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「玉津発言」について本日のエントリーで連続5回エントリーしたことになる。
しつこさだけが自慢の当日記だが、さすがに同じテーマで5日も続くと、読者に逃げられる恐れがあるので、本日で終止符を打つ予定です。最後までお付き合い下さい。
八重山教科書問題では玉津氏を極悪人に仕立て上げ猛バッシングを続けた発狂2紙。 今回も当分は玉津バッシングが続くものと予測したが、玉津氏の正論にまともに太刀打ちできるはずもなく、捨て台詞のような社説を残して沈黙してしまった。
ところが玉津氏には煮え湯を呑まされた感のある八重山毎日が昨29日、積年の恨みを投げつけるような社説を書いた。
人間誰でも痛い所を突かれると動揺し、それを隠すため支離滅裂な言動をするもの。
八重山毎日の社説がまさに、それだ!
2013年09月28日
八重山毎日 社説
高い目線を除し対話で信頼回復を
■閉塞感がより拡大
石垣市議会で教育長は「弊害」「思考停止」の語を用い答弁。現在の平和教育を批判した。「思考停止」の主語は、児童生徒か教師か、それとも総体としての平和教育か。教育長発言としては疎漏でお粗末。小・中の学校現場を知らないのではないか。授業の工夫改善を主張するもあまりに独りよがりで身勝手に過ぎる。それらのことがもとで市議会では教育長不信任決議案が可決されるまでに混乱している。
世には時に「思考停止」を「脳死」と同列し罵倒気味に使うことさえある。発言の重大さを認識し、撤回すべきではないか。それがなければ今後の教育行政、とりわけ教育委員会そのものへの不信感が増幅しかねない。閉塞(へいそく)感の拡大を恐れる。情熱的に進める学力向上対策へも影を落とそう。
本県の多くの学校では早くから6月を「鎮魂・祈り」の月間として、沖縄戦の実相を伝える授業や集会が行われている。他県に例を見ないことであり、本県の学校でしかできないことでもある。これは教育課程編成時、教師側から自然発生的に生じたと聞く。「沖縄慰霊の日」を敬虔(けいけん)に思ってのことである。
■正しい情緒発達を願って
教師は奔走して教材を求め授業を創造している。戦争体験者に戦争がいかに非人道的な行為かを話してもらっている。また、市井の歌手として知られる国吉なおみさんのように毎年学校行脚をし、「月桃」「対馬丸哀歌」などの歌コンサートで平和の尊さを共有している。今回の発言は、これらの人たちを侮蔑し悲しませたのではないか。
悲惨さのない戦争などない。悲惨さを否定する平和教育などありえない。人と人が殺し合う戦争はいかなる場合においても悪であり、正義など存在しない。小・中学校期の発達段階に応じて、このことを教え学び続けるなかで、誰が思考停止するというのか。人間の尊厳を守り続けるための正しい情緒発達を願う教師愛がそこにはある。内戦国の子どもたちが誇らしげに銃を取る姿と自らを重ね合わさせ平和の尊さを考えさせているのである。
こんなことをして何になる、平和を唱えるだけで平和が到来するならこんな容易なことはない—と話す人もいる。これは大人の論理である。「鎮魂・祈り」の平和学習は、どこまでも人間の尊厳さを信じている子どもの純粋な感情に寄り添い、その正しい情緒の発達を助ける教えである。平和構築の希求を要諦とする、大学や高等教育機関での講義や授業と混同してはいけない。
■何を点検・検証するのか
また、授業を点検するという。これは教育長の権限を逸脱している。教育課程の編成権は校長にある。仮に不適切な授業が展開されていたなら校長を指導助言すべきである。示威的に走れば学校と距離を置くことになる。
—歴史を「鏡」にする—。今、私たちにはこのことが求められている。正しく向き合って自身の見識を磨く。自分の外に鏡を置いて多面的に映すことを心がける。前段があって後段が生きてくる。独善的な思考を排することにもなる。まずは「鏡」を清く・正しく・美しく磨こう。
☆
八重山毎日の社説のお付き合いはサラッと流して、「平和教育」を批判した10年前の読売社説を紹介しようと思ったのだが・・・。
>「思考停止」の主語は、児童生徒か教師か、それとも総体としての平和教育か。
>小・中の学校現場を知らないのではないか。授業の工夫改善を主張するもあまりに独りよがりで身勝手に過ぎる。それらのことがもとで市議会では教育長不信任決議案が可決されるまでに混乱している。
