田中雄二の「映画の王様」

映画のことなら何でも書く

山下敦弘監督の映画 『松ヶ根乱射事件』『天然コケッコー』『マイ・バック・ページ』

2022-02-06 08:26:35 | 映画いろいろ

『松ヶ根乱射事件』(2007.1.18.DVD試写)

バカボンのおまわりさん

 新作『松ヶ根乱射事件』公開に寄せて山下敦弘監督にインタビュー取材。何とも不思議な映画で、正直なところ個人的にはあまり好きになれなかったが、改めていろいろと話を聞いてしまうと、好き嫌いは別にして、人情というか、妙な感情が湧いてくるところが、この仕事のやっかいなところ。ラストのピストル乱射シーンは『天才バカボン』のおまわりさんのイメージなんだそうだ。


『天然コケッコー』(07)(2009.9.18.ムービープラス)

 『松ケ根乱射事件』(07)公開時にインタビューしたとき「俳優の演技を1人でずっと見ていたい」と言っていた山下敦弘監督作。

 この映画の舞台は島根の山奥の田舎町。ヒロインの右田そよ(夏帆)が通う分校に東京から転校生の大沢広海(岡田将生)がやってきて波紋を巻き起こすわけだが、シーンの長回し、引きの構図、田舎町、群像劇という点では『松ケ根乱射事件』と同じだ。

 ただ、シュールだった『松ケ根乱射事件』と比べると、こちらは思春期の初恋物語としてきゅんとさせられるところもあるのだが、やはり整理不足と独りよがりなところがあるのは否めなかった。


『マイ・バック・ページ』(11)(2011.6.4.MOVIX亀有)

 この映画の舞台となった1969~71年といえば、自分はまだ小学生。もちろん当時の全共闘運動の深部などは知るよしもないが、安田講堂陥落や朝霞事件については、ニュースとしては知っていた。たとえ小学生といえども、時代の空気は敏感に感じ取っていたと思う。

 もちろん、原作者である川本三郎が朝霞事件に関係していたことはだいぶ後になってから知ることになるのだが…。そんな自分よりもさらに若い監督(山下敦弘)、脚本(向井康介)、キャストたちにとっては、まるで時代劇を作るような気分だったのではないだろうか。

 ところが、この映画の場合は、あの時代を知らない世代が作ったことが逆に吉と出たと思う。何より、あの時代の当事者たちが語る暑苦しさや独り善がりの過度な思い入れを見せられずに済んだ気がする。

 山下監督の登場人物たちへの思いを込めた長回しと、ラストの沢田(妻夫木聡)の涙と、「生きてりゃいいんだよ」のセリフが印象に残る。沢田は、多くの全共闘(団塊)世代とは違い、少なくとも自分のしたことに対して責任を取り、いまだに後ろめたさを感じながら心に負債を背負って生きている。そこにシンパシーを覚えるのだ。

【後記】妻夫木聡、松山ケインチ、山下敦弘監督によるティーチ・インを取材(6.8.アスミック・エース試写室)し、謎が解けた部分もあった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『絶望からの脱出 荒野の早撃ち拳銃』『怒りの荒野』『ガンマンの伝説』

2022-02-06 07:31:52 | ブックレビュー

『絶望からの脱出 荒野の早撃ち拳銃』(古川ゆう)(KKベストセラーズ)
(2010.5.19.)

 先に行われた「マカロニ・ウェスタン50周年/ディ・モールト映画祭2010」で『怒りの荒野』を見た際に購入。『怒りの荒野』のジュリアーノ・ジェンマ演じる虐げられた若者に、自分と同じ根を見た筆者は、アメリカに早撃ち修行の旅に出る。

 文章は稚拙で表現も回りくどいところが目に付くが、読んでいて不思議に引き付けられるものがある。それは筆者の実体験に基づいて書かれているからなのか。いずれにせよこれはオレには書けない。

 人を引き付ける文章は、必ずしもうまい下手では計れないということ。何よりも、アメリカで筆者の面倒を見てくれたというジーン夫妻の人柄が魅力的に書かれていた。


『怒りの荒野』(67)(2010.4.8.シアターN渋谷)(1974.1.21.月曜ロードショー)

 劇場で見たのは今回が初めて。マカロニウエスタンはテレビの吹き替え版で見た世代なので、当時はあまり違和感を感じなかったのだが、今回、改めてイタリア語で演じられる西部劇として見るとやはり珍妙なものだった。日本語の西部劇も変と言えば十分に変なのだが…。

 そして今さらながら、風景もテンポも妙だと感じたし、雑な作りも目立つ。おまけにジュリアーノ・ジェンマってこんなにカッコ悪かったっけという印象を抱かされる始末。

 やはりマカロニは亜流で本家の西部劇とは別物と考えた方がいい。この映画の見るべきところは、ガンマン10カ条の掟のアイデアとリズ・オルトラーニの音楽。


『ガンマンの伝説』ロバート・B・パーカー(早川文庫)
(2010.7.23.)

 ロバート・B・パーカーによるワイアット・アープ伝だが、登場人物の誰にも感情移入ができない。西部劇小説の翻訳の難しさを痛感する。ローレンス・カスダン監督、ケビン・コスナー主演の『ワイアット・アープ』(94)の屈折や後味の悪さを思い出した。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『西部小説・ベスト10』

2022-02-06 07:10:50 | ブックレビュー

『西部小説・ベスト10』(荒地出版)
(2011.2.15.)

 神保町の古書店で発見。発行年を見ると、1961年とあるから、自分が生まれた頃に出版された本。『サタデー・イブニング・ポスト』誌に掲載された短編から厳選したとある通り、単なる撃ち合いだけでなく、それぞれに当時の生活感や風俗が書き込まれており、どれも読み応えがあった。

『無法者の行く道』:S・オマー・バーカー(訳・清水俊二)ガンマン志願の少年が大活躍。
*『ユマへの駅馬車』:マーヴィン・デヴリーズ(田中小実昌)
『旅がらす』:クリフ・ファレル(中桐雅夫)西部男はいかに結婚するか。
『レッド渓谷からきた女』:マイケル・フェシア(中桐雅夫)無法者は実は紳士だった…。
『事件の真相』:ブレット・ハート(三田村裕)西部の未亡人。
*『死者の追跡』(『死人街道』):アーネスト・ヘイコックス(鮎川信夫)
『はやまった絞死刑』:モーガン・ルイス(橋本福夫)映画『牛泥棒』にも通じる冤罪話。
『トップ・ハンド』:ルーク・ショート(北村太郎)西部の新聞事情。
『早撃ち』:R・パトリック・ウィルモツト(伊藤尚志)ビリー・ザ・キッド外伝
『贈られた馬』:オーウェン・ウィスター(山下論一)抒情的な文体で描かれる西部の理想郷の真実。

*は『駅馬車<西部小説ベスト8>』:ハヤカワ文庫にも収録。
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/a9d2f0885143b4a4d6980ac427305361

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『苦役列車』

2022-02-06 00:19:55 | 映画いろいろ

『苦役列車』(12)(2012.7.31.MOVIX亀有)

冬の海で戯れるシーンがいいね(旧ブログ「お気楽映画談議」より)

夫:西村賢太の芥川賞受賞小説を山下敦弘監督が映画化。君が先に見て、絶対に見た方がいいと薦めてくれたんだよね。

妻:そうでーす。山下監督の最高傑作だからね。

夫:映画の舞台は1986年だから、今30歳そこそこの山下監督にとっては、60年代末から70年代を舞台にした前作の『マイ・バック・ページ』(11)に続いて、またもや“時代劇”を撮ったことになるね。でも、ちゃんとその時代の雰囲気を再現していたから、画面から当時のATG映画や、にっかつロマンポルノに似たにおいがぷんぷんしてきたよ。まあ、そういう意味ではちょっと通好みの映画と言えるかもしれないけれど。

 とは言え、登場人物の心情をより深く表現するために長回しで撮るところや、時代を簡単に表現できる当時の流行歌に頼らず、今の音楽で押し切ったところに山下監督の主張を感じるな。過去を描きながらちゃんと“今の映画”になっているところが立派だったよ。そう言えば、『松ヶ根乱射事件』(07)の時に、彼にインタビューしたっけ。

妻:山下監督の『松ヶ根乱射事件』。あれはヘンな映画だったね。でも『天然コケッコー』(07)は、私の母の実家近辺(浜田)が舞台ということで、懐かしい風景が見られるかなーとそれだけを期待してみたら、子供たちをはじめ、人物の描写がとてもていねいでよかったのよ。もちろん、子供の頃、夏休みに遊んだ山陰地方の景色もきれいだったわ。というわけで、山下監督を見直したってわけ。『マイ・バック・ページ』は原作もしっかり読んでいったけど、映画もすごくよくて2度も見に行ったのよね。私のお気に入り監督さんです。

夫:この映画の3人の主要な登場人物は、自分より8つほど若い設定なのだけれど、金持ちや高学歴者へのひがみ、激しいけんか、セックスへの欲望、掛け替えのない友の存在と別れ、自分が何者に成り得るのかという不安や焦燥など、心情的には自分と重なる部分も少なくなかったな。

 それから肉体労働の日雇いアルバイトは俺もやったなあ。俺の場合はまだ貨物駅だった汐留からトラックの助手席に乗せられて現場に行ったんだけどね。だから主人公の貫多にしても本当に困った奴だけど、どこか憎めないところがあるんだ。

 それは、同じ東京者ということもあるけれど、自分の若い頃も似たようなもんだったと感じるからなのかな。貫多が自分のことを“僕”って言うところも、おかしいのに何故か切なくなってくる。演じた森山未來が『モテキ』(11)とは異なる“怪演”を見せてくれたし、高良健吾と前田敦子も予想以上に良かったよ。

妻:「樹氷」の大きなボトルに見覚えのある年代にはたまらない映画です。

夫:この映画で描かれた青春像は、暗くて不器用で明らかに平成ではなく昭和のものだね。でも当時のバブル景気とはまったく無縁の世界。今の若者たちはこういうのを“痛い”と表現するらしいけど、もの悲しいとか、切ないと言った方がしっくりとくるかな。

 特に3人がボウリングに興じた後、閑散とした冬の海で戯れる場面に青春のはかなさを感じて思わずホロリとさせられた。あれはずっと記憶に残るようないいシーンだったと思うよ。

妻:冬の海のシーンは「はかなさ」じゃなく「若さの情けなさと素晴らしさ」だと思うな。私は、酔った貫多が、マスコミ志向で下北沢に住んでいる正二の彼女に絡んで「田舎者ほど世田谷とか杉並とかに住みたがる」とか何とか言って絡むシーンも好きだなあ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする