快気分析

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仕組みとアプローチ -  中川清秀には信長を討つ要素がまだ有ったと考える理由

2020-12-20 09:01:48 | 明智光秀
 先日に書いた記事の続きになります。
 考えて見ると中川清秀には信長を討つ要素がまだ有ったように思えるのですが、それはあまり難しい話では有りません。
 何の事はない。荒木村重は本能寺の変の当時未だ生きていて毛利氏へ亡命し、尾道で匿われていたと言う説が有力です。
 仮に信長の織田軍が毛利討伐に進軍して来るとどうなるか。当然ですが、荒木村重は織田軍に捕まり、そして信長により尋問を受ける事になります。
 「なぜ謀反を起こしたのか?」と信長は必ず聞くでしょう。
 そしておそらく荒木村重は「実は釈明に信長様の所へ伺おうかと迷ったのですが、中川清秀から『信長は部下に一度疑いを持てばいつか必ず滅ぼそうとする』と聞いたので、もう自分には残された選択肢は乱を起こすしかない、と判断したのです」と言うのではないでしょうか。
 更に「石山本願寺への兵糧横流の件は中川清秀かその家来が勝手の行った事であって、自分は全く知らない内に行われていた」とも釈明するでしょう。
 そうなるとおそらく処刑を免れないのは中川清秀となります。
 なので明智光秀らよりも、個人的に崖っぷちだったのは中川清秀だったのではないか、考えていますが実際にはどうだったのでしょう。
 そしてそんな中川清秀と1580年に内誓紙を作っていた秀吉もまた毛利氏との癒着疑惑も含めてやはり崖っぷちだったのではないか、とも考えられます。