『失はれた地平線』(37)(1994.4.13.)
外交官ロバート・コンウェイ(ロナルド・コールマン)のもとに、理想郷シャングリラへの案内人が現れる。その地の住民となる資格を得たコンウェイは、そこで運命の人ビゼー(ジェーン・ワイアット)と出会う。安らぎと喜びの日々が過ぎるが、やがてコンウェイは、ある決断に迫られる。
なぜこの映画を今まで見なかったのか。その理由は、主演のコールマンが、フランク・キャプラ的な世界の具現者であったジェームズ・スチュワートやゲーリー・クーパーに比べると、違和感があったことが大きいし、聞きかじりや読みかじりの情報によれば、これまたキャプラ的な世界とは異質なSFタッチというところにも、疑問を感じたからである。
ところが、見終わった今は、この映画が描いた理想郷こそは、キャプラが好んで描いた、夢のような人間や社会の姿が最も的確に表現されたものなのかもしれないと思った。
加えて、キャプラの映画は、変な言い方だが、総じて科学的ではないSFみたいなものだから、彼がこの映画を撮ったのも至極当然のことだという気がしたし、後の『群衆』(41)同様、迫りくる戦争への警鐘や皮肉として見られないこともない。
そして、危惧していたコールマンも思いのほか適役で、『毒薬と老嬢』(41)のケ―リー・グラント同様、これはこれでスチュワートやクーパーとは違った味わいがあった。脇を固めるキャプラ映画おなじみのトマス・ミッチェル、エドワード・エバレット・ホートン、H・B・ワーナーも見事であり、ジェーン・ワイアットという幻の女優も美しかった。
それにしても、『或る夜の出来事』(34)から、『オペラハット』(36)、この映画、『我が家の楽園』(38)、『スミス都へ行く』(39)、そして『毒薬と老嬢』と『群衆』と、第二次大戦前のキャプラの映画は本当に素晴らしいと改めて感じたのだが、戦後は『素晴らしき哉、人生!』(46)しか傑作を生めなかったのだから、戦争が彼に与えた傷の深さや時代の変転を思うと胸が痛む。
『オペラハット』(36)
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/a4c634b87148c96bb2ef64b59ce01e7d
『我が家の楽園』(38)
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/eca042da7dea8e5de19a19dbbe9b9bb5
『スミス都へ行く』(39)
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/4eeb8cdcc989fc8c0bbe0130ae60e4ea