武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

ヒロクニさんと私(作品紹介445)と 芭蕉と無常感

2017-02-20 18:46:31 | Weblog


この絵は、男と女という風に紹介しようと思いましたが、
左の人物は、どうしても自画像というか、ヒロクニさんにしか思えない。
やはり、どういうわけか首が描かれていないのは、女の形である。
イヒヒと笑っているように見える自画像といつも驚きながら生活している私のようである。

だから「ヒロクニさんと私」とタイトルに付けました。
画面には2010と書いてあるようなので、その頃の作品です。
色鉛筆とクレヨンで塗り込められていますが、表面は複雑なマチエールが印象的。

現在の制作は、鉛筆のみでデッサンのようなものばかりなので、
なかなか取り上げなかった絵をアップしました。
私的には、この絵を上げるのにちょっとためらいがあった。

この作品は、ちょっとエロティックな要素があるので、
ためらったのでした。健康的ではありますが・・・・。

ヒロクニさんが私に語ったことがあるのですが、
「僕の本質は、アムール、愛なんだよ」。と。
私はヒロクニさんに無味乾燥なオンナと言われるような、色気のないオンナなので、
「えっ!?」
「そうなんかい?」
と言う調子で聞いていた。
最近、母が持ってきた高校生の時の成績表をみたら、科学と生物だけがダントツ成績が良かったようで、
驚いたくらい。美術が大好きだったのに、評価の低いこと・・・。
客観的に物事を把握するのが、好きだったのかもしれません。
だから、ヒロクニさんと会った始めの頃は、ヒロクニさんのことを、「なんと叙情的な人なんだ」と、
驚いた記憶がある。
しかし、芸術家にはポエジーというのは絶対に必要な要素です。
みごとな妄想、昇華した妄想が、芸術でもあります。
そんなことを考えながら、この絵を観ていただけたらと思います。


松尾芭蕉を読み終えたので、松尾芭蕉の話をヒロクニさんにします。
全句を読み終えてわかったこととして、松尾芭蕉は、日本の古典を非常に丹念に読破している。
万葉集や古今集、新古今、源氏物語、枕草子、平家物語、また西行を非常に尊敬しているし、
中国の古典、杜甫や白楽天、荘子などにも通じている。
もちろん江戸時代の人なので、きっちりと漢文を読みしっかりと身に付けているのです。

西行は出家して、旅をしていた俳人です。
そして、芭蕉は江戸で、俳諧で成功して名声もお金もすべて整ってきてから疑問を抱くようになり、
西行のようにすべてを捨てて旅に出て、俳句の精神世界に没頭していく。
粗末な草庵に住み、透明な句を詠む姿は、修行する禅僧のようであり、禅から派生した茶の湯の精神と
非常に似ていると感じました。そのことをヒロクニさんに必死に伝えたいのでした。
普通の人だったら、「そんな話きょーみない」。「うるさい」。と言われるかも知れませんが、
ヒロクニさんも、仏教辞典などをもっているような人なので、
話を「なるほど」。とか、
「そんな話をしてくれる女は、あまりいない」。とか、
「君も、成長してきたね」。と言ってくれる。

そして、「こういう話を聞いてくれる夫で、良かっただろ」。と言われました。
「そーです!ダーリン!」と言ってやった。


有名な句ばかりですが、なかなかいい句なので少しばかし紹介します。

 ●古池や 蛙飛びこむ 水の音(ふるいけや かはづとびこむ みずのおと)
  しーんとした静かな空間に、蛙がポチャンと飛び込む音だけが、聞こえ、だれにもいない空間が
  感じられて、静かさだけが残る空間を私は感じます。
  解説◆まず、蛙は鳴き声を詠まれることがほとんどで、蛙が飛び込む音を詠んだ人がいなかった。
     そこが新しいのであるが、芭蕉にとって古池の意味として「古」は、長い歴史の中に
     おける人間の栄枯盛衰の諸相が暗示されており、「池」には天然の湖沼と違い、人工的な
     造営物すなわち、文化の匂いをこめて使われている。
     蛙がたてた水の音は、一瞬のことであるが、その後の時間の静寂によって包まれてしまい
     なにごともなかったように時間が過ぎていく。
     芭蕉の随筆である『葛の松原』には、この句を詠んだ時期に、禅機や老荘哲学の哲学に
     ふれていることから、このように解説しています。

 ●夏草や 兵共が 夢の跡(なつくさや つはものどもが ゆめのあと)
  解説◆小高い高館の跡から眺望される平泉の地一帯は、昔、義経の一党や藤原氏の一族らが、
     あるいは功名を夢み、あるいは栄華の夢に耽った跡である。だが、そういう功名・栄華も
     むなしく一場の夢と過ぎ去って、いまはだだ夏草が茂っているばかりだ。

     人間のはかない営みと巡る季節が対峙しているこの世を普遍的に感じ、善悪を超えた
     世界感に広がりを感じます。この哲学は、荘子によるところがとても大きいのだなぁ~と
     いう句と思いました。

 ●閑さや 岩にしみ入る 蝉の声(しづかさや いわにしみいる せみのこえ)
  解説◆夕暮れ立石寺が物音一つせず静まりかえっている。そのむなしいような寂寞の中で、
     ただ蝉の声だけが一筋岩にしみ透るように聞こえる。

     この句もうるさいはずの蝉の声がいっそうの静けさをかもしだしている。
     「岩にしみいる」という表現がそれを強調して、自身がその空間を想像すると
     心は透明であるであろうと想像する。


 有名な句ばかり紹介しましたが、どの句にも無常感がだだよっています。
 そして、宇宙感のようなものを感じます。
 松尾芭蕉は素晴らしいなぁ~。




古い着物を解いて、座布団カバーを作りました。紫にストライプの柄の・・・・。
ミシンが動かないので、手縫いで作りました。
こればっかりに集中している間、あまりブログを書きませんでした。
なんか、着物生活をするようになって、新たな楽しみが増えました。
縫い物もけっこういいものですね。


先回のブログでは、ヒロクニさんのことで心配なことを書きましたが、
無理をしないように見張っているので、ご安心して下さい。


     


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