Untrue Love(89)
しかし、ぼくが主導権を握っていると思っているのも、間違いであり誤解のうえに成り立っているのかもしれなかった。きちんとした地図をもっているのは彼女たちであり、ぼくは記号として表記されているポイントに過ぎないのかもしれない。別の場所に移動するための目印であり、その場所を離れればまた同じような印を彼女たちは見つける。それで、似たようなものが過去にあったことをそれぞれが思い出す。だが、それも我がことを過小に評価し過ぎる自分の悲観さが及ぼした結論のようだった。ぼくが彼女たちを忘れないように、彼女らもぼくのことを忘れない。
紗枝に頼まれたことを実行するためにぼくは彼女が意識している男性に会った。ぼくらの間に共通項のようなものはなかった。ぼくから見たら子ども過ぎるように感じられたし、向こうから見たら大人になるのに懸命に努力している男にぼくは見えたのかもしれない。それもまったくの反対で、ぼくはやはり自分の小さな王国を死守する子ども時代の遊びを捨て切れない少年のように映ったのかもしれなかった。
「それで、どうだった?」と紗枝が訊いた。
ぼくの本心は、理想の男性にいくらかでも似た対象をつかもうと焦っている気持ちに捉われた女性をその場に見出しているだけだった。相手は問題ではない。だが、それも多くの女性も男性も挑んでいることかもしれなかった。彼女はぼくらよりそれを早目に経験し、さらに逃げられた結果によって、表面化しているだけなのだろう。ぼくも、いずれユミに似た誰かを、あるいはいつみさんに似た誰かを、また木下さんの雰囲気をもついずれかを探すようになるのかもしれない。そこには飢えがあり、焦燥があるのだ。隠そうともがいているいまの紗枝のように。
だが、それはその男性がトイレに立った隙に行われた短い時間なので、直ぐに問いは途切れてしまった。結局、ぼくと男性はその後、不思議と意気投合した。紗枝を置いて、ふたりで別の場所で飲むことさえした。ぼくは、そこで逆に紗枝についてのあらゆることを質問される。
ぼくは問われたことに適切な回答を与えることを望んでいたが、答えながらも、その質問と得られた内容によって彼の内部のなにが変わるのか、まったくもって分からなかった。その事前の情報があることにより好悪の判断材料になることすら分からない。将棋や囲碁の指し手を研究することのように思えた。ぼくはそれを楽しみを奪うものとしか考えられなかった。下手でも実際に対決に臨む緊張感のほうが余程、新鮮さを維持させてくれるような気がしていた。そして、意気投合しかけた仲がまた分裂をはじめた。そもそも、ぼくは紗枝にはいつも友情しか感じず、恋心の対象にしているその男性を不可解に思っていることがずっと離れなかったのかもしれなかった。ぼくはここでも架空の友情という別の王国を頑なに死守し、足を踏み入れる彼のことを疎んじる幼稚っぽさがあらわれていたのだろう。だが、彼らにもそれぞれの地図があり、版図があった。頭では、はっきりと分かっていた。
「紗枝は、もう充分、君のことを好きになりはじめている。あとは、思い出を増やすだけだよ」
ぼくは信任を与え、全権を任せる。なにも委ねられていないのに、その権利が自分の掌中にでもあるかのように。酔ったふたりは紗枝の未来を勝手に決めた。だが、いやになって拒否する権利は紗枝に残されているのだし、ぼくが後押ししたり引っくり返したりすることも本当のところはできないのだった。ただ、付きの悪い接着剤のようにぼくは間を埋めただけなのだ。それが効力を発揮しようが、乾いてしまって無駄になろうが、もうぼくの手から離れていたのだ。もう一回、搾り出すことも面倒だった。
ぼくは彼と別れたが、どこかですっきりしない部分があった。それを振り払うかのように誰かと話したかった。目の前に公衆電話があり、ぼくは何人かの電話番号を思い出す。木下さんに電話をしたが、彼女はいなかった。今度は、ユミの番号にしたが、彼女も出なかった。いつみさんは多分、まだ働いている。それで、ぼくの気持ちは川の底のようなところで淀んだままになっていた。紗枝にさきほどの時間の会話を再現したかったが、あいにく彼女の番号は思い出せなかった。そして、何時間か経てば、明日また会えるのだ。そのときにでも全然タイミングとしては遅くなかった。
ぼくは歩く。段々と酔いも覚めていく。誰に対しても責任がないことが愉快になり、それも過ぎると何だか哀れになった。責任こそが人間の、それも大人になる途中の男性の根幹のような気持ちになっていた。ぼくは絨毯のうえに広げた子ども時代の車や小さな動物の模型のことを思い出している。その架空の世界は現実になり、真実味を帯び複雑になっていく。模型でもないし、動物でもなかった。生命の鼓動を絶えず繰り返す人間が相手なのだ。それぞれが自分の気持ちがあり、感情の好不調の波や揺れがあった。喜びに舞い上がり、ときには悲しみに支配された。ぼくは誰かの悲しみの源になることを恐れた。ぼくがいること自体が悲しみのきっかけになるかもしれず、ぼくがいなくなることこそが悲劇の引き金になるのかもしれなかった。ぼくの誰かと話し込みたいという願望は叶わず、ひとりでアパートに着いた。そのちっぽけな王国の住人でいるのをつづけることもまたむなしく、無責任さの大元だとも感じられていた。
