Untrue Love(101)
「これで、とうとうオレも自分で稼がないといけない身分になった」と、早間は残念そうに言った。結局、彼は四年間バイトをせずに、高価な車で毎日を過ごしていた。それは残念だろう。
「でも、良い会社じゃないか。オレもそっちに入りたいぐらいだよ」ぼくの羨望の言葉に彼はなにも反応しない。関心もないという表情だった。
「それよりさ、いっしょに残った子とこの前、デートしたんだよ。お互い、新入社員としてあったときに、気まずくなるかな?」と、別の心配をしていた。
「咲子は?」
「咲子は、咲子だよ」なにを今更、という今度は優雅な表情を苦もなく浮かべた。
「あんまり傷つけないでくれよ。ひとりに決めたんだから」
それはぼくが言い出して良いセリフでもなかった。自分の偽善をアピールし、公開し大っぴらにする機会だった。ただ、彼は、男性はそういう類いの生き物ではないだろう? ということを甘え、かつ嘆願するような視線を通じても向けた。ぼくの無視を同意と受け取ったのか、それから、その女性との楽しみを面白おかしく話した。ぼくは咲子の未来を心配して、同じような立場に置かれている三人の女性のことを思いに馳せた。しかし、ぼくといっしょに居ることが彼女らの幸福なのだという前提自体が間違っていることにも気付いた。もっと自分個人だけを大切にしてくれる存在。早間は紗枝と別れ、咲子を選んだ。その周期はまた巡ってくるかもしれず、ぼくをなんだか不安にさせた。裏切るという行為を自分は憎み、自分自身ではその行為をそのまま自分の力と才覚として加担していた。
「仕事をしてからも、たまには会おうな」と早間は言って去った。その立場になるのは随分と先のような印象をもったが、来てみれば早いのかもしれない。そして、お互いが違う種類の場所に所属して、会話が成り立ち、この関係を相変わらずつづけられるのかも、ぼくには分からなかった。だが、そこでつづけても良いし、中断させても良かった。ぼくは彼と親しいというだけなのだ。咲子は違う。紗枝も違かった。異性では永続という仮定が仲立ちをする。誰も終わらせることを願って好きにはならない。好きになってしまった以上、自分の変化が求められても、相手に合うよう、好印象を抱いてもらえるように多少は変化を考慮に入れた。気に入ってもらえるような髪形にする女性もいた。ユミは仕事の合間に、そういう会話をお客さんとすると言っていた。だが、ユミも木下さんもいつみさんもぼくに合わせて何かを変えたということはまったくなかった。ぼくは、ありのままの彼女たちが好きであり、彼女らもありのままの自分に自信があるようだった。
「ありのままでいいのよ」とユミは言ったが、ぼくの髪型を会社の担当者に受けが良くなるように切った。彼女は求めていないが、社会は求めた。早間も会社に入り、自分の変更を明らかにするのだろうか、咲子ひとりだけを愛するということが可能なのだろうか。ぼくのこころの奥のシグナルは直ぐに否定した。ぼくは他人の幸不幸にやきもきした。滅多にないことだが異が痛くなる前兆まであった。だが、早間なんかやめとけよ、と咲子に忠告する気もなかった。彼のことは、どこかで信頼もしており、単純に好きだったのだろう。悪いしつけの犬でも可愛いことすらあるのだ。ただ、咲子という存在が加わると、彼の正義に対して不安を感じるのだろう。手を咬まれる心配も事前に生じる。ぼくの痛みではなく、危害が加わるのは人様の手だ。それは、そのままの事実として、ぼくが投げられてもよい言葉だったのだ。ユミや久代さんの友だちや、いつみさんの弟であるキヨシさんに、あんな奴のどこがいいんだよ、やめとけよ、と頭ごなしに否定されるべき存在なのだ。弁解もできない。しかし、彼女らに比べると、咲子はまだまだ子どもだった。あえて子どもであってほしいとも思っていた。ぼくが知っている彼女の一部分である田舎ですれ違ったあの少女のままでいてほしかったのだろう。都会ではなく、ぼくが夏の帰省に用いた場所のシンボリックなイメージとして。彼女の悲しみが直結し連動して、ぼくの少年のときの記憶が踏みにじられ、汚されるのを恐れていた。清らかな小川の流れの象徴の結実のままで。ぼくは、このようにしてどこまでも利己的だった。
「彼は、あの企業なんでしょう?」
と、その後に会った紗枝がぼくにたずねた。彼女にとって、彼という代名詞は早間だけに使われるようだった。ぼくはその会社の立派さを解き、自分が入ったように手放しでほめた。それは世間がその企業に対して抱く認識と寸分違わぬ意見だった。だから、紗枝も驚くこともなく、そのまま受け取った。
「きれいなOLになったわたしに会ってみたくない?」
と紗枝は言った。彼女の関心はぼくになく、逆にぼくの広すぎる恋心のスペースにも彼女はいなかった。それで、その言葉自体が笑いにつながった。五月か六月の休日にでも会いましょう、という予定をふたりは作った。紗枝は彼を連れてくるかもしれないと付け足した。その彼がいまの彼を指しているのかは分からない。「順平くんもそうしなよ。新しい会社に誰かいるでしょう」とぼくの未来に期待をこめた。ぼくは、きちんとひとりを選んでいるのかといぶかった。紗枝は、ぼくの横にいる誰と話すことになるのだろう。誰との会話も想像できなかった。紗枝が自分以外の女性をもちあげて、聞き耳をたてていることがそもそも不可能だったのだ。この場での女王は、会社という組織でもうまく立ち回れるのかぼくはいらぬ心配をした。何かを殺さないといけないのかもしれない。ぼくらは、なんだか好んでつまらない人間になろうとしているようだった。