>世には時に「思考停止」を「脳死」と同列し罵倒気味に使うことさえある。発言の重大さを認識し、撤回すべきではないか。
>本県の多くの学校では早くから6月を「鎮魂・祈り」の月間として、沖縄戦の実相を伝える授業や集会が行われている。他県に例を見ないことであり、本県の学校でしかできないことでもある。これは教育課程編成時、教師側から自然発生的に生じたと聞く。「沖縄慰霊の日」を敬虔(けいけん)に思ってのことである。
>悲惨さを否定する平和教育などありえない
>小・中学校期の発達段階に応じて、このことを教え学び続けるなかで、誰が思考停止するというのか。人間の尊厳を守り続けるための正しい情緒発達を願う教師愛がそこにはある。内戦国の子どもたちが誇らしげに銃を取る姿と自らを重ね合わさせ平和の尊さを考えさせているのである。
突っ込みどころ満載なので、一々取り上げると、これだけで終わりそうなので、反論は読者にお任せしたい。
一つだけ言わせて貰うと、冒頭で「対話で信頼回復」と言いながら、玉津氏に対しては、発言撤回を要求している。 「対話」と「問答無用」のダブスタに疑問を感じないほど動揺しているのだろうか。(笑)
ついでにもう一つ。
冒頭では「高い目線を除し」と言いながら、結語部分のこの高い目線は噴飯ものではないか。(爆)
>—歴史を「鏡」にする—。・・・まずは「鏡」を清く・正しく・美しく磨こう。
ご高説はごもっともだが、色眼鏡を掛けて歪んだ鏡に映る歴史はどのように映るのか。
赤い脳みその自分たちの言動は「清く・正しく・美しい」と想い込んでしまっている八重山毎日こそ、思考停止そのものではないのか。
玉津氏は一体何をもって思考停止といったのか。
再度引用しておこう。
「平和の尊さを教えるとしながらも、戦争の悲惨さを強調する教育となっている。その教育の弊害は、戦争に対する嫌悪感から派生する思考停止と言える」(琉球新報)
では、思考停止に陥った「平和教育」を受けたらどのような人物になるか。
大人になっても「平和活動」に狂奔する野嵩ゲートの暴徒もそうだが、一見論理的に見えて実は脱論理の「平和教育」の集大成のような大人の「思考」が、沖縄タイムス「論壇」に掲載されているので紹介する。
9月28日付沖縄タイムスの[論壇]
沖縄の将来、沖縄の意思で
自己決定権の実践方法を探る 宮城=内海えみこ 沖縄平和連絡会市民代表世話人
沖縄の自己決定権を考えたい。 沖縄は薩摩による支配、明治政府の琉球処分を経て独立を奪われた。 そして先の対戦では日本の「捨て石」とされ、莫大な被害・悲劇を被った。そして沖縄分離と米軍統治を希望した天皇の意向もあり、1952年4月28日沖縄は分離された。 この4・28を安倍政権は完全な主権回復の日と言う。 沖縄を含まない状態を日本独立と公言したことを沖縄側は真正面から認識しよう。 日本国家の統治下で辛酸をなめてもう68年どころか100年以上経ている。 戦後も復帰後も沖縄の意思を踏みにじって基地は強化の一途にある。 沖縄の人間にとって自らの意思でこの地域の未来を作れないこと自体がおかしいのであり、沖縄の意思を無視して沖縄の将来を決定することが出来ないのは当然である。(省略)(那覇市、64歳)
このお方は、果たして自分の頭でものを考えることがあるのだろうか、と疑念を持つ典型的な文である。
まるで左翼学生の演説にでて来るような文言の続出ではないか。
いわく「沖縄は薩摩による支配」、「明治政府の琉球処分」、「日本の「捨て石」」。「莫大な被害・悲劇」、「沖縄分離と米軍統治を希望した天皇の意向」・・・。
平和教育の結果、平和活動をする人々は何も考えず、上記の文言を声高に叫んでおればいっぱしの論客になれるのだから、「思考停止」ほど楽な商売はない。
思考停止した方々は、玉津氏があたかも平和教育そのものを否定したかのようにいきり立つが、それこそ思考停止の証左である。
「反戦・平和」は誰もが望むことで、所謂進歩派などの独占的主張ではない。
ところが沖縄2紙や反日サヨクなどはこれを黄門様の印籠のごとくかざして情緒的に唯々戦前の日本は悪いと云う風潮を作ってきた。
次に紹介するのは10年前の読売の社説だが、平和教育に対するな冷哲な思考が随所に見られ、10年の時を越えてそっくりそのまま八重山毎日の反論にもなっている。