しかし、ぼくが主導権を握っていると思っているのも、間違いであり誤解のうえに成り立っているのかもしれなかった。きちんとした地図をもっているのは彼女たちであり、ぼくは記号として表記されているポイントに過ぎないのかもしれない。別の場所に移動するための目印であり、その場所を離れればまた同じような印を彼女たちは見つける。それで、似たようなものが過去にあったことをそれぞれが思い出す。だが、それも我がことを過小に評価し過ぎる自分の悲観さが及ぼした結論のようだった。ぼくが彼女たちを忘れないように、彼女らもぼくのことを忘れない。
紗枝に頼まれたことを実行するためにぼくは彼女が意識している男性に会った。ぼくらの間に共通項のようなものはなかった。ぼくから見たら子ども過ぎるように感じられたし、向こうから見たら大人になるのに懸命に努力している男にぼくは見えたのかもしれない。それもまったくの反対で、ぼくはやはり自分の小さな王国を死守する子ども時代の遊びを捨て切れない少年のように映ったのかもしれなかった。
「それで、どうだった?」と紗枝が訊いた。
ぼくの本心は、理想の男性にいくらかでも似た対象をつかもうと焦っている気持ちに捉われた女性をその場に見出しているだけだった。相手は問題ではない。だが、それも多くの女性も男性も挑んでいることかもしれなかった。彼女はぼくらよりそれを早目に経験し、さらに逃げられた結果によって、表面化しているだけなのだろう。ぼくも、いずれユミに似た誰かを、あるいはいつみさんに似た誰かを、また木下さんの雰囲気をもついずれかを探すようになるのかもしれない。そこには飢えがあり、焦燥があるのだ。隠そうともがいているいまの紗枝のように。
だが、それはその男性がトイレに立った隙に行われた短い時間なので、直ぐに問いは途切れてしまった。結局、ぼくと男性はその後、不思議と意気投合した。紗枝を置いて、ふたりで別の場所で飲むことさえした。ぼくは、そこで逆に紗枝についてのあらゆることを質問される。
ぼくは問われたことに適切な回答を与えることを望んでいたが、答えながらも、その質問と得られた内容によって彼の内部のなにが変わるのか、まったくもって分からなかった。その事前の情報があることにより好悪の判断材料になることすら分からない。将棋や囲碁の指し手を研究することのように思えた。ぼくはそれを楽しみを奪うものとしか考えられなかった。下手でも実際に対決に臨む緊張感のほうが余程、新鮮さを維持させてくれるような気がしていた。そして、意気投合しかけた仲がまた分裂をはじめた。そもそも、ぼくは紗枝にはいつも友情しか感じず、恋心の対象にしているその男性を不可解に思っていることがずっと離れなかったのかもしれなかった。ぼくはここでも架空の友情という別の王国を頑なに死守し、足を踏み入れる彼のことを疎んじる幼稚っぽさがあらわれていたのだろう。だが、彼らにもそれぞれの地図があり、版図があった。頭では、はっきりと分かっていた。
「紗枝は、もう充分、君のことを好きになりはじめている。あとは、思い出を増やすだけだよ」
ぼくは信任を与え、全権を任せる。なにも委ねられていないのに、その権利が自分の掌中にでもあるかのように。酔ったふたりは紗枝の未来を勝手に決めた。だが、いやになって拒否する権利は紗枝に残されているのだし、ぼくが後押ししたり引っくり返したりすることも本当のところはできないのだった。ただ、付きの悪い接着剤のようにぼくは間を埋めただけなのだ。それが効力を発揮しようが、乾いてしまって無駄になろうが、もうぼくの手から離れていたのだ。もう一回、搾り出すことも面倒だった。
ぼくは彼と別れたが、どこかですっきりしない部分があった。それを振り払うかのように誰かと話したかった。目の前に公衆電話があり、ぼくは何人かの電話番号を思い出す。木下さんに電話をしたが、彼女はいなかった。今度は、ユミの番号にしたが、彼女も出なかった。いつみさんは多分、まだ働いている。それで、ぼくの気持ちは川の底のようなところで淀んだままになっていた。紗枝にさきほどの時間の会話を再現したかったが、あいにく彼女の番号は思い出せなかった。そして、何時間か経てば、明日また会えるのだ。そのときにでも全然タイミングとしては遅くなかった。
ぼくは歩く。段々と酔いも覚めていく。誰に対しても責任がないことが愉快になり、それも過ぎると何だか哀れになった。責任こそが人間の、それも大人になる途中の男性の根幹のような気持ちになっていた。ぼくは絨毯のうえに広げた子ども時代の車や小さな動物の模型のことを思い出している。その架空の世界は現実になり、真実味を帯び複雑になっていく。模型でもないし、動物でもなかった。生命の鼓動を絶えず繰り返す人間が相手なのだ。それぞれが自分の気持ちがあり、感情の好不調の波や揺れがあった。喜びに舞い上がり、ときには悲しみに支配された。ぼくは誰かの悲しみの源になることを恐れた。ぼくがいること自体が悲しみのきっかけになるかもしれず、ぼくがいなくなることこそが悲劇の引き金になるのかもしれなかった。ぼくの誰かと話し込みたいという願望は叶わず、ひとりでアパートに着いた。そのちっぽけな王国の住人でいるのをつづけることもまたむなしく、無責任さの大元だとも感じられていた。