田中雄二の「映画の王様」

映画のことなら何でも書く

『ゴジラVSデストロイア』

2019-06-13 14:21:19 | 映画いろいろ
『ゴジラVSデストロイア』(95)(1996.1.25.渋谷宝塚)



 前作『VSスペースゴジラ』(94)は、結局映画館に足を運ぶ気になれず、義理のような気持ちでビデオで見た。そして予想通りのシリーズ最悪の出来に、まあネタも尽きたことだし、こちらは勝手に「お休みゴジラ」と記したのだが、敵もさるもの。再度大森一樹にシナリオを書かせ、オリジナルの『ゴジラ』(54)を徹底的に意識した平成版ゴジラへの“鎮魂歌”のような映画を作ってしまった。冒頭から、ぶくぶくに太って肥大化し、溶鉱炉のように体を赤くしたゴジラが現れ、やがてゴジラ自体が核分裂を起こして溶けていくのである。これには驚いた。

 これはゴジラという素材を扱い切れなくなった作り手たちの苦肉の策という見方もできるが、幼い頃からゴジラに親しんできた者としては、手を替え、品を替え、何度も復活させられ、さまざまな敵と闘わされ、最後は自爆するしかなくなったゴジラの姿が妙に切なく、悲しく映った。この切なさや哀れさは、初期の『ゴジラ』や『ラドン』に感じた思いとも似ていて、結局は元に戻っただけじゃないかとも思った。

 ところで、ミニラもどきのリトルを、ゴジラもどきのジュニアとして生き残らせたこの映画のラストは、作り手たちの救いの気持ちを反映させたものか、それとも何年後かの復活を見越したたくましい商魂によるものか。寂しい気持ちもあるが、この際、復活の余地のない終わりにすべきだったのではないかと思う。

 
【今の一言】予想通り、4年後の『ゴジラ2000 ミレニアム』(99)からミレニアムシリーズが作られたが、もはやきちんとは見なかった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『ゴジラVSスペースゴジラ』

2019-06-13 10:13:32 | 映画いろいろ
『ゴジラVSスペースゴジラ』(94)(1995.11.)



 何だかんだと文句を言いながらも、この映画を除いては平成ゴジラシリーズの全てに目を通してきたのだが、前々作の子供絡みの『VSモスラ』(92)を経て、前作の『VSメカゴジラ』(93)でのミニラもどきの登場に至って、さすがのオレも諦めた。この映画もレンタルビデオがなければこうして見ることもなかっただろう。とは言え、いかにビデオでとは言え、こうして見たということは、引きずった思いがあったことは否めないが…。

 しかし、これは予想以上にひどい代物だった。柄本明が一人で頑張ってはいるが、その全てが空回り。おまけに『VSビオランテ』(89)から、大森一樹が作った設定を無理矢理引き継いでいるから、同じようなところをぐるぐる回っているだけで、話が逆戻りしたり、こじ付けが目立ったりして一向に広がらない。

 まあ、アメリカ版も暗礁に乗り上げてしまったようだし、次回作『VSデストロイア』を最後に、しばらく姿を消した方がよさそうですな。ゴジラさん。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『エド・ウッド』

2019-06-13 08:19:21 | 映画いろいろ
 『エド・ウッド』(94)は、ティム・バートンの映画の中でも、良作の一つだと思う。



『エド・ウッド』
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/f46819ac1317b8d37e5adf15bc0430c6

名画投球術 No6.「史上最低の映画が観たい」エド・ウッド
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/b40c5279fdf888b972e7dcdae4743957

【インタビュー】『ダンボ』ティム・バートン監督
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/18754cbd4bb244f2cb6b7f0e7a1a7348

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『ゴジラVSメカゴジラ』

2019-06-13 05:54:56 | 映画いろいろ
『ゴジラVSメカゴジラ』(93)(1994.1.20.日劇東宝)



 先日、NHKのゴジラ特集番組で、ゴジラフリークで有名なみうらじゅんが「復活してからのゴジラは怪獣映画ではなくSF映画になってしまった」と語っていたが、この映画を一言で表現するなら、まさにそういうことになる。とは言え、もはや昔のようには描けないのもまた必然。そこが悩ましいところだ。

 それに加えて、『VSキングギドラ』(91)で復活ゴジラを一度ピークに持っていた大森一樹の影響が、前作の『VSモスラ』(92)とこの映画に悪い意味で引き継がれてしまったとも言えよう。そして、いくら最新のSFXを駆使しても、結局、ゴジラも、キングギドラも、モスラも、ラドンも、オリジナルを凌駕することはできなかったのだ。

 では、そうとは知りながらも、なぜスタッフはこうして次から次へと作ってしまうのか? それをわれわれは見てしまうのか? それこそがゴジラが与えるインパクトの強さ故の幻なのである。いつの時代にも、どんな状況にもゴジラという素材は適応する、面白く作れる、見られる、という錯覚がゴジラを復活させてしまったのだ。

 まあ、その錯覚も、この映画での、究極の敵であるメカゴジラと、見るに耐えないミニラもどきの登場によって終わるはずだったものを、東宝は懲りずにまだ作るらしい。頼むから早く錯覚から目覚めてくれと言いながら、心の隅で、ひょっとしたらハリウッドなら…と期待してしまうオレも悪い。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする