前回記事の続きです。
あんな立地の勝竜寺城を何で名目上では有っても明智勢の軍事拠点にしたのか? となるとわかって来る事が有ります。
それは玉(細川ガラシャ)が細川忠興に輿入れしたのが勝竜寺城だった事が有るのではないでしょうか。
そしてもう一つは筒井順慶の所領に近いのが大山崎だった事。
つまりは明智光秀は自分から離反した細川氏や筒井氏への牽制、或いはそれを超えた恨みの証として名目上であっても敢えて軍事拠点とし、仮に明智光秀が敗死した事になったとしても「明智光秀から離反した親族達への責任追及材料を敢えて残してやる」と言う確固たる意思がどうも見え隠れしているように見えるのは私だけでしょうか。
あんな立地の勝竜寺城を何で名目上では有っても明智勢の軍事拠点にしたのか? となるとわかって来る事が有ります。
それは玉(細川ガラシャ)が細川忠興に輿入れしたのが勝竜寺城だった事が有るのではないでしょうか。
そしてもう一つは筒井順慶の所領に近いのが大山崎だった事。
つまりは明智光秀は自分から離反した細川氏や筒井氏への牽制、或いはそれを超えた恨みの証として名目上であっても敢えて軍事拠点とし、仮に明智光秀が敗死した事になったとしても「明智光秀から離反した親族達への責任追及材料を敢えて残してやる」と言う確固たる意思がどうも見え隠れしているように見えるのは私だけでしょうか。