田中雄二の「映画の王様」

映画のことなら何でも書く

『大いなる男たち』

2019-06-11 18:24:32 | 映画いろいろ
『大いなる男たち』(69)(2011.9.4.)



 中学生だった1974年にテレビで見て以来、実に久しぶりの再見になった。この映画の原題は「THE UNDEFEATED」だから、直訳すれば“敗れざる者”なのだが、邦題は何故か『大いなる男たち』。「大いなる~」と付けられた映画はたくさんあるから結構紛らわしい。遺産、決闘、幻影、砲火、別れ、野望、勇者。邦画では、旅路、驀進といったところでしょうか。

 元北軍のジョン・ウェインと元南軍のロック・ハドソンが、最初は対立しながら次第に友情を感じるようになるというのは西部劇の王道パターン。ところが、南北戦争とメキシコ革命を交差させた壮大なスペクタクルになるはずが、西部劇とホームドラマを混ぜ合わせたような中途半端な作りになってしまっていたのが残念だった。

 これは、監督のアンドリュー・V・マクラグレンが、師匠のジョン・フォードが持っていたような、押しの強さや力強さに欠けるところがあるからなのか。とは言え、底抜けに青い空、3000頭の馬を運ぶシーンなどは、もちろんCGではなく実景を映しているのでさすがに見応えがあった。

 ベン・ジョンソン、ハリー・ケリー・ジュニア、ブルース・キャボット、ロイヤル・ダーノ、ダブ・テイラーなど名脇役が活躍するのもうれしかった。中でも猫をかわいがる料理人を演じたテイラーが傑作。マッカートニーという役名だったからアイリッシュ系ということだったのかな。ポールみたいに。

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『GODZILLA』

2019-06-11 12:25:00 | 映画いろいろ
『GODZILLA』(98)(1998.8.9.渋東シネタワー)



 昔から何度も話が持ち上がりながら、結局実現しなかったアメリカ版の『ゴジラ』。今回もティム・バートン、ヤン・デ・ボンが監督候補に上ったが実現せず、またしても…と思いきや、ようやくローランド・エメリッヒが完成させた。

 と、これはあくまでもプロセスの話。出来上がった映画はひどかった。何しろゴジラとは似ても似つかない、走り回る大トカゲを見せられた日にゃあ、「わざわざ“ゴジラ”の名を冠する必要はない!」と思うのが、手垢のついたゴジラファンの悲しさだ。

 メーキングを見ると、日本のゴジラをそのままニューヨークで暴れさせたのでは、日米とも商売にならないし、新しい世代に新しいゴジラを与えるという意図があったことも分かった。だが、この映画の場合は、ゴジラの造形を変えることが新しさだと考えた点が致命的なミスなのだ。

 『エイリアン』(79)『ジュラシック・パーク』(93)にちょっとオリジナルの『ゴジラ』(54)を加えてブレンドし、CGを多用して「これがアメリカ版のゴジラだぜ」と見せられても納得できるものではない。そもそもゴジラとはそういう存在ではないのだ。

 と、日本の伝統的なゴジラ像に縛られているオレが古くて、大トカゲをゴジラとしたスタッフが新しいのか。否、この場合、何でも新しい方がいいというわけではないはずだ。まあ東宝はキングコングを借りておかしくした過去があるから、これであいこか。

【今の一言】思えば、ここから『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』まで20年かかったのだ。

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『ゴジラ対へドラ』『ゴジラ対メカゴジラ』

2019-06-11 09:42:38 | 映画いろいろ
『ゴジラ対ヘドラ』(71)『ゴジラ対メカゴジラ』(74)(2004.11.18.)



 まずは『ゴジラ対ヘドラ』。この映画が公開されたのはオレが小学生の頃。しかし今見直すと暗いなあ。徹底的に明るかった『キングコング対ゴジラ』(62)から約10年で、日本がどれだけ変わったかが映画を通して分かるというもの。「水銀、コバルト、カドミウム、鉛、硫酸、オキシダン、汚れちまった海、汚れちまった空…」こんなとんでもない歌を覚えさせられた当時のオレも含めた子供たちは…。戦争はなかったが、公害に侵されたひどい時代だったとも言えるのかな。この映画は、何だかゴジラを通してエコロジー運動をしているような妙な映画だ。おまけにゴジラが空を飛ぶし…。

 『ゴジラ対メカゴジラ』は“ゴジラ誕生20年記念”映画だったので、久々にスタッフが気合を入れた感があり、宇宙人やらサイボーグやら沖縄の伝説やら、いろいろ盛り込まれているので、今見ても結構楽しい。途中で寝るつもりが結局最後まで見てしまった。で、脚本はやっぱり関沢新一なのだ。さすがと言うべきか。
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『爆音映画祭 ゴジラ伝説』

2019-06-11 08:15:25 | 映画いろいろ
『爆音映画祭 ゴジラ伝説』(2011.7.27.吉祥寺バウスシアター )



 “爆音”とは音楽ライブ用のアンプとスピーカーを通して、映画を見る(聴く)こと。先日取材した吉祥寺バウスシアターのオリジナル企画である。今回は元ヒカシューの井上誠らによるミニライブ『ゴジラ伝説』を聴くこともできた。井上によるシンセサイザーで再現される伊福部昭節は、昔レコードで聴いたが、実際に生で聴くのもなかなか乙なものだった。意外にも『わんぱく王子の大蛇退治』(63)『空の大怪獣ラドン』(56)といったゴジラ以外の曲の方が印象に残った。

 さて、本題の、もう何度も見ている『ゴジラ』(54)は、本多猪四郎監督が、まるでドキュメンタリーのように撮っているため、まだ戦後10年もたっていない、戦争の傷跡が残る東京の風景や、今と何も変わっていない60年前の政治風景が生々しく迫ってくる。“爆音”は、ゴジラの泣き声や伊福部音楽の特色である、重低音の響きには良く合っていたと思う。

 人間が作った核実験によって変態したゴジラは、体中が核に汚染され、口から放射能を吐きながら街を破壊していく。いわば歩く原発なのだ。そして、核の落とし子として忌み嫌われ退治される。後には人間の味方にさせられて敵と闘ったりもした。そして流転の40年を経て、結局『ゴジラvsデストロイア』(95)で自らメルトダウンを起こして自爆するに至る。何だか原発の末路と似ている気がしてならない。つまり人間の身勝手さを際立たせる存在なのだ。

今はなき「吉祥寺バウスシアター」
https://www.enjoytokyo.jp/feature/season/cinema/vol09.html?__ngt__=TT0f8b0df8e006ac1e4ae8d3QJSCyaTq6KITqj-ubPx46t
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