快気分析

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仕組みとアプローチ -  信長が主張した三島暦 これをイエズス会はどう見ていたのか

2020-12-15 08:18:38 | 明智光秀
 信長が三島暦を主張した事については朝廷、特に陰陽頭の賀茂在昌らを中心とする公家衆が良く思っていなかった事については以前の記事にある通りです。
 それではイエズス会はどうだったのでしょうか。
 考えてみるとイエズス会はローマカトリックの組織。
 そして本能寺の変が有った1582年にはそれまでのユリウス暦を改良してグレゴリオ暦と名をつけ、暦をも使って支配を強化しようとしていた時なのでした。
 では三島暦のように京暦よりも優れたものが出て来てしまうとどうなるか。
 やはりグレゴリオ暦を支配の道具として使う方針だったイエズス会には「三島暦は邪魔な存在」だったのではないでしょうか。
 もしかすると、信長はイエズス会がグレゴリオ暦を使って世界支配をする動きを事前に察知して、先手を打って三島暦を主張したのかも知れません。「三島暦を大陸進出のツールにする」、とかを考えていた可能性も有ります。
 この三島暦が仮に国内のみならず海外にまで普及してしまうとどうなるか、ですがおそらくイエズス会がキリスト教を使って各国を支配するのに障害となってしまう可能性すら有ったはずです。
 こうした点でも朝廷からだけでなく、イエズス会からも「信長は消えて欲しい」と思われていた可能性は少なくなかったのかも知れません。
 つまり本能寺の変が起きる直前は毛利氏、上杉氏、長曾我部氏、雑賀衆や伊賀衆の残党、滅亡した武田側の残党、なども含めれば信長の織田勢と敵対する勢力だらけだった事になります。