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元厚労省医系技官の木村盛世氏が語る 「新型コロナウイルス報道への疑問」
斉藤 勝久
新型コロナウイルスワクチン接種の対象年齢が引き下げられた自衛隊大規模接種センターで、接種を待つ人たち=2021年6月17日、東京都千代田区[代表撮影]時事
新型コロナウイルス感染症の恐怖をあおる報道などに異論を唱えている医師で元厚生労働省医系技官の木村盛世氏。新型コロナウイルスは致死性の高いコロナウルスではなく、“風邪コロナウイルス”であり、新規感染者数よりも重症患者の数を重視すべきと説く。著書『新型コロナ、本当のところどれだけ問題なのか』(飛鳥新社)が大きな反響を呼び、注目を集める木村氏に、新型コロナ変異株、東京五輪・パラリンピック、国産ワクチンについて話を聞いた。
感染者数に一喜一憂すべきではない
木村氏は新型コロナウイルス感染症を最新のデータをもとにこう分析する。 「冬に増えて夏に減るという季節性がある新しいタイプの“風邪”です。デルタ株と言われるインドで最初に発見された変異株の主な症状は鼻水と頭痛。新型コロナウイルスはいろいろ変異していく中で、ウイルスとして生き延びることができるよう弱毒化している。味覚障害のような症状も激減し、だんだんと普通の風邪に近づいてきている。これからは重症化率も次第に低くなっていくでしょう」 また、木村氏は感染者数に一喜一憂すべきではないと語る。 「新型コロナ感染症は、高齢者にとっては怖い病気ですが、感染が広がることと重症者が増えることは全く別問題。感染者数が一番多いのが20代で、彼らはほとんどが無症状か軽症。死亡する方が一番多いのが80歳代です。日々の報道で新規感染者数に耳目を奪われがちですが、感染の広がりよりも、重症者数の増加の方を重視すべきなのです」
ウィズコロナで社会経済を考えるべき
「ゼロコロナ」ではなく、「ウィズコロナ」で社会経済を考えるべきだと木村氏は主張する。内閣府の5月発表によると、2020年度の日本の実質GDP(国内総生産)は前年度比マイナス4.6%と、比較可能な1995年度以降で最大の下落となった。 「日本の感染者数と死亡者数は、欧米主要国などと比べれば極めて少ない。それなのに、なぜこんなにGDPが落ち込んだのか。病気(新型コロナ)のインパクト(衝撃)と社会経済的なインパクトがあまりにも乖離(かいり)している」と語る木村氏は、日本の経済活動の落ち込みの影響を危惧する。
「新型コロナで国内では1年間で約1万人の方が亡くなられたが、一方で自殺者が11年ぶりに増加して2万人を超えました。今後も内部留保がなくなった企業が倒産すれば、失業者が増えるでしょう。失業率が高くなれば、自殺者が増える。両者には相関関係があります。欧米は経済がV字回復とまではいかないが、社会状況はポストコロナに歩みを進めています。日本だけがいつまでも、『コロナをゼロに抑える』ことにこだわり、社会経済を停滞させていていいのか」
五輪期間中、東京が医療逼迫したら、全国に重症者の移送を
間近に迫った東京五輪・パラリンピック。世界各国から選手・報道関係者らが集まるだけに感染爆発を心配する声もあるが、木村氏はこう指摘する。 「私は季節的にそれほどの感染爆発はないと思いますが、温度、湿度などコントロールできない点もある。もし開催地の東京を中心に感染者が増え、医療逼迫(ひっぱく)が起きた場合、やらなければならないのは重症者の対応です」 そのシミュレーションとしてイタリアの事例を引き合いに出す。 「日本全国で重症者対応ベッドは4921床あり、埋まっているのが942床、使用率19%(6月23日時点、NHK特設サイトから)。重症者は運べないなどと言う人がいるが、自衛隊のICU(集中治療室)を搭載したヘリコプターも利用して、日本全体で重症者の対応をすれば、乗り切れると思います。イタリアが医療崩壊を起こした時は、ドイツがイタリアの患者を引き受けた。国土が狭い日本では、国内で重症者の移送は可能なはずです」 そのためには「政府の感染症対策分科会は、外科や救急医療の専門家など、重症者対応に采配を振るえる人が中心になるべきでしょう」と分科会メンバーの入れ替えを提言する。 五輪で世界中の人々が集った影響により東京発、日本初の変異ウイルスの発生を懸念する人も少なくない。木村氏は「新型コロナウイルスは変異しやすいので、その可能性はある。しかし、なぜ変異するかというと、ウイルス自身が広まりやすくするためです。当然、感染力は強くなる一方、致死性は低くなるので、感染者が増えても重症患者はそれほど増えない」と説明する。
