1975年の広島カープ初優勝に貢献したゲイル・ホプキンスとリッチー・シェインブラム(シェーン)に代わって、ジム・ライトルと共に77年に広島カープに入団したヘンリー(エイドリアン)・ギャレットが亡くなった。
当時、ある人が、西部劇に例えて「シェーンが去って(ビリー・ザ・キッドを撃った)ギャレットがやって来た」と評していたのを覚えている。うまいことを言うなと思ったものだ。
メジャーでの実績は、後に中日でプレーした弟ウエインの方が上だったが、日本での成績は兄の方が断然上。78年には40本塁打を放ち、時には捕手としてプレーし、79年の球団初の日本一にも貢献した。打率は低かったが、豪快なホームランが印象に残っている。
ちなみに78年のカープの主なラインアップは
1.高橋慶彦(遊)打率302.7本塁打.47打点
2.三村敏之(二)打率249.11本塁打.23打点
3.ジム・ライトル(右)打率296.33本塁打.108打点
4.山本浩二(中)打率323.44本塁打.112打点
5.水谷実雄(一)打率348.25本塁打.75打点
6.ヘンリー・ギャレット(左)打率271.40本塁打.97打点
7.衣笠祥雄(三)打率267.30本塁打.87打点
8.水沼四郎(捕)打率271.7本塁打.46打点
いまさらながら、すごい打線だったと思う。