快気分析

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仕組みとアプローチ -  三峡ダムは大丈夫なのか? その4 ダムにだって津波は有り得る

2020-08-10 17:53:05 | 地震 津波
 ダムにだって津波が有る? 何だかよくわからない話のようですが、それほど根拠の無い話でもなく、ダムの面積が大きければそれだけ周辺の山も多いはずです。
 その山が山体崩壊や大規模地滑りなどを起こした場合には、ダム湖で津波が発生する可能性がゼロでは有りません。
 ただ三峡ダムの場合は長細いダム湖なので仮に津波がどこかで発生しても有る程度は減衰してダム構造物に到達するかも知れません。
 豪雨が長引くとそれだけダムの水位が上昇していて、そこへ周囲の山の地盤も雨で緩んでいて、それで山体崩壊や斜面などが大規模地滑りなどが発生したした場合には有る程度の津波が来る可能性と言うのはゼロではないと思えます。
 ただダム湖の場合はⅤ字谷のように次第に津波が高くなるような地形にはあまりなっていないようなので、それほど高い津波になるのかどうかはわかりません。
 但し津波は津波なので、段波津波による衝撃がダムに到達する可能性とその対策強度、或いはダム湖水の大量のダム越えなどを予め設計時にはある程度想定しておく必要が有るのかも知れないと思っています。
 三峡ダムが果たしてどのような設計思想になっているのかはまだ全容を把握していないので何とも言えません。

仕組みとアプローチ -  徳川将軍の名でわかる事 それは秀忠より後の将軍の名に「秀」「忠」「長」の文字に決して採用されていない事 

2020-08-10 07:28:41 | 明智光秀
 徳川家光の字が「家康の家」、そして「明智光秀の光」からなっているのですが、では徳川秀忠とその次男である忠長の字である「秀」とそして「忠」、「長」と言う漢字について調べて見ると、決してその後の徳川将軍の名にはしていません。
 これが何を意味するのか?と言うとそれは「秀吉の名の影響を排除したい」、「織田家の血筋であるお江のひいきであった忠長を徳川家から排除したい」と言う意向だった可能性については否定できないと思っています。
 つまり徳川家としては「織田家の末裔」である「お江らのひいきの実子」を排除し、どうもお江らが好んでいない長男(或いは実はお江の実子ではなく土岐一族系と縁戚にあたるお福の実子かも知れないがそれは定かではない)を盛り立てる方向性に動いたのではないか?と言う事です。
 戦国時代はダブルスタンダート、つまり「両建て」を実行しないと武家の存続が難しいケースが多い時代だったわけで、ならば当然として戦国時代を過ぎた直後の徳川家でも安全の為に「両建て」した可能性は高いと思えます。
 その両建てとはつまり「織田家の血筋を優先するのか」、もう一つは「土岐一族系の血筋を優先するのか」と言う事だったのではないでしょうか。
 福(後の春日局)が家康に対面できた事そのものが普通に考えるならば尋常ではないし、その福の一言で家康が当時の方向性を変えた事、更にはいくら何でも二代将軍秀忠の次男である徳川忠長がその後に乱心を名目に失脚、そして自刃した、と言うのは、やはり徳川家内部での勢力変化の色合いが強いのではないかと思えます。
 用心深い家康や徳川家の参謀達ならば、織田家系統にすべきか、或いは土岐一族系にすべきか、のどちらに傾いても大丈夫なように当初はダブルスタンダードを実行していたのではないでしょうか。
 少なくとも言える事とは、「いくら何でも秀忠の次男である忠長の乱心と(と言われるが本当に乱心なのか内部抗争なのかはわからない)その後の失脚と自刃と言うのは将軍家として普通では有り得ない事」と思えます。
 仮に徳川家の方向性が土岐一族側への転換でなければ、通常ならば参謀や側近などが取り繕って徳川忠長が行った数々の悪しき事でも何とか表面上は事なきように納めると言う事になるはずので、これほど忠長の史実が残る事自体が徳川家内部の方向性の変化を意味するのではないでしょうか。
 家康やその参謀達ならば、やはりお江の実子以外である跡取りを予め用意していた可能性は高いと思っていますが、実際はどうなのでしょう。
 それはお江や徳川秀忠、家光、忠長らの遺骨や遺髪などで仮にゲノム解析ができればですが、有る程度はわかって来る事なのかと考えています。