危機管理ワクチンの開発を軽視した日本
五輪開催国にしては、あまりにもワクチン接種の開始が遅かった。ワクチンが自国で開発できず、すべて外国頼みだったからである。なぜ日本は真剣にワクチン開発をしてこなかったのだろうか。木村氏はこう解説する。 「2009年の新型インフルエンザのパンデミック(感染症の世界的大流行)を経験するまでは、ワクチンはお金にならないというのが世界の常識だった。しかし、『危機管理ワクチンは重要だ』と身に染みた欧米や中国は、一斉に本気でワクチン開発を始めました。ワクチン開発・生産体制の構築にかけるお金は、今回開発に成功した国と日本では100倍ほど違います。日本政府はワクチン開発の基礎研究などにお金を付けず、立ち遅れたままで今回の新型コロナを迎えてしまったのです」 日本では1980年代末以降、ワクチンの副反応による訴訟が相次ぐなどした結果、製薬会社が次々とワクチン開発から撤退した。 「塩野義製薬はずっと感染症の研究を続けており、国産ワクチン開発が一番進んでいる。ワクチンを作る能力は、日本の科学者にも製薬メーカーにもあります。しかし、塩野義にしても、ワクチンの効果、副反応などを判定するためには、(新型コロナワクチンを作った)米ファイザー製薬が行ったような2万人規模の治験を行わなければならないが、それができない。海外でスタンダード(標準)となっている1万人以上の治験ができなければ、国産ワクチンは未来永劫できない」 欧米では治験のために、日本にはない制度を利用する国もあるという。 「米国には、退役軍人とか、看護師、がん患者などの『コホート』という数百万人規模の集団があり、ボランティアで、あるいはお金を払って治験に参加してもらっている。その人たちをワクチンを打つグループと打たないグループに分けて経過を追跡するのです」 また、英国の事例からは、日本人の意識改革の問題も浮かび上がる。 「新型コロナウイルスは若者の重症化率は極めて低いので、英国では、18歳から30歳までの健康な人、最大90人を安全な場所に隔離した状態で人為的に感染させ、どれくらいの量のウイルスで感染するかや、免疫システムがウイルスにどのように反応するかなどを調べる『ヒューマン・チャレンジ・トライアル』(人チャレンジ治験)が行われました。これを日本でやると、『人体実験だ』と言われかねないですね」 日本が自国でワクチンを開発するには、何が必要とされるのか。 「もともと治験という概念は、欧米には普通にあるし、中国やインドにもある。各国はそうして薬を開発してきました。ところが、日本は今まで大規模な治験を何もやってこなかった。だから今の日本には、大規模治験を行う能力は国にも研究所、大学、製薬会社にもない。ワクチン開発の大きな遅れは、国が腹を決めないことが一番の原因。新たなパンデミックに備えるためには、政府の強いリーダーシップが何よりも求められるのです」
今後は新しい風邪のウイルスに
今後、新型コロナウイルスはどうなっていくのか。木村さんはこう予測する。 「10年すればただの風邪と言われる、という論文も外国で出ています。今、4種のインフルエンザウイルスがあるが、今回の新型コロナウイルスは新たな5番目のインフルエンザウイルスという認識になっていくでしょう。中高年の方はしばらくは毎年、定期的にワクチンを打っていくことになる。変異するので、インフルエンザのように、今年はこの型とこの型とこの型を混ぜて打とう、というふうになる可能性が高い」 (インタビュー取材は2021年6月24日)
