快気分析

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仕組みとアプローチ -  明智光秀が山崎の戦いで高山右近から人質を取らなかったのは何故か

2019-11-13 12:50:12 | 明智光秀
 山崎の戦いでは明智光秀は高山右近から(敢えてとしか考えられない)人質を取らなかったのですが、その理湯は何故かについて考えて見ました。
 人質を取らなかった経緯についてはルイス・」フロイスは日本史で次の様に記録しています。

引用開始(一部抜粋)

「明智は勘違いして、右近殿は帰ってくれば自分の味方になるに違いないと考えていた…そこで彼はジェスタ(高山右近の妻)に対して、心配するには及ばない、(高槻)城はあなたのものだと伝えさせた。高槻の人(たち)は彼に美辞麗句をもって答えた。それは時宜に処した偽りのものであったが、明智はそれを聞いて無常に喜び、人質を要求しようとも」しなかった(フロイス日本史第57章、中央公論社「日本史5」167頁)。

引用終了

 この件は光秀に関する謎の一つですが、個人的には「二つの見方が有る」と考えています。
 その一つは「明智光秀は自分に恭順する意思を示した武将には寛容で疑う事を嫌ったから」。これなら明らかに光秀の楽観と誤算。
 もう片方の見方は知略家の明智光秀による周到な計画と言えるものであり、「光秀が高槻城を捨城にする形の山崎で決戦を決め、高山右近を疑って手放す形のように見せかけ、これでおびき寄せられた秀吉は高山右近が明智方から手放されたのだから『高山右近がおそらく秀吉方に加勢してくれる』と勘違いして高山右近を秀吉方に取り込んで決戦を挑んで来るだろう。そこを予め光秀と高山右近の間で決めていた密約通りに突然、高山右近が明智光秀方に寝返って襲い掛かる。これで明智方の勝利」となる軍略です。
 果たしてどちらだったのでしょう。
 いずれにしても高山右近と近縁の中川清秀が秀吉方として戦った事で決戦は秀吉方の短期圧勝で終わりました。
 秀吉の作戦もまた巧妙で、高山右近と中川清秀が仮に裏切って明智方に加勢しても秀吉方には大きなダメージとならないように、高山右近と中川清秀を先鋒に使い、秀吉本体は後方で様子見の体制とし、いざ高山右近と中川清秀が明智方に寝返れば秀吉勢は退却戦を十分できる配置なのでした。
 そして秀吉方によるイエズス会への根回しもおそらく確かだったはずで、高山右近がイエズス会の意に反する軍事行動など採るわけはがないのです。
 なので「山崎の戦いの主導権を握っていたのはやはりイエズス会であり、秀吉は更にそのあたりの確約とそして万が一の事も考えて退却戦も可能な体制を採る多重防御システムを構築していた」と言う事だと考えています。