田中雄二の「映画の王様」

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「シェーンが去ってギャレットがやって来た」

2021-04-25 15:57:56 | 名画と野球のコラボ

 1975年の広島カープ初優勝に貢献したゲイル・ホプキンスとリッチー・シェインブラム(シェーン)に代わって、ジム・ライトルと共に77年に広島カープに入団したヘンリー(エイドリアン)・ギャレットが亡くなった。

 当時、ある人が、西部劇に例えて「シェーンが去って(ビリー・ザ・キッドを撃った)ギャレットがやって来た」と評していたのを覚えている。うまいことを言うなと思ったものだ。

 メジャーでの実績は、後に中日でプレーした弟ウエインの方が上だったが、日本での成績は兄の方が断然上。78年には40本塁打を放ち、時には捕手としてプレーし、79年の球団初の日本一にも貢献した。打率は低かったが、豪快なホームランが印象に残っている。

 ちなみに78年のカープの主なラインアップは

1.高橋慶彦(遊)打率302.7本塁打.47打点
2.三村敏之(二)打率249.11本塁打.23打点
3.ジム・ライトル(右)打率296.33本塁打.108打点
4.山本浩二(中)打率323.44本塁打.112打点
5.水谷実雄(一)打率348.25本塁打.75打点
6.ヘンリー・ギャレット(左)打率271.40本塁打.97打点
7.衣笠祥雄(三)打率267.30本塁打.87打点
8.水沼四郎(捕)打率271.7本塁打.46打点

いまさらながら、すごい打線だったと思う。

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オーディ・マーフィ

2021-04-25 11:59:38 | 俺の映画友だち

 あるオンラインの映画トークに参加した。この日のテーマは、第2次世界大戦中、米陸軍の軍人として多数の勲章を受章した“戦場のヒーロー”から、戦後、映画俳優に転じ、主に西部劇や戦争映画に出演したオーディ・マーフィ。

 とは言え、彼の出演作は、ジェームズ・スチュワートと共演した『夜の道』(57)と、テキサスの平原で牧場を営むー家の次男を演じたジョン・ヒューストン監督の『許されざる者』(60)しか見ていないので、彼について語る資格はない。というわけで、参加者の皆さんのご意見を興味深く拝聴した。

 マーフィは、早撃ちのガンプレーはもちろんだが、乗馬もかなりの腕前だったらしい。今はDVDで見られる作品もあるようなので、これを機に見てみようかと思った。

 かつて執筆・編集した1998年版の『外国映画 男優名鑑』には500人、2009年版には300人が載っているが、いずれもマーフィは載っていない。前者では、人選の際に師匠・長谷川正が「入れなくてもいい」としたので、落としたことを覚えている。

 川本三郎の『ハリウッド大通り』にマーフィのミニバイオグラフィが載っているが、戦争の英雄が、皮肉にもPTSD(戦争後遺症)に苦しんだ事実を知らされて胸が痛んだ。

 

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