【Profile】
木村 盛世 医師、作家。筑波大学医学群卒業。米ジョンズホプキンス大学公衆衛生大学院疫学部修士課程修了。同大学でデルタオメガスカラーシップを受賞。米国CDC(疫病予防管理センター)プロジェクトコーディネーター、財団法人結核予防会、厚生労働省医系技官を経て、パブリックヘルス協議会理事長。 斉藤 勝久 ジャーナリスト。1951年東京生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。読売新聞社の社会部で司法を担当したほか、86年から89年まで宮内庁担当として「昭和の最後の日」や平成への代替わりを取材。医療部にも在籍。2016年夏からフリーに。ニッポンドットコムで18年5月から「スパイ・ゾルゲ」の連載6回。同年9月から皇室の「2回のお代替わりを見つめて」を長期連載。主に近現代史の取材・執筆を続けている。
医師会中心の医療行政を転換せよ
東洋経済オンラインの記事が話題になってツイッターのトレンドに入っているが、中身はアゴラでこれまで指摘してきたことと同じだ。
陽性者数を基準にしたコロナ対策をやめよ
デルタ株は感染力は大きくなったが、致死率は低下した。次の図をみれば明らかな通り、陽性者は増えたが、死者は今年1月や4月に比べると少ない。致死率は0.1%程度で、インフルとほぼ同じだ。
これは高齢者に対するワクチン接種の効果が出てきたものと思われる。いつまでも検査陽性者を基準にして騒ぐのはやめるべきだ。
行動制限は社会を破壊するだけで感染は減らない
これも次の図で明らかな通り、デルタ株の最大の感染ルートは家庭なので、飲食店などを営業制限しても意味がない。「感染をゼロにしたら経済が回る」などというゼロコロナ幻想を捨て、無意味な行動制限で社会を破壊する緊急事態宣言はやめるべきだ。
この根底には、日本医師会に支配された医療行政のゆがみがある。検査や入院などの調整をすべて保健所に集中し、無症状でも入院が原則という1類相当(新型インフル等感染症)の扱いが医療資源の逼迫の原因だ。
コロナを5類に落として特措法31条を改正すべきだ
厚労省が1類相当にこだわるのは、5類に落とすと病院をコントロールできないからだ。その原因は、医療法で患者の受け入れを「要請」しかできない弱い権限である。今年2月の感染症法改正で「勧告」はできるようになったが、罰則は病院名の公表だけだ。
「5類に落としても開業医にはコロナを診る設備がない」という反論もよくあるが、開業医や個人病院がコロナ患者を入院させる必要はない。今は行政がお願いベースで、大病院をコロナ専門にして、それ以外の患者を個人病院に転院させる分業体制がとれないことが問題なのだ。
開業医偏重の行政が医療資源のゆがみを生む
日本の医療行政は医師会との利害調整が中心で、診療報酬も開業医に有利に決まってきた。大病院との分業もできていないので、風邪の患者も大病院で見てもらえるフリーアクセスで、大病院も開業医も診療報酬の単価が同じだ。
おかげで勤務医の労働条件は過酷で、大病院の救急救命医や研修医などの時間外労働の上限は年間1860時間と一般労働者の2.5倍である。このため医師や看護師の離職率が高く、勤務医はつねに不足している。
開業医中心の医療を近代化するとき
戦後日本の医療は、医療資源が不足していた時代に開業医中心で整備され、それをサポートする形で医療行政ができた。国民皆保険という世界でも珍しいシステムができたのも、開業医が全国にいるおかげだ。
地域の中での発言力の大きさで、医師会は自民党の最強のロビー団体である。医師会の政治団体、日本医師連盟は毎年2億円を自民党に献金する最大の団体である。武見太郎会長の時代には厚生省よりはるかに大きな権限をもち、今の中川会長はその伝統を受け継いでいる。
医療は今やGDPの9%を占める巨大産業である。非効率的な大病院と個人病院の二重構造を放置していると、団塊の世代が75歳になる2025年には医療費は60兆円に激増し、社会保障財政は破綻する。コロナは厚労省が病院経営を近代化できるかどうかの試金石である。