[平和教育]「理念と方法の見直しが必要だ」
「戦争は恐ろしい」だけで終わらせてはならない。明日は終戦記念日。平和について、一人ひとりが思いをめぐらすべき時である。
平和は、学校教育においても重要なテーマだ。だが、平和教育の形がい化が指摘されて久しい。日本の平和にとって今最大の問題は、北朝鮮の核であり、拉致問題だ。それなのに、この問題について深く考えさせる授業は、ほとんどない。(2013年現在の状況では、これに尖閣問題が加わる。引用者注)
平和教育が、情緒的な反戦意識の形成に主眼を置いてきたことが、その背景にある。平和教育の理念と方法について、抜本的な見直しが必要だ。
日教組は、先の大戦について、東京裁判の判決などに依拠し、日本の「侵略と加害」ばかりを強調する立場をとってきた。また、「資本主義国は好戦的、社会主義陣営は平和勢力」という図式を、戦後、長く固持してきた。
地方自治体の平和博物館などで、日本軍の残虐さを強調するため、事実に反する写真が展示されたこともあった。
平和教育に、歴史や国際状況の認識、子供の感受性への配慮など多くの面で、誤りと偏りがあったことは明らかだ。その現状は、戦後長く続いた「進歩派」主導の平和観と無縁ではない。
見直しの機会は何度かあった。
日教組教育文化政策局が一九九六年に出版した「もうひとつの『平和教育』―反戦平和教育から平和共生教育へ」は、従来の平和教育が、国民の支持を得てこなかったことを認めている。
先の大戦についての考え方は多様であるとの見解も示し、教師が自分の歴史認識を子供に押しつけることを戒めた。
自社連立政権の樹立など、当時の政治状況を反映する提案だった。だが、今、そこに示された平和教育の転換が学校で進んでいるとは、とても言えない。
平和教育で目指すべきは、現在の価値観で歴史を断罪することではない。子供に、戦争の災禍や恐怖を教えるだけでなく、戦争に至るまでの経緯を冷静に分析し、教訓をくみ取る力を培うことだ。
先の大戦に至るアメリカの対日政策などの調査を基に、どの時点でどうすれば日本が戦争を避けられたのかを話し合う授業をしている教師がいる。新たな角度で戦争を考える教材特集を組んだ教育雑誌の発行も予定されている。
沖縄では、残虐な写真によって子供が人間不信に陥る恐れもある、とする平和教育の手引を県教委がまとめた。読書や植物栽培などを組み入れた、総合的な平和教育が広がりつつある。こうした取り組みを大切にしたい。
(2003/8/14/08:19 読売新聞 無断転載禁止)
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20030813ig90.htm
☆
一昔前の社説だが、玉津氏のいわゆる「平和教育」についての問題提起を見事に先取りしているではないか。
現状の平和教育の問題点の一例として、「沖縄では、残虐な写真によって子供が人間不信に陥る恐れもある、とする平和教育の手引を県教委がまとめた。」とあるが、玉津氏の主張そのものである。
平和教育として展示される写真の大半が猟奇的な印象を与える。
沖縄平和祈念資料館などがその典型だ。
「はだしのゲン」問題と同様に、ある程度社会が理解できる高校生以上ならこうした展示も意味があるが、中学生以下の子供に見せるようなものではない。
戦争の残酷さ非情さを直視せよということなのだろうが、実際には子供たちに心理的な恐怖を根付かせようとしているだけだ。
恐怖によって人心を支配しようとするのは彼らが忌み嫌うヒトラーなど独裁者のそれと同じではないか。
参考エントリー
【おまけ】
ヒジャイさんがブログで「平和教育」について批判しているので引用する。
沖縄の平和運動は平和に全然貢献していない
(前略)
しかし、沖縄の老人たちの戦争体験談は戦争の怖さ、惨さ、日本兵の残忍さを伝えるだけで、なぜ沖縄戦が起こったか、戦後の世界の戦争はどのように変化したのかは教えない。ただただ戦争は怖い惨い、だから戦争は駄目というだけである。そして、軍隊があるから戦争が起こる。米軍基地があるから戦争に巻き込まれる。戦争が起こったら真っ先に沖縄が攻撃されると言い、平和運動がいつの間にか米軍基地撤去運動に転換していくのである。
