「迎え火」として燃やされた。

 遺族らは午後7時から黙とう。333本のまきに点火した。祖母とおばを亡くした栃木県小山市の大学生、斎藤さとかさん(22)は「亡くなった方々の魂も天に昇っていくよう」と炎の上がった空を見上げていた。

 保存会はメッセージを別のまきに書き写して送り火で使う。京都市によると、中止決定以来、約250件の電話やメールがあり、大半が中止を批判する声だった。同市の門川大作市長は、協力した現地の人に「まきの一部を残し15日に京都市役所前で行うイベントで送り火のように燃やしませんか」と打診したが、断られたことを明らかにした。【大西岳彦、古屋敷尚子】

毎日新聞 2011年8月9日 東京朝刊

             ☆

報道によると中止決定の前は「中止せよ」との「市民」の声が多かったようだが、中止決定が報道がされるや、中止に反対する声が多かったと聞いて、京都市にも良識ある市民が多数いることを確認し一応納得したのだが。

それにしても「市民」の声に動揺して中止に踏み切った市当局の罪は大きい。 恥を知れと言っておく。

京都新聞によると、計画を中止したことに対し、「被災地の思いが無駄にする」「京都に裏切られた」などと批判する意見が、8日までの3日間で京都市に約310件寄せられた。

市への意見はメール約180件、電話約130件などで、所管する文化財保護課は一時電話がつながりにくくなった。

京都市民を中心に他府県からも多く、「放射性物質が検出されてないのに中止は疑問だ」「京都のイメージダウンにつながる」などと中止の撤回を求めていた。

京都新聞社には福島県内の男性から「仕事で京都の物産を勧めていたが、もうやめます」との電話もあったという。

 市役所内では8日、取材に対し門川大作市長が「今回の決定は残念で寂しい。市として別の形で実現できるよう協力したい」とコメント。陸前高田市長らにマツの一部を残すよう要望したが、現地から「予定通り燃やす」と返事があった。市議会経済総務委員会でも、市議から「風評被害を広げ、京都の信用失墜にもつながる。観光にもマイナス」との指摘が出た。

 一方、陸前高田市では、大文字保存会の松原公太郎理事長が、マツに犠牲者の氏名や復興の祈りを書く作業に協力した地元住民に中止を報告、謝罪した。「迎え火をすることで理解していただいた。地元の人が火をともすのを見守りたい」として、8日はマツを組み上げる作業を手伝った。

燃やす前に、書き込みがあった約300本のマツをすべて写真撮影しており、16日の送り火までに、火床で使うマツの割り木に書き写すという。

日頃気になっている「市民の声」と「国民の声」の関係、そしてノイジーマイノリティのゴリ押しについて、次のメルマガをお読み下さい。

「甦れ美しい日本」第994号

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◎井上政典 【いったい市民ってだれのこと?】
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8日、テレ朝のモーニングバードを見ていてびっくりしました。京都のイメージがガラッと

変わったのです。

私の大好きな赤絵キャスターが陸前高田市に再々度訪問し、お祭りの様子や以前から取材
をしている佐藤さんという77歳のおじいちゃんのお話などが放送されました。

定点取材ということで、震災から5ヶ月たって、陸前高田の復興の様子が良くわかります。
人々は、お祭りを通して、地域の人々のつながりを一所懸命に繋ぎとめようとしています。
その祭りの実行委員長が、震災さえなければ、この山車が4つあったのに、今は一つしかない
と男泣きしながら、熱い思いを語っていました。
取材でこのようなシーンをながせるということは、取材スタッフと心が通じていなければ
なかなか取れない画像だと思います。テレ朝のモーニングバードの取材陣はきっと陸前高田
の人々から信頼されているのだと推察しています。

このシーンのあと、信じられないことが報道されました。それは、陸前高田市の「高田松
原」の松で作った薪を京都の大文字焼きで燃やす企画を数十件の「市民」からの放射能に対
する不安という声で、断念したということです。

この松は、津波でなぎ倒され、一本だけが残ったあの松原の松で、復興のシンボルとして
被災地の皆さんの心のよりどころとして保存が早々と決まり、対策がとられた松で、テレビ
などの報道でご存知の方も多いと思います。

残りのなぎ倒された松を護摩木として使い、今回のお盆の送り火に被災地の方々の亡くな
った妻や夫、親や子供、親戚縁者の名前を書き、そして復興への新たな決意を書き、京都五
山送り火で燃やす計画を大文字保存会(京都市)は数十件の市民の反発で止めたのです。


保存会はきちんと薪の放射能検査を実施し、その結果も何も異常ありませんでした。もと
もと原発から百数十キロ離れている場所の松です。これを風評被害と言わずして何というの
でしょうか?

誰がこんなことを反対したのでしょうか?

「数十件の市民」の苦情が寄せられたためと報道されていましたが、これを聞いたすべて
の京都市民はどう思ったのでしょうか?もし、その薪から放射能が検出されていてそれを燃
やすと京都市街地に降り注ぐことになるのであれば、中止もやむないと思います。しかし、
そこには何の問題もないのです。

この京都五山送り火は何のために毎年開催されているのでしょう?

観光のためだけですか?有名な五山の送り火を見るために集まる観光客を喜ばせるためで
しょうか?京都という神社仏閣の集まった場所で、この伝統行事をただ見物する人も多いで
しょう。でも、神社仏閣は観光の目玉ですが、それ自体が本来の「帰ってこられたご先祖様
のみ霊を天にお返しする」をはじめとして神社仏閣の「衆生を救う」とか「神々を鎮める」
という目的を忘れてはならないはずです。

この陸前高田のあの松林の松を使って鎮魂と復興の決意を込めた思いを火によって天に昇
らせるというすばらしい企画を止めさせた「市民の声」とはいったい誰でしょう?

