「土、花、風」というタイトルが付いています。
鉛筆で描かれた輪郭に色鉛筆が塗られている。
流れる風を感じます。
実は、この絵は風変わりなのです。
あまりにも風変わりなので、上の絵は絵柄のところをだけをクローズアップしました。
実物は、
↓こちら
こんな絵です。
「土、花、風」とあるタイトルの「土」は茶色の部分?
ミステリーな絵で、推理したくなります。
こんな絵は、初めて見るので、
頭の中がひっくり返り、
武内ヒロクニは、何を考えているのかと・・・・。
そういえば、ヒロクニさんのことを
「最所、宇宙人かと思った。」と打ち明けられたことがあります。
何を言ってるのかさっぱり分らなかったらしい。
慣れてくると、言っていることの検討がつけられるようになり、
「やっと意味がわかるようになった。」と、付け足してくれます。
この絵にも、そんなヒロクニさん風味があります。
私は、いつもの感じの色と線の行き交う武内らしい絵もいいと思いますが、
個人的にこのさっぱりした絵柄も好きで、
特に「風」を感じる作品は好きみたい。
花などを見て思うのですが、バラもいい、ビオラもいい、チューリップもいい、
夏のインパチェンスもいい、ひまわりもいい、
だけど・・・、やっぱりビオラが好きかな?という感じで好き。
この絵が好きというのは、純粋な好みなのです。
たぶん、この純粋に好きというのは、人それぞれあって、理論じゃない。
今日、取り上げた絵は、私にとってそういう絵になります。
ところが、時々正反対の気持ちになる絵が、たまにあります。
見ただけで、気持ちに暗雲がたちこめる絵。
大抵は、見ているだけで何も言いません。
いい絵ばかり出来る方が変だし、私がいいと思うのも私の主観でしかないし、
画家は、とにかく描くのが重要だと思っています。
普段は、「これいいな。」と感じたり、「ここ好き。」と思ったら、伝えます。
実感をこめて、褒めるようにしています。
やっぱり嬉しくなるようで、一人前に照れたりしている様子を見ると、微笑ましい。
「そう言ってくれて、ありがとう。」なんて、言われる日もある。
それは、ヒロクニさんの状態がいい日の日常。
やはり起伏というのがあり、口で悪態ばかりつき、ふて腐れた顔して、
「お前は、口で絵を描くのか!」と罵りたくなる日が続く時がある。
「日本が悪い。」とか、「世間の奴らは・・・。」とか、「世の中が悪い。」とか、
この言葉が出てきたら、荒れ気味な状態。
大体、文句が多い人って、依存心が高いらしい。
その依存心を振り払いたくなって、
「世の中が悪いのは、私のせいじゃない。」と、ヒロクニさんに言ってしまう。
私は、し~らない。
1人でいっとけ!となる。
こんな時に、暗雲が立ち込める絵が壁に貼ってあると、
「あなた!この絵はいったい何なの!」
「あなた!最近、弛んでいるのと違うの!」と言い、
絵を指差して叫ぶ。
「この絵、なんかだらだらしてる!」と、ムチャクチャ。
絵を悪く言われたせいか、ギョッとした表情をするヒロクニさん。
ちょっと静かになり、アトリエに消えていく。
そして、静かに日常に戻ります。
動き出したと思ったら、コソコソと、壁にあった絵を外しているヒロクニさんの姿を見るのです。
驚いたせいで、ハッと我に返るのか、すっきりした表情に。
ショック療法は、よっぽど腹に据えかねたという時にしかやらないので、
よく効きます。
まだ、2度しか行なっていません。
こちらも気持ちが頂点に上り詰めないといけないというか、疲れます。
私も気持ちが静まると、思いだすことがある。
子供造形教室をしていた頃に、
「ドールハウス」という屋根付きのカサ高い工作(置き場に困る)があった。
子供達から、「お母さん、私たち(子供)に腹が立ったら、ドールハウスを壊した。」と、
複数の子供から聞かされたことがあります。
「お母ちゃん、ドールハウスを殴ってる。」とも。
それって、私がヒロクニさんにしている事と似たようなものかもしれない・・・。
ドールハウスとヒロクニさんの絵がだぶる。
