田中雄二の「映画の王様」

映画のことなら何でも書く

『ピノキオ』

2019-04-17 20:42:16 | 1950年代小型パンフレット
『ピノキオ』(40)(1993.8.)



 こうした、昔のディズニーの大作アニメーション映画を見るたびに、その技術の高さに畏敬の念を抱かされる。何しろ作られたのは遠い昔なのだ。子供の頃にリバイバルで『バンビ』(42)を見た時も、20年以上も前に作られていたことを知って驚いたことを覚えている。

 ところで、有名な「星に願いを」を主題歌に持つこの映画が、スピルバーグの『未知との遭遇』(77)に影響を与えたことは有名だが、今回新たに発見したのは、ラスト近くの大クジラが『ジョーズ』(75)につながったであろうということ。本当にスピルバーグはディズニーが好きなのだなと思う。で、ディズニー好きとして知られた手塚治虫の『鉄腕アトム』のアトムや、『ブラック・ジャック』のピノコも、基はこのピノキオなのだ。ディズニー恐るべし。
 
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『南部の唄』

2019-04-17 12:22:35 | 1950年代小型パンフレット
『南部の唄』(46)(1989.7.15.)



 米南部の農場を舞台に、白人の少年ジョニー(ボビー・ドリスコール)と黒人のリーマスおじさん(ジェームズ・バスケット)の心のふれあいを描く実写部分と、おじさんが話すおとぎ話の部分のアニメーションを合成させた一編。劇中歌の「ジッパ・ディー・ドゥー・ダー」はアカデミー歌曲賞を受賞している。

 実写とアニメを融合させた『ロジャー・ラビット』(88)のルーツがここにあった。恐らく、あの映画のスタッフの頭の中には、この映画の“ウサギどん”のイメージがあったのだろう。

 だが、この映画はいかにもディズニー映画らしい心温まるファンタジーには違いないのだが、舞台が南部のプランテーションであることが苦しい。何故なら、最近、同じ地域を描いた『ミシシッピー・バーニング』(88)や、ドキュメンタリーの「五月の十四日間」で今も根強く残る人種差別の実態を目にしたこともあり、この映画の黒人蔑視の姿勢に疑問を抱かされたからだ。

 だから、本来なら心温まるはずのラストシーンの横で、主人公の白人少年と貧しい家の少女、黒人の少年たちの“その後”に思いが飛んで、素直に見られなかった。映画には、作られた時代を反映するという宿命があることを改めて知らされた気がする。
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『卵と私』

2019-04-17 08:39:25 | 1950年代小型パンフレット

『卵と私』(47)(1989.6.9.)



 都会育ちの新婚夫婦(クローデット・コルベール、フレッド・マクマレイ)が、片田舎で養鶏場を営みながら暮らすことになる。2人は慣れぬ作業に苦労するが、夢に向かって前進していくという、農村を舞台にした涙と笑いのサクセスストーリー。ベテイ・マクドナルドのベスト・セラーの映画化で、監督は舞台演出家のチェスター・アースキン。

 こういう古き良きアメリカ映画を見るたびに、何を持って豊かさとするのかを考えさせられるし、同時に、映画の存在自体が夢の具現化であり、豊かさの象徴であった時代がひどくうらやましくも思える。また、この映画には、戦後の復興という意味合いも含まれているのだろう。

 今の時代に、農村を舞台にしながら、こんなに単純明快で楽しい映画は作れないだろうし、最近の『プレイス・イン・ザ・ハート』(84)『カントリー』(84)といった、農村に回帰した映画も、この映画とは異質のものである。ある意味、この映画は、映画が夢の語り部だった時代の産物なのである。だから精神的には『フィールド・オブ・ドリームス』(89)が、この映画の後継と言えるのかもしれない。

【今の一言】
 同年に公開された『真昼の暴動』の刑務所内で上映されたのがこの映画だった。これはちょっと皮肉っぽい。ところで「卵と私」といえば、今はオムレツレストランの名前として有名だが、この映画や原作と何か関係があるのだろうか。

パンフレット(49・アメリカ映画宣伝社(American Picture News))の主な内容
此の映画の人々/映画物語/「卵と私」より/此の映画の面白さ(児玉数夫)

 

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