この保存会の松原理事長は頭を丸めて事情を報告したそうですが、なぜ毅然とその「市民」
たちに説明し、実施できるように努力しなかったのでしょう。中止を決めてから報道される
前に、こういうことがあっていると一般の「国民」に訴えなかったのでしょうか。

とても残念ですし、これで京都の大文字焼きの価値が大幅に下がったとしか思えません。


玄海の原子力発電所やその他の原発問題で、電力会社や経済産業省のやらせメール問題が
クローズアップされていますが、どうして彼らがその対策をしなければならなかったのかメ
ディアを知っているくせに一言も報道しません。

特定の「市民」と言われる日本を破壊しようとしている勢力がいて、それらが動員をかけ
て会場に押し寄せたり、反対意見を言って世論を操作しようとしていることは明白です。


横浜市教育委員会に育鵬社の歴史教科書採択したことに対して連日大量の反対意見が出さ
れていますが、これらの人々の実態は民潭や総連が多くかかわっていることもメディアは知
っているのにほとんど報道しません。

私たちは「サイレントマジョリティー」を演じるのを止めなければなりません。きちんと
自分たちの意見を言わねばならないのです、日本の未来のために、子供たちの将来のために。
横浜市に住んでいる方々はぜひ、教育委員会に激励をメールや電話をしてください。きっと

すでに行動しておられる方が大半だと思いますが、他の人に声をかけてください。

一般の国民がそれぞれの思いをきちんと表現したら、得体の知れない「市民」は活動でき
なくなるはずです。あまりにも一般の国民が声を上げなさ過ぎたと思います。

一般の京都市民の皆さん、こういうことで京都伝統の五山の送り火から被災者の魂を排除
していいものでしょうか。日本人は元来物にも命があるという世界でも希な宗教観を持つ民
族です。陸前高田の松に思いを込めて、被災者の霊を慰め、そして復興を見守っていただく
ことは有数の神社仏閣の集まる京都ならでは最高の貢献ではないでしょうか。

「市民」という名の日本が嫌いな人たちに負けてはなりません。私たちは日本国民なので
すから。

もう一度繰り返す。

一部の「市民の声」に動揺して中止に踏み切った京都市当局と保存会は恥を知れと・・・。

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 【おまけ】

【8月9日産経抄】

 京都をひいきにする文化人を挙げればきりがないけれど、昨年亡くなった文化人類学者の梅棹忠夫の思い入れは尋常ではなかった。生粋の京都人である梅棹は「今でも日本の首都は京都」と公言していたほどだ。

 ▼「すべての文化が、京都の文化が標準になっている。これにいかにかぎりなく接近するかというのが、日本のすべての文化の方向である」「京都がほろびるときは日本の文化もほろびるときなのだ、という理解まであるのではないか」。

 ▼梅棹がここまでたたえた文化都市らしからぬ出来事だった。東日本大震災の津波で倒れた岩手県陸前高田市の景勝地「高田松原」の松を、京都の伝統行事「五山送り火」の「大文字」で使う計画がとりやめになった。放射能汚染を心配する声が、寄せられたからだという。

 ▼もともと大分市の美術家の発案で、松から作った数百本の薪には、被災者が亡くなった家族への思いや復興への決意を書き込んでいた。大文字を主催する地元の保存会と京都市がすべての薪を検査して、放射性物質がないことを確かめたにもかかわらず、最終的に風評に屈した形となった。

 ▼もちろん大多数の京都市民の本意ではないだろう。美術家はとりやめに理解を示したというが、どうも釈然としない。何より陸前高田市民に対して失礼だ。ニュースを知ってからというもの、街にあふれる「心をひとつにしよう」といった標語や「絆」の文字が、どうしても嘘っぽく見えてしまう。

 ▼盆の大文字の送り火は、室町時代から続く宗教行事だという。おびただしい観光客が訪れる、近年の大文字のあり方に批判的だった梅棹なら、今回の騒動をどのように断じただろうか。聞いてみたかった。

 

月9日付 編集手帳
 都々逸にある。〈松という字を分析すれば きみ(公)とぼく(木)との差し向かい〉。人と人とが寄り添う。差し向かいになるはずが、相手からツンとそっぽを向かれた松は気の毒である◆大津波で倒れた岩手県陸前高田市の景勝地「高田松原」の松で作った薪(まき)を「京都五山送り火」(今月16日)で燃やす計画が中止になった。放射能汚染を心配する声に配慮し、大文字保存会(京都市)が判断したという◆犠牲者の名前や復興の願いが書き込まれた薪は、鎮魂の祈りとともに京都の夜空を焦がすはずであったが、それも残念ながら叶(かな)わない◆高田松原は原発から遠く離れ、検査でも薪から放射性セシウムは検出されなかった。それなのに、である。この一件は例外的な出来事であって、被災地の人々や産品を科学的根拠もなしに遠ざける心が知らず知らず、日本人の胸に根を張ったのではないと信じたいが、さて、どうか。一人ひとりが胸に手をあててみる機会になるなら、不幸な松たちも幾らかは浮かばれよう◆「大」という字を分析すれば、おのれ一人がいるばかり。寄り添う心を持てない世の中はさびしい。

(2011年8月9日01時28分  読売新聞)

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