まあ、とにかくカサ高く、屋根が三角で置き場に困る形のもの。
叱りついでに、このドールハウスを処分してしまえ!となるのがよくわかります。
だけど、お母さん方が子供に愛情を注いでいるのをよく知っているので、
壊されたドールハウスのことを思い浮かべつつ、
「まあ、いいじゃないか。」と思いました。
今から思うと、子供がいないので、子供の教室は私にとって、
そんな親子のエピソードを聞ける、とてもいい体験だったのですね。
親の大変さを知ることが出来て。
父兄とは、あまり話さない先生もいると思いますが、
父兄とも積極的に話を聞いたり、話をしました。
そして、当時の子供達の顔やエピソードを思い出すと、懐かしい気持ちになります。
気持ちをアンディファイトさせるために、映画「二十四の瞳」まで見たくらい。
こんなことを思い出すと、皆、ありがとうと言いたくなってしまいます。
やはり皆、可愛かった。
「オニババ」とも言われたが、ほんと、「ありがとう。」
何か、1人で胸一杯になっていて、つい書いてしまいました。
「ありがとう。」なのです。
ここで一言。
ヒロクニさんに対する「あなた!この絵はいったい何なの!」も、
少し屈折しているけれど愛情です。
そのつもり。
そして、無駄なプライドがないヒロクニさんは、意外と素直なんです。
あまり傷つかないのも長所だと痛感します。
↑秋の準備に入り、庭が寂しいのでキバナコスモスを植えました。
背が高く成長するのを楽しみにして見ています。
ビオラの種も蒔き、来年の春のチューリップを選んでいます。
絵を観て思うことは、何でもよくて、雰囲気で感じるでいいと思います。私もそうですよ。ヒロクニさんの絵は、あまり考えすぎたりすると楽しくなくなると思います。
確かに言われてみると、私も青いところは山のように感じます。山の上に塊が乗っているようにも。風の雰囲気ばかりに気をとられていました。いろんな感じ方があって、いいなァ~と、私は楽しくなりました。
カッコいいなんて(汗)、頭にバッテン印のおかみさん状態。あまり人には見せたくない姿かも・・・。いいかげん悪態を終わらせないと、助長するという悪癖があるので、真剣勝負なのです。「ザ、ヤクザな私」に変身します。画家の夫婦は、喧嘩ひとつしないタイプと、しょっちゅう喧嘩をして仲良しなタイプに分かれているようです。私は後者なんでしょうね。
ドールハウスは、子供に人気(特に女の子)で、毎年一回しかしないものだったのですが、各家庭で数が溜まっていっていた様子も頭に浮かび・・・。お母さんは、整理整頓にも頭を悩ませていたのでは?怒った時に、処分する勢いが発動したようすが思い浮かびました。“子供が作った大切なもの”と整理整頓の葛藤と思っています。しかし、それを製造しているのが、私というのがなんとも。
ビオラは種を蒔いたものが発芽してきています。秋は、春の準備の季節。空気は、秋めいてきて、日差しも影が長くのびるようになったナと自転車を走らせながら思うようになりました。
いつも、コメントほんとうにありがとう。
お話しているような感じになるのが嬉しい!
青いところは山のようにも見えて、何か噴火しているような。でも熱さは感じずやはり風の流れる感じが強いです。
この細くてすぅっと動く線が魅力的です。
作品に対してビシッとダメだしをするさほりん、かっこいいです。「画家 VS 画家の奥様」というバチバチと火花を散らして戦っているようです。
でもその火花は愛情があるから、バチバチと散らせるのです。だからきっとヒロクニ先生と本心でバチバチできるのは、さほりんだけだと思うのです。
ドールハウスの位置づけが面白い視点でした。お母さんは壊すんだ……、と。気持ちはわかるような感じもしますが、でも、壊すんだ……というヒトの矛盾した感情を実感した感じです。
キバナコスモス、初めて見ました。マリーゴールドに似ているように感じます。
秋の花は夏の花とは違う、落ち着いていてかつ繊細な魅力を感じます。
来年もビオラが楽しみですね。どんな先祖のお花を見せてくれるのでしょうか。