アジアの国は日本、中国、北朝鮮、韓国、フィリピン、台湾、インドネシアなどである。アメリカや日本が戦争するとしたら相手国はそれらの国である。アメリカや日本は一体どの国と戦争をするというのだ。戦争相手国を示さないで米軍がいるから戦争に巻き込まれるという抽象的な話はなんの意味もない。戦争恐怖を植え付けるだけだ。そんな妄想じみた話は止めるべきだ。
しかし、戦争体験を語る老人たちはアジアの国々を知らない。ただただ戦争は駄目だ。米軍基地があるから沖縄は戦争に巻き込まれると呪文を唱えるだけだ。老人たちだけではない。大学卒で知識の高い人たちの組織である沖教祖や革新政治家も老人たちと同じように戦争は駄目だ。米軍基地があるから沖縄は戦争に巻き込まれると呪文を唱えるだけだ。
調子に乗って米軍基地のある沖縄は戦場と同じだなどと吹聴する。シリア内戦ではすでに五万人の人が殺されている。数日前にはケニアの首都ナイロビのショッピングモールをテロリストが襲撃して六十七人の市民が殺害された。アフガン、パキスタン、イラクでは繰り返される自爆で多くの市民の命がなくなっている。それが戦争だ。戦争では貴い命が毎日失われていく。戦後の沖縄はテロ襲撃で県民の命が失われたことはない。他国の軍隊に襲撃されたこともない。米軍基地のある沖縄は戦場と同じだなどと吹聴できるのは沖縄が平和だからだ。米軍に保護されて平和だから沖縄は戦場だなどと平気で言える。もし沖縄で戦争が起こったら、沖縄は戦場だなどと吹聴している連中は県民を守ってくれと米軍に泣きつくだろう。
沖縄の平和運動は反米軍基地運動に転換し、米軍を撤去すれば沖縄は平和になると空念仏を繰り返すだけであり、将来への夢も希望もない運動である。
沖縄の平和を本当に願うなら、今の沖縄を取り巻くアジア情勢を見、沖縄を襲ってくる可能性のある国に沖縄を襲ってくるなと訴える運動をするべきである。
沖縄を襲ってくる可能性のある国は中国である。中国は尖閣は中国の領土だと主張し、尖閣は我が領土だと主張する日本と戦争も辞さないと豪語している。沖縄の上空に無人機を飛ばし、自衛隊が無人機を撃ち落とせば戦争をするぞと脅かしている。
戦争は惨いと念仏を繰り返すのではなく、米軍基地撤去の主張を繰り返すのではなく、沖縄を襲うぞと威嚇し脅し続けている中国に抗議をするのが沖縄の平和運動のあるべき姿だ。
学力全国最下位を放置し、中国の脅威を無視し、アジア・世界を見る目を目隠しにし、六十八年前の悲惨さと米軍基地反対をやっている平和運動は沖縄の平和に全然貢献していない。子供たちの視野を狭くしているだけだ。
☆
上記掲示板に簡潔かつ風刺の利いたコメントがあったので併せて紹介する。
☆
沖縄の平和運動は平和に全然貢献していない - 東子
2013/09/27 (Fri) 22:12:49
http://hijai.ti-da.net/e5371724.html
沖縄の「平和教育」で学んだこと。
1.軍隊は国民を見捨てる。
2.離島は捨て石にされる。
原因
1.国民を置き去りにして逃げたのは、弱い軍隊だったから。少ない物資・弾薬・非力な兵器だったから。
2.物資を輸送するルートの確保不全。
対策
1.強い軍隊の配備と維持。
2.輸送しやすいように日本各地に基地の建設とオスプレイのような優秀な輸送機の確保。
これで○もらえるよね? 「平和教育」の先生。
【おまけ】2
玉津氏が拒否した山口琉球大学准教授とは、こんな売国奴である。
[速+] 【琉球新報】 領土解決、教育から 日・台・韓研究者、「東北亜歴史財団独島研究所」の後援受け共通教材作成へ
元スレ:[http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1373543332/l50]
☆
40. 名無しさん@13周年 2013/07/11(木) 21:54 ID:RyFaODZ+0
この人の主張は竹島なんていうのは存在しなく古来から韓国の領土で独島である。
沖縄は古来より中国の領土であり、その周辺の海域は中国の領海である。
ってな考えを持ってるんだろ。その上で日本人を洗脳する教材を作り、数年後には
韓国や中国に突っ込まれ続ける材料を作るっていうことか。
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「かみつく2 」の目次
「かみつく」の内容紹介
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