田中雄二の「映画の王様」

映画のことなら何でも書く

『わが心のボルチモア』バリー・レビンソン

2019-06-02 10:59:42 | 映画いろいろ
『わが心のボルチモア』(90)(1991.1.14.東劇)



 バリー・レビンソンは、監督デビュー作の『ダイナー』(82)で、すでにボルチモアを舞台にした自伝的な話を描いていたが、この映画ではさらに深く、まるで自身のルーツを探るかのように、今世紀初頭に東欧から移民してきた一族のアメリカでの生活を、細々としたエピソードを積み重ねの中で描いている。

 移民たちの年代史といえば、すぐにあの『ゴッドファーザー』シリーズが思い浮かぶが、この映画には『ゴッドファーザー』のような派手な見せ場は全くなく、あまりにも淡々と進んでいくもので、小津安二郎の映画を見ているような気分になった。主役の好々爺サムを演じたアーミン・ミューラー・スタールのうまさと存在感の大きさには舌を巻かされた。

 加えて、フェリーニの『アマルコルド』(74)やウディ・アレンの『ラジオ・デイズ』(87)のように、レビンソン自身の少年期へのノスタルジーが、程よい甘さや切なさを持って、われわれ見る側の琴線に触れることにも成功している。

 そして、フェリーニがラジオもテレビも持たない世代、アレンがラジオの世代の代表としてこうした映画を撮ったとするならば、このレビンソンの映画はテレビ創世記世代の視点から撮ったことになるだろう。

 そういえばテレビドラマの「ファミリー・タイズ」でも、「ミルトン・バール・ショー」を見るためにテレビを買った一家の騒動をノスタルジックに描いたエピソードがあった。そのうちに、俺たちのようなテレビ真っ只中の世代からもこうしたノスタルジックな作品が生まれてくるのだろう。
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『ヤング・シャーロック ピラミッドの謎』バリー・レビンソン

2019-06-02 07:30:20 | 映画いろいろ
『ヤング・シャーロック ピラミッドの謎』(85)(1986.4.21.丸の内ピカデリー)



 1870年のクリスマス間近のロンドンを舞台に、天才的推理力を持つシャーロック・ホームズ少年(ニコラス・ロウ)が同級生のワトソン(アラン・コックス)と共に、街で発生した連続殺人事件の謎に挑み、その背後にエジプトの邪教集団がいることを突きとめる。製作スティーブン・スピルバーグ、監督バリー・レビンソン。

 確かに粋な作りで、時代背景となった当時のイギリスの生活様式やファッションもよく描かれているのだろうが、その分、では、なぜ何でもかんでもSFXで処理してしまうのだろうという疑問が残った。

 例えば、この映画と同じようなホームズの番外編映画としては、何と言ってもビリー・ワイルダーの『シャーロックホームズの冒険』(70)がピカ一なのだが、あの映画こそは、ストーリーの面白さだけで勝負しても十分に通用することを証明している。

 どうも最近のスピルバーグ印の映画はSFXの見せ場ばかりが目に付いて少々辟易させられるところがある。本来SFX=特撮とは映画を盛り上げるための一要素に過ぎなかったほずなのに、今ではストーリーそっちのけで、ただSFXを使った映像を見せればいいという感じのものが多過ぎる気がするのだ。

 そんな中、この映画はしっかりとしたストーリーの中に、シャーロキアン的なパロディやうまい伏線が張られ、一種の青春、恋愛ものとして見ることもできるのだが、やはりSFXの使い過ぎが目に付く。普通の映画としても十分に面白いものを持っていただけに惜しい気がしたのだが、そう感じるのはもはやオレが時代遅れなのだろうか。

 否、そうでもあるまい。なぜならスピルバーグ自身も『カラーパープル』(85)というSFX抜きのシリアスドラマを撮っているではないか。で、この映画を惜しいと思わせるのは、やはりバリー・レビンソンの手腕によるものだろう。中でもワトソン君は傑作だった。

【今の一言】今から30数年前は、SFXのことをこんなふうに考えていたのかと、我ながら驚いた。この映画のホームズ役のニコラス・ロウが『Mr.ホームズ 名探偵最後の事件』(15)に“映画の中のシャーロック・ホームズ”として登場してきたが、これは粋なキャスティングだった。
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