快気分析

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仕組みとアプローチ -  毛利氏は織田勢を情報戦で揺さぶったのか 荒木村重の謀反を考える

2019-11-22 20:48:54 | 明智光秀
 1578年~1579年に有った荒木村重の謀反ですが、調べてみてわかってくる事から辿ると興味深いロジックが浮き出て来たので記事にしてみました。
 この謀反の要因としては一説に過ぎませんが、次のようなものが有ります。

 荒木村重の当時家臣だった中川清秀のそのまた家来が密かに石山本願寺に兵糧を横流ししていた事を荒木村重が知り、これが信長に知られると処罰されるのではないか?考え、信長へ釈明に行く途中、中川清秀と今後どうするかについて話している内に、中川清秀から「信長は部下に一度疑いを持てばいつか必ず討とうとする」旨の話を聞き、そして謀反を決めた、と言うものです。

 これについてですが、中川清秀がこう答えたのも考えてみれば当然ではないでしょうか?
 仮に荒木村重が信長に釈明をしに行って何とか赦免、或いは僅かな処罰で済んだとしても、家臣である中川清秀とその家来の処刑は免れない可能性が高い。
 ならば中川清秀としては荒木村重が謀反を起こした方がそれが例え道連れであっても生存率は高くなる・・・・・・普通ならそう考えるのではないでしょうか。
 それではこの「石山本願寺に兵糧を横流ししていた」と言う情報が何故リークしたのか?
 それには様々なケースが有るとは思いいますが、最も可能性が高いと考えられるのは次の通りです。  「石山本願寺は当時毛利氏の支援を受けていたから、石山本願寺の関係者から毛利氏へ簡単にこの情報(或いは謀略のデマ?或いは意図的に無理やりにでも作られた証拠)が流され、そして毛利氏は「これを直接信長にわかるようにしてやろうか? それとも荒木村重や中川清秀だけに伝わるようにしょうか?どちらが織田勢による毛利攻めを弱体化できるかな?直接信長にわかるようにしてやるのは簡単だろうがそうすると、荒木村重や中川清秀の処罰、処刑などで簡単に終わってしまい、織田勢は組織的に殆んど動揺はせずを後釜の有力武将を早急に任命して毛利攻めの勢いを緩めないだろう。それならば荒木村重や中川清秀だけにこの情報をリークして荒木村重が信長に謀反を起こす方向にした方がどう考えても有効ではなかろうか」。
 そしてこのプロセスで毛利氏には有利に(目論み通りに?)事は進んだだのでした。
 もしかするとですが、毛利氏は「中川清秀の家来が石山本願寺に兵糧を横流ししていた」と言う情報を中川清秀にだけ伝え、中川清秀とそして近縁の高山右近らを秘密裏に脅迫していたのかも知れません。
 それから後、中川清秀、高山右近は結果としてですが毛利氏に有利なようにだけ動きますが、やはりロボットになっていたのでしょうか。
 そして荒木村重の謀反が終結した翌年である1580年に秀吉と中川清秀の間で内誓紙が書かれていると言うのは、このグループに秀吉も加わった、と言う事にも解釈できなくは有りませんが、真相はどうだったのでしょう。
 仮ににこれが真相だったとしたらと言うだけの話ですが、毛利氏による織田勢へ情報戦が成功した好例なのではないかと考えています。