「これで、とうとうオレも自分で稼がないといけない身分になった」と、早間は残念そうに言った。結局、彼は四年間バイトをせずに、高価な車で毎日を過ごしていた。それは残念だろう。
「でも、良い会社じゃないか。オレもそっちに入りたいぐらいだよ」ぼくの羨望の言葉に彼はなにも反応しない。関心もないという表情だった。
「それよりさ、いっしょに残った子とこの前、デートしたんだよ。お互い、新入社員としてあったときに、気まずくなるかな?」と、別の心配をしていた。
「咲子は?」
「咲子は、咲子だよ」なにを今更、という今度は優雅な表情を苦もなく浮かべた。
「あんまり傷つけないでくれよ。ひとりに決めたんだから」
それはぼくが言い出して良いセリフでもなかった。自分の偽善をアピールし、公開し大っぴらにする機会だった。ただ、彼は、男性はそういう類いの生き物ではないだろう? ということを甘え、かつ嘆願するような視線を通じても向けた。ぼくの無視を同意と受け取ったのか、それから、その女性との楽しみを面白おかしく話した。ぼくは咲子の未来を心配して、同じような立場に置かれている三人の女性のことを思いに馳せた。しかし、ぼくといっしょに居ることが彼女らの幸福なのだという前提自体が間違っていることにも気付いた。もっと自分個人だけを大切にしてくれる存在。早間は紗枝と別れ、咲子を選んだ。その周期はまた巡ってくるかもしれず、ぼくをなんだか不安にさせた。裏切るという行為を自分は憎み、自分自身ではその行為をそのまま自分の力と才覚として加担していた。
「仕事をしてからも、たまには会おうな」と早間は言って去った。その立場になるのは随分と先のような印象をもったが、来てみれば早いのかもしれない。そして、お互いが違う種類の場所に所属して、会話が成り立ち、この関係を相変わらずつづけられるのかも、ぼくには分からなかった。だが、そこでつづけても良いし、中断させても良かった。ぼくは彼と親しいというだけなのだ。咲子は違う。紗枝も違かった。異性では永続という仮定が仲立ちをする。誰も終わらせることを願って好きにはならない。好きになってしまった以上、自分の変化が求められても、相手に合うよう、好印象を抱いてもらえるように多少は変化を考慮に入れた。気に入ってもらえるような髪形にする女性もいた。ユミは仕事の合間に、そういう会話をお客さんとすると言っていた。だが、ユミも木下さんもいつみさんもぼくに合わせて何かを変えたということはまったくなかった。ぼくは、ありのままの彼女たちが好きであり、彼女らもありのままの自分に自信があるようだった。
「ありのままでいいのよ」とユミは言ったが、ぼくの髪型を会社の担当者に受けが良くなるように切った。彼女は求めていないが、社会は求めた。早間も会社に入り、自分の変更を明らかにするのだろうか、咲子ひとりだけを愛するということが可能なのだろうか。ぼくのこころの奥のシグナルは直ぐに否定した。ぼくは他人の幸不幸にやきもきした。滅多にないことだが異が痛くなる前兆まであった。だが、早間なんかやめとけよ、と咲子に忠告する気もなかった。彼のことは、どこかで信頼もしており、単純に好きだったのだろう。悪いしつけの犬でも可愛いことすらあるのだ。ただ、咲子という存在が加わると、彼の正義に対して不安を感じるのだろう。手を咬まれる心配も事前に生じる。ぼくの痛みではなく、危害が加わるのは人様の手だ。それは、そのままの事実として、ぼくが投げられてもよい言葉だったのだ。ユミや久代さんの友だちや、いつみさんの弟であるキヨシさんに、あんな奴のどこがいいんだよ、やめとけよ、と頭ごなしに否定されるべき存在なのだ。弁解もできない。しかし、彼女らに比べると、咲子はまだまだ子どもだった。あえて子どもであってほしいとも思っていた。ぼくが知っている彼女の一部分である田舎ですれ違ったあの少女のままでいてほしかったのだろう。都会ではなく、ぼくが夏の帰省に用いた場所のシンボリックなイメージとして。彼女の悲しみが直結し連動して、ぼくの少年のときの記憶が踏みにじられ、汚されるのを恐れていた。清らかな小川の流れの象徴の結実のままで。ぼくは、このようにしてどこまでも利己的だった。
「彼は、あの企業なんでしょう?」
と、その後に会った紗枝がぼくにたずねた。彼女にとって、彼という代名詞は早間だけに使われるようだった。ぼくはその会社の立派さを解き、自分が入ったように手放しでほめた。それは世間がその企業に対して抱く認識と寸分違わぬ意見だった。だから、紗枝も驚くこともなく、そのまま受け取った。
「きれいなOLになったわたしに会ってみたくない?」
と紗枝は言った。彼女の関心はぼくになく、逆にぼくの広すぎる恋心のスペースにも彼女はいなかった。それで、その言葉自体が笑いにつながった。五月か六月の休日にでも会いましょう、という予定をふたりは作った。紗枝は彼を連れてくるかもしれないと付け足した。その彼がいまの彼を指しているのかは分からない。「順平くんもそうしなよ。新しい会社に誰かいるでしょう」とぼくの未来に期待をこめた。ぼくは、きちんとひとりを選んでいるのかといぶかった。紗枝は、ぼくの横にいる誰と話すことになるのだろう。誰との会話も想像できなかった。紗枝が自分以外の女性をもちあげて、聞き耳をたてていることがそもそも不可能だったのだ。この場での女王は、会社という組織でもうまく立ち回れるのかぼくはいらぬ心配をした。何かを殺さないといけないのかもしれない。ぼくらは、なんだか好んでつまらない人間になろうとしているようだった。