『札幌オリンピック』(2006.1.7.)
先日、トリノオリンピックにちなんで放送される札幌オリンピックの記録映画(篠田正浩監督)についての記事を書いた。谷口千吉が監督した『日本万国博』(71)は、小学校の行事として近所の映画館に見に行った憶えがあるが、こちらはそうはならず、後に個人的に見たのだった。
札幌オリンピックを憶えている一番下の世代は今の40歳前後かな。何しろ開催されたのが、今から35年も前の1972年なのだから。
さて、あの時、70メートル級純ジャンプ(現在のノーマルヒル)で優勝した笠谷幸生のフォームは華麗で美しかったけれど、何故かもの悲しい感じがしたものだ。よく滑り台を助走路に見立ててまねをした。
もっとも、今のように助走路ではバックハンドではなく、体を丸めて手を前にして滑り、空中ではスキーをぴたりと合わせるフォームがよしとされ、今のV字みたいにスキーが開くと減点という時代だった。
「さあ笠谷、金メダルへのジャンプ。飛んだ、決まった、見事なジャンプ!」というNHKの北出清五郎の簡潔な名実況が今でも耳に残っている。
【今の一言】札幌オリンピックの70メートル級純ジャンプ(現ノーマルヒル)で、笠谷、金野昭次、青地清二の「日の丸飛行隊」がメダルを独占してからちょうど50年目の同じ2月6日。北京オリンピックのノーマルヒルで、小林陵侑が金メダルを獲得した。本当に、めぐり合わせというのはあるのだなあと感じた。確か実況も「さあ小林、金メダルへのジャンプ」と、北出アナと同じ言葉を使っていた。
銀メダルの金野、銅メダルの青地、そして4位に入ったノルウェーのインゴルフ・モルクも今は亡い。1998年長野五輪のラージヒルの金メダリスト船木和喜の「同じノーマルヒルなので、僕よりも笠谷さんの方がうれしいかも」という談話を見て、ちゃんとつながっていると思い、何だかうれしくなった。