『イチロー革命-日本人メジャー・リーガーとベースボール新時代』ロバート・ホワイティング(早川書房)
(2004.10.17.)
この人の、野球とベースボールを媒介とした日米比較論は、多少の独断と偏見は否めないものの、相変わらず面白い。
それにしても、1977年にこの人によって『菊とバット』が書かれた時は、野球を通した日米関係がこれほど激変するとは誰も想像すらしていなかったはずだ。
そう考えると、この本に登場する野茂英雄、イチロー、松井秀喜らは、まさに時代の要求に応じて登場してきた者たちだとも思える。彼らが日本のマスコミには決して語らない素直な言葉が、新鮮であり、興味深くもあった。
『ICHIRO 2 ジョージ・シスラーを越えて』ボブ・シャーウィン(朝日新聞社)
(2005.4.14.)
『ICHIRO メジャーを震撼させた男』に続く、元シアトル・タイムズ記者による本書を読み始めた途端に、開幕から続いていたイチローの連続試合安打がストップしてしまった。うーん、やはりディマジオ越えは難しいか。
『上原の悔し涙に何を見た』宇佐美徹也(文春文庫PLAS)
(2005.5.30.)
プロ野球の“記録の神様”による好著。題名は、タイトル争いのために無理やり敬遠を命じられた巨人の上原浩治が流した悔し涙に由来する。
日本のプロ野球にはびこる、記録を破らせる、またはタイトルを取らせるための、逆に記録を破らせない、タイトルを取らせないための行為の空しさは、去年、異邦人であるイチローが、シーズン安打記録に挑んだ際に、ちゃんと勝負をしたメジャーリーグの清々しさを思えば、もはや何をか言わんやだ。
そして、昔がすべて良かったとは言わないが、この本を読むと、王貞治、長嶋茂雄、村山実、稲尾和久、杉浦忠ら、かつての名選手たちが、その記録とともによみがえる快感も味わえる。
最も印象的だったのは、意外にも、「江夏の21球を演出した捕手水沼の100%の確立」と題された、広島カープの名捕手水沼四郎を描いた渋い一文だった。
『ラストゴングは打ち鳴らされた-リングを駆け抜けた闘士(おとこ)たち』織田淳太郎(早稲田出版)
(2006.5.26.)
かって『首都高に散った世界チャンプ 大場政夫』(小学館文庫)を書いた筆者の短編ボクシング・ノンフィクション集。
自分とほぼ同世代な筆者だけに、ボクシング体験の原風景や思い入れに共通点が多い。中でもキックの鬼・沢村忠のその後を描いた「消えたチャンピオン」と、柳済斗戦を再現しながら、輪島功一の語りを挿入した「王者」が印象に残る。ただこういうノンフィクションは書く方も、読む方も、どうしても『敗れざる者たち』などの沢木耕太郎の影がちらついてしまうのもまた、我々の世代の共通点ではある。
『大相撲歴史新聞-角界の出来事まるごとスクープ!』(日本文芸社)
(2006.5.26.)
神話の野見宿禰と当麻蹶速から双葉山、栃若、柏鵬、北玉、輪湖を経て、曙若貴時代までの大相撲の歴史を、新聞報道風に編集した珍品。それぞれの時代が鮮やかに甦る。最近また相撲観戦に燃えてきただけにタイムリーな読み物となった。